[2-36] 君は少女を助け起こしてもいいし、警戒して立ち去ってもいい
シエル=テイラへの『援軍』は、シエル=テイラ国境に領地を接するランドール辺境伯の軍が緊急出動した形となっている。
だが、そもそも軍務とは王命の下で貴族たちが分担するもの。ノアキュリオ王国は諸侯軍混在の増援部隊を編成していた。
今はひとまずシエル=テイラに軍を入れて確保している状態。ここから“怨獄の薔薇姫”が陣取る王都を陥とすため、さらなる戦力増強を計っているのだ。
そんな増援の第一弾が国境付近を西進していた。非戦闘員まで含めれば総数は一万以上。領地がシエル=テイラに近く、さらに比較的即応可能であった者たちだ。
ただ、これは事実上の補給部隊でもある。
凍てつくように冷たい河にはいくつも荷運びの船が連なり、それと併走するように兵たちは行軍する。武具の代わりに補給物資を担いだ農兵や多くの人足、騎士たちがそれぞれ所有する騎馬・荷馬も一行に含まれている。
駐屯部隊の将軍であるランドール辺境伯は物資不足で悲鳴を上げていた。大量の補給物資はそれに応えた形だった。増援を送るついでに、その兵員に輸送護衛をさせようというわけだ。
行軍に付いて回るのが常の酒保商人も姿を見せる。商人たちは馬車や荷車を連ね、シエル=テイラ到着後に売るための商品をたっぷりと引かせていた。
さらに今回は、通常の戦力だけではなく冒険者のパーティーも護衛に付いていた。
緊急の第一次参集に応じたのは21パーティー74名。
と言ってもほとんどはゴブリンの群れと良い勝負になるような下級冒険者だ。
仕事は輸送の護衛、ついでに荷運び。
最下級冒険者の仕事なんて害虫退治やドブ掃除だから、それに比べれば内容も報酬も遙かにマシだったりするのだが、中堅以上の冒険者にとっては果てしなく退屈な仕事だ。
ダンジョン探索なんかと違って一攫千金のチャンスも無い、ただ給金を貰うだけの仕事。寒風吹きすさぶ中を延々行軍した報酬がそれでは割に合わないというのが大半の冒険者の意見だろう。
そんな中でシエル=テイラ行きに応じるような上級冒険者はもちろん“怨獄の薔薇姫”狙いだった。
「やれやれだ。『荷運び』っちゅう魔物はワイバーンより強いんじゃないか」
「サイクロプスよりは強いぜ。俺が保証する」
人足と同じような大荷物を担いだ
雪の中でも堪えた様子無く、悠々と歩みを進める彼らは共に
方や“蒼銀の絆”、方や“砂丘の留め金”。どちらも
荷運び人足やそれを管理する輜重兵など、この行軍に含まれる輜重隊はウェサラの街に物資を届けたらノアキュリオに一旦帰る予定だ。
そしてほとんどの冒険者は輜重隊の帰り道の護衛についてシエル=テイラを離れる予定なのだが、このふたつのパーティーは違った。
その後の王都攻略戦にも参加する契約なのだ。それも『市街戦になったら自由に動いていい』『もし“怨獄の薔薇姫”を討ち取れば多額の報奨を出す』とまで言われているのだから張り切っていた。
露払いを軍にやらせて、美味しいところは自分たちが持って行こうという心算だ。脅威を排除してグラセルム利権を手に入れたい国と、ネームド討伐の名誉・報奨を求める冒険者たちの利害は競合せず、一致していた。
上級冒険者の実力に見合う難度・報酬が用意された
手近なところに丁度いい
ネームドモンスターとの戦いはヒロイックな幻想が付きまとう、冒険の華のひとつ。功名心と冒険心を刺激するには充分だった。
気がかりは情報不足だが、軍が今後行う情報収集の成果は彼らにも共有されることになっていた。
それに2パーティーは共に
「よし、今日はここまでだ! 野営の準備に入れ!」
前衛部隊の部隊長である騎士が命ずると、帯同する兵が小さなラッパを吹き鳴らした。
次いで、山彦のように同じ音色が後続のあちこちから立ち上る。ラッパの吹き方によって様々な意味があり、これは最前列が野営地に到達したという合図だった。
行軍の行列はかなり長い。そのため、全体に状況を知らせるためにラッパが使われているのだ。
号令一下。
兵たちだけでなく、行軍に加わる冒険者たちも分担して設営を開始した。
荷運びの船も川岸に係留される。
「……歩いた気がしねぇぜ。大勢だと進むのが遅くって面倒だなあ」
「そう言うなよ。俺らの速度で歩いたら馬だって付いて来られねえぞ」
「違いない」
テキパキと天幕を整えながら、ふたりの冒険者は軽口を叩く。
道なき道を行くことに慣れている冒険者には、未舗装の街道であろうと散歩のようなもの。
