原発事故と「食」――市場、コミュニケーション、差別

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1.なぜ原発事故後7年経って、この本を書いたのか

 

都市社会学・地域社会学を専門領域とする私は、放射能の「ホットスポット」となった千葉県柏市で、地域の生産者・消費者らによる協働的な放射能測定と情報発信プロジェクトに携わったことを皮切りに、東日本大震災以降、おもに地域づくりと農漁業復興の観点から、放射能災害被災地の食品をめぐるコミュニケーションに実践的に取り組んできた。そんな自身の経験を踏まえて上梓した『原発事故と「食」――市場、コミュニケーション、差別』(中公新書、2018年2月)を、自著紹介したい。

 

震災後6年以上も経った時期になってこうしたテーマの本をあえて書いたのは、twitterなどを舞台に、原発事故後の放射線リスクをめぐる「罵りあい」が一部の人たちの間で延々と続く一方で、大多数の人々は、終わりが見えない論争を横目に被災地への関心を失ってゆく、そういう状況が私にはどうにも不健全に思えたからだ。そしてこの構図は、その後さらに2年近く経過しても基本的には変わらず、最近では深刻化する日韓関係をめぐる議論をも巻き込んで、ますます政治的な色彩が濃くなってしまった感がある。

 

いわば、いまだ「風評」被害が根深いとされる一方で、風化が進行していく。それは、事故直後にも増して、ターゲットによって異なる複雑なコミュニケーションが必要とされる状況である。そこにおいて、「デマ」を批判して科学的な説明を繰り返すことだけで、福島県をはじめとした放射能災害の影響を受けた産地の食品の需要回復という、いわば実利的な目的が達成できるのか。

 

すべての消費者が科学的な事実に納得して福島県産品への偏見を解除し、結果としてその売上が拡大すると想定するのは、あまりにも楽観的なように思われるが、それは同時に、この災害の社会的な悪影響を払拭するうえで(自然)科学に対して過度の期待をし、いたずらに「勝利条件」を厳しく設定しすぎているとも言えないだろうか。

 

本書で横断的な課題に取り組むにあたって、農業・漁業経済学、社会心理学、リスク研究など隣接諸分野に越境するという、社会学者である自分としてはかなりの「蛮勇」を振るったが、社会科学者(「社会学」者との相違がややこしいが)としての役割は一貫して強く意識していた。

 

原発事故後の(自然)科学的な放射線リスクの評価は、おおむね決着してきている。社会科学者もその科学的な知見をできる限り理解し、尊重すべきなのは当然だ。しかし、原発事故の社会的影響は巨大で、まだ先が見えないことがたくさんある。そのとき社会科学者に求められるのは、「科学的な正しさ」を社会に伝えるコミュニケーター役、というだけではないだろう。ましてや、借り物の「科学の言葉」を盾に、社会的なハレーションを強引に押し切る役どころではないはずだ。

 

なぜ「科学的な正しさ」が社会に受け入れられないのかを検討しつつ、「科学的な正しさ」が限定的にしか機能しない社会状況を前提に、その状況下でなおいかに地域の復興をなし遂げるか、そして、リスク判断の異なる人々が決定的に分断しないような社会的な規範をいかに構築しうるか。そうしたトピックを、広い地域の人々が福島県に関わるチャンネルとして最も一般的な「食」をテーマに、社会科学者としてあくまで「社会の言葉」で考え切ろうとしたのが、この『原発事故と「食」』である。

 

 

 

 

2.市場で起こっていたこと

 

前記のような状況認識と問題意識のもと書かれた本書では、震災後7年となる福島県産品をめぐる課題を4つのレイヤーに分けて論じ、それぞれの消費者層に対して異なってくる、有効なマーケティングやコミュニケーションを4つの各章で検討している。

 

すなわち、1)大多数と想定される福島県産品を避けることのない消費者でも、スーパーの棚にそれらが「置かれていなければ買いようがない」問題、2)普段は放射能問題を意識していないが、福島県産品の現状に関する情報アップデートがなされていない「悪い風化」という問題、3)情報発信主体に対する不信感の強い層に対する信頼構築の課題、4)いかにコミュニケーションを尽くしてなお一定割合残ると想定される、強固な忌避感を持つ消費者層との社会的共生の課題、である。以下、それぞれについて、駆け足になるがみていこう。

 

2013年から継続的に「風評被害に関する消費者意識の実態調査」を行ってきた消費者庁の最新の調査結果(2019年3月)では、放射性物質を理由に福島県産品の購入をためらう消費者は12.5%となっている。この調査は設計上、小さめの数字が出がちではあるが、ほかの近年の調査でもこの比率は10%台から20%前後の数字となっており、「売っていれば福島県産を避けることなく買う」消費者が大多数であることは間違いない。そうなると、福島県産品の売上が回復しない問題の大半は、消費者の選択が発生する以前の流通段階で起こっているということになる。

 

ただ、品目によって経験してきた道筋は相当に異なる。たとえば、福島産野菜の代表格であるキュウリでは、全国的な豊作で市場がだぶついていた2012年を除けば価格下落の影響は限定的で、2013年には全国平均単価より高値に回復している。

 

それに対して、県の農業産出額全体の3割程度を占めるコメでは、浜通り・中通り産のコシヒカリが、2011~15年にかけて全国の産地の中でも最下位とブービーを争ってしまったように、「風評」被害の影響が長引いた。コメは、生産段階でのセシウム移行低減対策が早期に研究されてそれが県内農家に浸透し、出口にあたる出荷段階では全量全袋検査という空前絶後の綿密な検査体制が敷かれていた――すなわち、懸念の余地がない最も高度な安全性が確保されていたにもかかわらず、である。

 

また、漁期には全国の巻き網・一本釣り漁船がほぼ同じ沖合の海域で操業をすることから、2011年当初から完全な「風評」被害であったと言い切りやすいカツオの水揚げが、いわき市の小名浜港や中之作港にほとんどなくなってしまったのはなぜか。こうした状況を理解し、今後の適切な戦略を展望するために、いくつかの代表的な福島県産品の品目ごとに市場特性や流通構造を検討したのが、本書の第1章である。

 

そして、原発事故当初の「風評」をきっかけに福島県産の代替となった産地が、それぞれに努力を重ねて小売りの棚に食い込み、原発事故後数年経つと、変化した市場構造が固定化していく。そこであらためて小売りや卸が福島県産を再び取り扱うためには、一定のスイッチングコストがかかるうえに、福島県産に懸念を持つ「声の大きい消費者」のクレームに対して、流通の各段階で過剰に忖度する傾向もあるからだ。

 

本書出版後に筆者も関わった農林水産省の平成30年度福島県産農産物等流通実態調査では、流通の川下(たとえば、卸売業者にとっての小売・加工・外食、小売業者にとっての消費者)の福島県産品取扱・購入意欲を、実際よりも低く見積もる傾向が顕著にみられた。これは、「風評」被害がいまだに存在する、と流通各段階が過剰に想定することで、結果として福島県産品が「売られていない」「買いたくても買えない」状況の発生を示唆しているとも考えられる。「消費者の知識不足による忌避、売上低迷」という従来の「風評」被害スキームそのものも、そろそろ更新すべき時に差しかかっているのかもしれない。【次ページにつづく】

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.268 

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