「即位の礼」の空に虹 大騒ぎに思うこと(古市憲寿)

社会週刊新潮 2019年11月14日号掲載

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 10月22日、即位礼正殿の儀が執り行われた。宮内庁のウェブサイトによれば「天皇がご即位を公に宣明されるとともに、そのご即位を内外の代表がことほぐ儀式」だという。

 当日の東京は朝から強い雨が降っていた。しかし儀式が行われる午後1時前後から突然雨が上がり、空には大きな虹まで懸かる。SNS上は大騒ぎだった。ある作家などは「天が新天皇の即位を寿ぎ、日本を祝福している」「日本人の多くが天照大神の存在を見た」とツイートしていた。

 確かに偶然にしてはよくできている。人知を超えた何かを信じたくなる気持ちもわかる。奇しくも今年は新海誠監督の「天気の子」という映画がヒットしていた。天気を自由に操れるヒロインが主役の青春アニメだ。

「天気の子」になぞらえるなら、古くから天皇は「天気の神」であることを期待されていたのかも知れない。

 そもそも天皇家の祖先は天照大神ということになっている。農業国家だった古代日本において、天候は今以上に人々の生き死にを左右した。昔の人々が天皇家に天気のあれこれを期待してもおかしくない。

 しかし「天気の神」伝説は20世紀にも復活してしまう。神風だ。神の国である日本は、ピンチになれば神風によって救われるというトンデモ思想である。13世紀の蒙古襲来時に嵐が日本を救ったという神話がアジア太平洋戦争時に蘇ったのだ。

 もちろん都合よく神風なんて吹かずに、日本は大敗を喫する。ちなみに蒙古襲来時に戦地を嵐や台風が襲ったのは本当だが、勝敗に決定的な影響は与えなかったらしい。実際、台風が去った後も戦いは続いていた(服部英雄『蒙古襲来と神風』)。

 だが現代人も神風をトンデモ思想だと笑えない。「天皇家の大切な儀式の日だから空が晴れた。それは神の力だ」と考えてしまうことと、戦時中の神風への期待には親和性がある。

 進化遺伝学風に言えば、神の存在や宗教を信じやすい人々の生き残りが現代人なのだから、何かとんでもない偶然を目にした時、それを神の力だと考えてしまう気持ちはわかる。

「とくダネ!」で例の「奇跡の虹」について意見を求められたので「たまたまでしょう」と発言したら、興をそぐなと批判が殺到した。おめでたいことだから喜んでおけというのだ。

 しかし「天気の神」に期待しすぎるのは頂けない。

 今年は大きな台風が列島を襲い、各地に多数の死者を出した。もしも本当に日本が神の国であり、「天気の神」がいるのならば、即位礼正殿の儀に虹を見せるだけではなく、台風被害も抑えてくれたのではないか。あれほどの人が死ぬ必要はなかったのではないか。

 古代と違って、現代人には天に祈る以外にできることが無数にある。気象制御の研究も進んでいるし、治水技術も大きく発達した。多少の日照りくらいで人々が餓死することもなくなった。現代における祈りとは万策尽きた後の、ささやかなSOSである。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。