加えて身体能力もかけ離れているのだ。彼らにとって行軍の速度は遅すぎる。
熟練冒険者たちは野営も慣れたもので、手早く野営の準備を終えるとめいめいくつろぎ始めた。
まだ夕食の支度には少し早い。身体がなまらぬよう剣を打ち合ったり、魔導書を読みふけったり、持参した酒を舐めるドワーフもある。
やがて辺りが暗くなり始める頃には、野営地のあちこちから煮炊きの煙が上がった。兵たちが各々ちょっとしたものを調理する傍ら、簡易の仮設竈で大鍋が火に掛けられ、スープが数百食分ずつまとめて作られている。
ぼんやりとした明かりがいくつも灯る様は、何故か郷愁に駆られる眺めだった。
そして、辺りが暗くなるにつれて彼らは気付く。
自分たちとは違う『明かり』がすぐ近くに存在することに。
「なんだ、ありゃあ」
冒険者たちは訝しげな声を上げる。
街道の前方に、赤くぼんやりとした明かりが立っていた。
「こんな場所に人が住んで……? いや、違うよな」
「人が住んでいるとか、旅人が煮炊きをしているという感じじゃないな」
「……
呟くように言ったのは、“砂丘の留め金”に所属する女
いつもぼんやりしている彼女だが、精霊については間違いを言わない。
「斥候も出ているとは思うが……魔物絡みの事態だとしたら兵の手には余る。様子を見てこよう」
立ち上がったのは“蒼銀の絆”のリーダー、コクソンだ。
コクソンは三十路過ぎの男で、「顔を隠したらオーガに見える」と言われるほどの筋骨隆々たる大男だ。自ら討伐したレッドドラゴンの甲殻と鱗で作った鎧を身に纏っている。
鎧の下の肉体は当然、手の甲や顔にも縦横に傷跡が走る様は彼がくぐり抜けてきた死線の数を物語る。勇敢で責任感が強い彼は他の冒険者からの信頼も厚い。
「我々が確認しに行く。“砂丘の留め金”は警戒に当たってくれ。それと、念のため将軍にも相談を」
「分かった」
コクソンの後に続き、“蒼銀の絆”のメンバーたちは駆けだした。
* * *
その明かりが何なのかは、ある程度近付けば分かった。
街道脇で馬車が燃えていた。
横倒しになった馬車が燃えていた。
周囲に残った雪を溶かし、露出した地面を焼き焦がして。
「こんな所に、馬車ひとつきりか」
「商人か何かか……?」
よくあることだ。
自分の幸運を過信して充分な護衛を雇わないとか、あるいは運悪く凶悪な襲撃者に出会ってしまったとか。
よく
そして狙われた者は、しばしば命を落とす。
とにかく問題なのは『馬車が燃えている』ということだ。
いつ火が付いたか分からないが、まさか昨日や一昨日ということはないだろう。
何者かが馬車を襲い火を放ったか、明かりが引火でもしたか。あまり時間は経っていないはずだ。
「……状況を探るぞ。戦闘態勢」
「
「それよりも周りの気配を探ってくれ」
「了解。……≪
杖を掲げた魔術師は、何かに気がついた様子で顔色を変える。
「どうかしたか?」
「反応ひとつ、馬車の手前! 生きてる!」
「何!?」
すぐにコクソンたちは走り出した。
燃え上がる馬車のディテールが見えるくらいの距離まで来ると、コクソンにもそれを見ることができた。
誰かが、行き倒れるようにこちらに頭を向けて倒れていた。それは燃える炎に照らされて黒い影のように見える。
近付いていくと、その人影が思ったより小さいことが分かった。それは粗末な服を着た少女だった。
「生存者か!?」
「治療を!」
コクソンは
そしてコクソンが、少女の様子を確かめようとかがみ込んだ時だった。
「君、大丈夫……」
パァン! と、爆竹の弾けたような音をコクソンは自分の胸元から聞いた。
何度も経験がある。覚えがある。これは護符が弾け飛んだ時のものだ。不意打ちに供えて装備していた2枚の護符が同時に限界を迎えていた。
高位魔法の直撃を3発くらい食らっても平気な態勢だったはずなのに、その防護が一瞬で剥がされた。
コクソンの足に、少女が手を伸ばしていた。その手には紅玉を削り出して作ったようなナイフが握られていて、ブーツを貫通してコクソンの足に突き立てられていた。
痛い、と思うのとほぼ同時。
背中を獣に舐め上げられているようなおぞましい感覚をコクソンは覚えた。
眼前に倒れた少女から、手を伸ばせば触れられそうなほどに濃く、邪悪な気配が立ち上る。
「なんっ……!」
足先が裂かれるのも構わず、可能な限りの速度で飛び離れつつコクソンは剣を抜こうとした。
後ずさりながらもコクソンは少女から目を離さず、そして、それが命取りになった。
