[2-29] 一かけ、二かけ、三かけて
「急にどうしたの?」
「死人が出たの。事情は後で説明するわ」
ルネとトレイシーは街角にある煉瓦の階段の下で落ち合っていた。
トレイシーは
その首から上は琥珀色の目と黒髪おかっぱの少女。猫耳の無いミアランゼの顔だ。
「はいこれ、姫様の分」
ミアランゼ顔のトレイシーが、オペラマスクみたいなものを取り出した。
ルネがここまで顔を隠してきたフードを脱ぎ、代わりに仮面を顔に当てると、それはぴたりと吸い付いた。
「オッケー、顔変わったよ」
自分では分からないが、これでルネもミアランゼの顔に化けられたはずだ。
銀鏡の仮面。
他人の顔というか頭部を写し取り、自分の頭に幻影を被せて変装するマジックアイテムである。
ちなみに猫耳はサポート範囲外である模様。
社会的な信用があるトレイシーは、あまり顔を晒して怪しげな行動をしない方が良い。彼の顔にはまだ利用価値があるのだから、その価値をわざわざ低めることはない。
ルネは純粋に目立ちすぎる。と言うか銀髪銀目の10歳の少女を見たら、今のシエル=テイラ国民は誰だってゼロコンマで“怨獄の薔薇姫”を思い浮かべるに違いない。
同じ顔になったふたりは夜に紛れるように行動を開始した。
「酷いニオイね」
鼻をひくつかせてルネは顔をしかめる。
何かに例えることが憚られるようなえげつないニオイが辺りには漂っていた。
「この近くの数カ所でコウモリゴロシを燻してるんだ。
獣の鼻ならこれで潰せるから、血のニオイが立っても気付かれないはずだけど……あんなものが焼かれてるって事自体怪しいわけだから、すぐに誰かが状況を調べに来るよ」
「分かったわ。……もう聖獣の気配がいくつか動いてるわね。孤児院の方に釣られてくれたらラッキーなんだけど」
「うひゃあ。急ご急ご」
向かう先の宿屋は煉瓦積み風の外観を持つ小洒落たものだった。
雪の残る庭には植木が整然と並び、前衛芸術的な石の彫刻が置かれている。
そして少し広くなったスペースに狛犬のように鎮座するのは、白い体に黄金の装備を身につけたような虎。
聖獣である。
街中に現れた聖獣たちは、初めは市民から怖がられたようだが、ノアキュリオ軍の聖獣だと知れ渡るにつれて受け容れられていった。
基本的にじっとしているだけなので、面白半分に突っつきに来る子どもまで出る始末だ。
庭のど真ん中に座る聖獣目がけ、ルネは堂々と近付いていく。
動く気配は無い。
この聖獣たち、どうもゴーレムかロボットみたいに融通が利かないらしい。
こんな夜中に自分に近付いてくる少女は普通に考えたら怪しいだろうが、そんな物への対処は命令外なので微動だにしないのだ。
視覚は変装で誤魔化した。
嗅覚はどの程度鋭いか分からないが、仮に個人を判別できるほど鋭かったとしてもコウモリゴロシのニオイで潰した。
気配は魔法によって完全に遮断している。
ルネは聖獣の背後に回り込み、そこでデュラハンの姿になった。
首を外すと、手の中には呪いの赤刃が生まれた。
「こんばんは、聖獣さん。さようなら」
赤刃を軽く一振り。
お座りポーズのまま、虎の首が落ちた。
脱力した身体が横倒しになり、血が流れた。
「あら、殺しちゃってよかったの?
「だったらこの聖獣が様子を探りに動いてなきゃおかしいわよ。だけど、城の近くに居る聖獣の気配が接近してきてる。
たぶんこいつ、特定の状況で行動開始するように命令されてるだけで、それ以外の場合は直接命令されなきゃ動けないんだと思うわ。でなきゃ
「なるほどね」
不動の聖獣たちが動き出す例外は、確認できたのは『血のニオイ』と『アンデッドの気配』。
2日前に路上で強盗事件が起きた時、人が刺されて血が流れると近場の聖獣が飛んで来たそうだ。
アンデッドに関しては言わずもがな。ルネが試しに街の外でスケルトンを一匹作成し街に近付かせたところ、近くの聖獣が吠えて仲間を呼び、一斉にすっ飛んでいって駆除した。
そして、どちらの場合も聖獣は状況を確認後、報告のためなのか城へ行った。
これらの事例から、聖獣と術者(?)の間に精神的な繋がりは無いか、あるとしても超短距離に限定されているだろうとルネは断定していた。
術者は聖獣の五感から情報を得ておらず、さらに適宜指示を出すこともできていない。アンデッドを見つけた聖獣も、わざわざ吠えて仲間を集めていた。
「戦いの音に反応するかは分からないけど、これで多少はうるさくなっても大丈夫よ」
「了解。さて、こっからはボクの仕事かな。標的以外全員寝かせてくるよ」
* * *
ラルフは幸せな夢を見ていた。
「んふふふ……激しい……そんなに私が好き……ぐごごごごごご……」
そして突然、宙に放り出された。
「うわあああ!?」
何が何だか分からないまま浮遊感を覚え、そして直後、冷たい床に顔から叩き付けられた。
「ぶぎゅる!!」
鼻の奥が鉄臭い。鼻血を流しながら身を起こすと、あり得ない事が起こっていた。
ラルフが寝ていた大きなベッドが。大人の男でも4人くらいでかからなければ持ち上げられないであろう大きなベッドが、軽くひっくり返されていた。
暖炉を模した暖房用
「ひえっ、ひええええっ! なな、なんなんだお前たちは!?」
何が何だか分からなかった。この少女たちが、あの巨大なベッドをひっくり返したとでも言うのだろうか。
後ずさるラルフに距離を詰め、小さい方の少女が真っ赤な剣を突きつけた。
宝石を削り出したような剣を。
「ラルフ・ブレッド・マクレガー。用件はただひとつよ。死んでちょうだい」
ラルフは、その目に恐怖した。年端もいかぬ、何者とも分からない少女相手に恐怖した。
ラルフを見下ろす琥珀色の目には狂気じみた光があった。
一欠片の揺らぎも無い。雑草でも刈るように人の命を摘める者の目だった。
得意の魔法で抵抗しようという気にすらならなかった。
ラルフは、咄嗟に声を上げて人を呼ぶことしかできなかった。
いずれにしても結果は変わらなかったが。
「だ……!」
声を上げかけた瞬間、大きい方の少女が風のような速度で距離を詰め、ラルフの喉を手刀で突いた。
「ごほぁっ! ごほ、ごほっ!」
さらに彼女は流れるような手際でラルフに猿ぐつわを噛ませた。
「『誰か助けて』って言おうとしたのかしら?」
「むぐ、むぐふう!」
小さい方の少女がせせら笑う。
――こ、こいつらは何なんだ! 何者だ!? 何をしに来たんだ!?
