薄暮をとうに過ぎ帰路を歩むコート姿の人の黒い綿棒のような姿よりもなお黒い小さな点が赤信号の横断歩道を毛足の長い絨毯の上で転がる布玉くらいの速度で渡りはじめ
にわかに強くなりはじめた初冬の風に飛ばされてきたドラッグストアかどこかのビニール袋の類であろうかと反対側の歩道から目をこらせばどうやら猫である
遠くから、しかし軽快な速度で長く前に伸びるうす黄色いライトを灯した小型車が光ごと走ってくるのに黒いまま照らしだされて猫はその路のまんなかで立ち止まりかけたので
思わず危ない危ない危ないよー早くこっち!と大声で叫ぶと一瞥という言葉の成立しないほど短い瞬間こちらを見たかと思えば一転猫は布玉からビー玉に変身して走りだし
こちら側の歩道に隣接する古団地の敷地の芝生に覆われた小山まで一気呵成に駆けあがるとそのいちばん高いところに何事もなかったかのようにゆっくりと鎮座した 息も乱れないビー玉の眼
真っ黒黒の体真っ黒黒の額に画竜点睛小さい白いいびつな星の、小柄な金の眼の成猫の無事と見事なその平静を見
ほっとすれば徐々に勝ってくる小さいかわいいものをずっと眺めていたい気持ちのまま立ち去りがたく重い荷物をしびれた両の手にぶらさげて立ち止まっていると
猫には思いも至らない手順を踏んで横断歩道を渡ってきたやわらかい緑の灯りの点滅を背負った人が突としていやー猫ちゃん無事でよかったね、
一生懸命叫んでよかったね、と白い息でほほ笑んだので向こう側にこちら側の人間ごと同じ場面をつぶさに見ていた人のあったことに今さら気がついてひどく赤面した
気恥ずかしさからそそくさと猫とその人の前を去り同じ横断歩道を渡ったがあの猫はこれからどこで眠るのだろう、とふと考えて対岸を振り返れば小山の上にもう猫はいなかった