少女の手の中でほどけるように赤刃が消え去る。
そして彼女はさっと顔を上げた。銀色の双眸が、凶兆の赤い月のように妖しく輝いた。
コクソンは自分の全てが満たされていくのを感じていた。
* * *
コクソンたちが戻ってくると、“砂丘の留め金”の面々だけでなく、周囲にいた兵や冒険者たちもおっかなびっくりという様子で出迎えた。
「どうだった?」
「……馬車が燃えていた。賊に襲われたのだろう。生存者は……居なかった」
代表して聞いてきた“砂丘の留め金”の
守れたかも知れない命を惜しみ、悔やむ。それがいつものコクソンだからだ。
「賊で間違いないのか?」
「ああ。略奪の痕跡があったのと……あとは死体の傷跡。あの剣筋は人間か、似たような体格の種族によるものだ。
シエル=テイラはご存じの通り酷い国情だからな、山賊被害も増えようというものだ」
その言葉を聞いて、周囲が安堵するのをコクソンは感じていた。
まさかこれだけの兵と護衛冒険者を連れた大規模な補給部隊を襲おうなんて賊は居ない(酔っ払っていたとか薬でラリっていた場合は分からないが)。
ひとまず無視して通るにしても、後顧の憂いを断つため排除するにしても、一行の脅威にはなり得ない存在だ。
「とにかく、ギボン将軍に報告を」
「ああ」
コクソンは冒険者たちと分かれ、野営中の長い隊列を遡って本陣へ向かった。
将軍の居場所は隊列中央だ。
道すがら“蒼銀の絆”のメンバーは無言で別れていく。それぞれの持ち場を目指して。
やがて、兵向けに貸し出されている粗末な天幕とは明らかに違う、立派な天幕ばかりが林立する区域に差し掛かる。
将軍であるギボン侯爵と部隊の幹部クラスが集まっている場所だ。
空気のニオイが変わったような気がした。
辺りには聖気の結界が張られている。
相手が大量のアンデッドであることから用意された『星河の杯』は、既にウェサラに二基が配備されており、さらにテイラカイネへ設置するため追加輸送されている。
行軍中である今も念のため使用されているが、
「こんな前線から離れた場所で使って何の意味があるのか」「こんな狭い範囲だけ守ったところで意味がないのでは」という指摘も出たそうだが、将軍であるギボン侯爵が自腹を切って使っているのだから文句を言う義理はない。
――こんなもの、いくらでも破りようがある。邪気しか防げないのだから至近距離から元素魔法を叩き込めば天幕ごと吹き飛ばせるし、それに……
合理的ではないな、とコクソンは思った。ただなんとなく心の安寧のために使っていたのだろう。
「“蒼銀の絆”リーダー、コクソン。参りました」
「入りたまえ」
防矢・防魔法の加工が施された天幕の入り口から声を掛けると、ギボン侯爵本人ではなく警備する騎士が応えた。
暖房用の
折りたたみ式の椅子に座るギボン侯爵は既に老齢。陣中だというのに身綺麗で、痩せこけた顔の上にはフサフサした個性的な被り物を載せている男だ。
「よく来た、“蒼銀の絆”よ」
将軍は気さくにコクソンを出迎えた。
貴族階級からは冒険者など浮浪者同然に思われるのが常で、気安く口をきくなど普通はあり得ない。
だが上級のパーティーともなれば社会的地位はかなりのもので無視できない存在となる。内心で見下していたとしても相応の対応をせずにはいられないのだ。
「何か妙なものを見つけたと聞くが?」
「ええ、その件なのですが」
コクソンは抜剣一閃、稲妻のように踏み込んでギボン侯爵の胴部を両断した。
「え……」
驚愕に目を見開き、彼は血を吐く。
宙に吐血のアーチを描き、椅子の背もたれごと斬り飛ばされた上半身が地に落ちて転がった。
そこでようやく、ふたりほど控えていた護衛の騎士たちが反応する。
「な……っ!?」
「何を!?」
防具すら身につけていないただの正装だったギボン侯爵と異なり、護衛は完全武装している。だが彼らは完全に気が緩んでいた様子だ。
コクソンがいきなり斬り付けたりはしないだろうという油断。そして、未だ戦場からは遠く危険な事態などそうそう起こりはしないだろうという油断。
返す剣でコクソンは護衛の片割れに斬り付ける。己の剣を抜ききりもしないうち、騎士は顔面に剣を突き込まれて絶命した。
次いで、もうひとりが振るった剣を巻き取るようにねじ伏せたコクソンは、騎士のすね辺りを蹴り飛ばしてバランスを崩し、転倒しかけた彼が晒した首を処刑斧の一撃のように刎ねた。
「全員、行動を開始しろ!」
コクソンは