何か致命的な事態が進行しているのだと、ラルフはようやく理解しつつあった。
「あれを」
「はーい」
そしてふたりは変なものを取り出す。
剣でもナイフでもなく、長めの釘と金槌を。
「ごめんねえ。こんなの趣味じゃないけどボクもお仕事なんだ」
年上の方の少女がラルフの身体をねじ伏せた。
そこへ小さな方の少女がのしかかり、全く無造作にラルフの腕に釘を打った。
「んぐ――――! んぐ――――!!」
激痛が、稲妻となってラルフの全身を駆け抜けた。
少女は信じられない力でラルフの手足に次々釘を打ち、ラルフをまるで昆虫の標本みたいに床に縫い止めていく。
痛い。信じられないくらい痛い。
だがその痛みから逃れようと身をよじれば、傷口が開いて更に痛い。
のたうち回りたいほど痛いのに、全ての苦痛を呑み込んでじっとしていることしかできない。
ラルフは猿ぐつわを思いっきり噛み締めていた。
「うがああ! うあああああああ!! なんれ……!? いぎゃああああ!」
「せめてもの慈悲として、あなたがどうして死ぬのか教えてあげましょうか。
あなたが陥れて殺した、誰かさんの恨みよ。魂くれるって言うから復讐代行してるの」
叩き付けるような少女の言葉。
ここまで言われれば何のことか分かる。
ラルフにだってズルいことをしているという自覚はあったのだから。
だが極めて貴族的で高貴な視点からラルフ様は国際情勢を見通しておられなさってございました。
あの状況でユインを無罪放免するのはあり得ない。たとえユインに非が無くとも何らかの『罰』が下されただろう。万民の安寧ため、ユインは犠牲になる必要があった。
あくまでもラルフはそれに乗っかっただけ。ユインへの『罰』がちょっと自分の思い通りになるよう背中を押しただけなのだから、ここまでされる謂われは無い……!
「ひがう! ひがうんら! わらひのはなひをきいれくれ!」
「なに? 『話を聞け』?」
首がもげそうなくらいにラルフは頷いた。
謎の少女は真面目くさった顔で思案する。
「……これが裁判なら、あなたの申し開きを聞く者も居たのでしょうね。
誰にでも納得できるような形で罪が示されて、はじめて罪と認められる。容疑者にも正統な抗弁の機会が与えられる……それが正しい裁きの在り方だわ」
首が千切れそうなくらいにラルフは頷いた。
少女は優しく微笑んで、自らの顔に手を掛ける。
「ユインとかいう騎士さんも、ちゃんとした裁きを受けられれば良かったのにね」
少女の顔が剥がれた。
琥珀色の猫目を持つ、どこかオリエンタルな雰囲気の白面。その顔が、六角形の光を継ぎ合わせたものと化し、やがて光の粒子となって霧散。残ったのは白いオペラマスクだ。
磁器のようなオペラマスクを外した下から出てきた素顔は、狂気に歪んだあどけない銀髪銀目の少女のもの。
彼女が何者なのか分からないわけがない。
王都を陥とし、今まさに国を滅ぼさんとしている悲劇の王女。
“怨獄の薔薇姫”……ルネ・“
「わたしは復讐者。あなたの正道邪道など埒の外。ただ不条理を以て押し通るのみ。
……わたしに出会った不幸を嘆きなさい」
「うぁ……あ…………」
ラルフは、声が出なかった。
既に手の施しようが無い事態になっていたこと、万に一つも生き延びる見込みが無いことを、ラルフはようやく悟ったのだ。
「あなたが散々苦しむ様を見てから殺したかったのだけど、時間が無いみたい。それだけが残念だわ」
どこかで聞いたような言葉だとラルフは思った。
ルネはラルフに背を向け、謎の黒い影に手を掛けた。
この時、ラルフは初めて気がついた。宿の庭に置いてあったはずの正体不明の石像が、何故か今は部屋の中にあることに。
「さあ。蘇生できないよう、グチャグチャにしちゃわないとね」
自分の身長より大きな石像を、恐ろしいことにルネは軽々持ち上げてしまった。
そして、彼女は石像を運んでくる。
ラルフの上へと。
うんと背伸びをして、ルネは石像を天井に付く高さまで掲げる。
「質量×高さ×重力加速度」
黒々とした巨大な影がラルフの視界いっぱいに広がった。
――あああああああ!? や、やめてやめてそんなもの載せたら死ぬ死ぬ死ぬ死