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春の訪れ

作者:日向夏

大学生になって初めて迎える春休みはもうそろそろ幕を閉じようとしている。私は大学生らしい堕落して目的のない無味な毎日を過ごしていた。春休みが二月から始まってからというもの、三月後半になるまで、朝に寝て夜に起きるという昼夜逆転、生活リズムが狂った生活をしていた。独り暮らしを始めてから自分の城に閉じこもっていて、その空間はとても閉鎖的で居心地の悪い場所だったが、地元と違ってよく分からない外の世界に出かけるという選択肢はあまりにも勇気がいるものだった。つまり簡単に言うと、私には友達がいないのだ。


 そんな引きこもり体質な私には、引きこもりらしからぬ欲望があった。それは、「無条件に目立ちたい」というものだった。その欲望は大学生になってむくむくと膨れ上がっていた。いや、それはちょっと違う。私は自分が目立ちたがりであることを知っていたが、その願望を頭の隅におしのけていた。

大学に通い始めてから、自分はちっぽけでありふれた存在であることに気付いた。大学という広い校内には溢れんばかりのさまざまな人がいた。そこで、私は自分の視野がいかに狭かったかということを考えさせられる。個性的な人や幸せで仕方ないというような男女グループ。自分にはないものを持っている名前も知らない若者に対し、私は常に嫉妬心を持たずにはいられなかった。私は自分がどこか特別な人間であると思ってきたし、今までの学生生活の中でもわりと幸せだったと思っていた。そんなものを一気にハンマーで壊されたかのような衝撃を受けた。私はこの世界では全く特別ではないし、優れてもいない、そして私の今までの経験はありふれていたものだった。そのことに気付いてからというもの、どこか冷めた目でクラスメートのことを見るようになり、私は自然と孤立していった。憧れのキャンパスライフは音を立ててガラガラと壊れていった。どこにでもいる女子大生なんだから、なにをしても同じで、そのことをやるのは別に誰でもいいんだ、と、考えるようになってからは、なにをしても心の奥から「楽しい」と思うことはなくなって、むしろ、退屈でつまらないものになった。

驚いたことに、女子大生という生物はどうやら髪色を茶色くするらしい。その女子大生にカテゴライズされる私も例外なかった。そして、そのことはより一層私の無個性を際立たせる原因となり、すぐに嫌になった。私はすぐに茶髪をやめた。

しばらく黒髪で過ごしていた中、春休みに突入し、たまたま見ていたテレビにある女性アイドルグループが映った。そのアイドルは今流行しているらしかった。ほとんどのメンバーは黒髪や若干茶髪でロング、ななめ前髪と、私の大学の無個性大学生たちと同じ髪型で、私は「かわいい」と思うことができなかった。無個性。それは私をつまらなくさせる。しかし、一人の女性に私は心を奪われた。

その女性は綺麗なブロンドの髪をしていた。金髪、ボブ。はっきりとグループの中でも存在感を示していた。私は食い入るように画面を眺めた。よく見てみるとその女性の顔のパーツが整っているとか、そんなことは全然なかったし、特別「かわいい」わけでもなかったが、私は彼女を一目で好きになった。そしてその憧れは私の「無条件に目立つ」ということの答えになった。


 次の日の私は美容院にいた。それは冬の寒さが消え失せ、ふんわりと柔らかい日差しに照らされていた日だった。私は久しぶりの外出で季節の移り変わりの早さに驚いた。考えてみると外に出るのは一週間ぶりだった。引きこもりで人と接することがなかった私は普段では考えられないくらい饒舌になっていた。「あの人気グループの金髪の子と同じようにしてください」と言うことも忘れなかった。美容院での私は無個性からの脱却に心躍らせていた。今まで目的もなく伸びていたロングの髪を三十センチ近くバッサリすることにも抵抗はなかった。ハサミが自分の髪に入る時私は自分の安直な考えに笑みがこぼれた。「目立つ」ように髪の毛に色をつけるという安易なことをしようとしているのだ。だからと言って後悔の気持ちはまったくなかった。

「じゃあ、切るよ、ちょっともったいないけどね」

 美容師の声に私はうなずく。目を閉じた。私は変わるんだ。考えてみるとボブヘアーにしたことは今までなかったし、髪質的にもできるかどうか不安はある。それでも私はもう決めたのだ。


 鏡の前の私は自分でも見惚れるほどにかわいかった。思わず笑みがこぼれる。人生で初めての前下がりボブは驚くほど似合っていた。美容師の「似合ってますね」という、営業トークもあながちウソではない気がしていた。

「じゃあ、次は脱色しようか」

 美容師がブリーチ剤を私の頭に塗りたくっていく。冷たい液体が私を気持ちよくさせた。数十分置いて、私は洗面台へ誘導されて、男性美容師の太くてごつごつとした手で頭を洗われた。途端に眠気が襲う。いつもなら寝ている時間だったから無理もなかった。私は目をつぶった。


「起きてください」

 美容師の声で目が覚める。目の前には「無条件に目立つ」私がいた。私はかつてないほど自分を気に入った。綺麗な金髪ボブの私がいた。悩みだった癖毛も特に気にならないほど素直な髪が私の輪郭を覆っていた。それは美しかった。私はそのまま上機嫌でニコニコとしながら都会の街をブラブラとぶらついた。三十代のおじさんにナンパをされ、適当にあしらい、さらに調子に乗った。


 私の欲望はとどまることを知らない。「無条件に目立つ」自分を獲得してからというものの、私は実際に目立つ私を他人に見せて証明したかった。美容院から帰った次の日、私はまた外にでることにした。二日連続外出するなんて私にとっては快挙に近かった。散歩ついでに食事をとることにした。私は一人で外食する時、チェーン店にしか入ることができなかった。それはちょっとした恥じらいだった。近くのラーメンチェーン店に入った。


 その店にはすでに先客が二人いた。二人は双方が一人ずつで年を召した男性がカウンターでラーメンをすすっており、もう一人の男性はテーブルでたばこをふかせていた。私が店に入った瞬間テーブル席の男にちらっとにらまれた気がした。やはり、女の一人客は珍しいのだろうか。私はそうやってじろじろと見られることにも耐性がついたらしかった。まっすぐと奥のテーブル席に着席した。店内は薄汚れており、私を含む客は独特な雰囲気を醸し出していた。私が店に入ったのは午後三時ごろで昼食にしては遅すぎるし、夕食にしては少し早いような、そんな時間だったので、先客たちの素性が気になった。私は一人でこっそりと男性二人の様子を観察してみることにした。


 自分の注文を終え、ラーメンが運ばれてくるのを待っていると、カウンターの男が颯爽と逃げるように帰っていった。私はつまらなくなった。スマホをいじっていると、前に座っているテーブル席の男にちらちらと見られているような気がした。私は自分の個性が認められたんだ、私は「かわいい」んだ、と勝手に解釈をして少し嬉しくなる。人の感情を都合よく操ることは得意だった。店内では高校野球のラジオが流れている。私のように無個性な青春を送らず、個性的な濃い毎日を過ごしている高校球児を妬む自分がいて、私はやっぱり性格が悪いんだと落ち込んだ。


 久しぶりに食べるラーメンは体を満たした。不規則な生活が規則になっていた私にしみわたっていくような感覚がした。が、食が細くなったらしく食べきることができない。いったん食べることをやめ、休憩することにした。時刻は午後四時近くなっていて、女子大生二人組が来店した。彼女らも私を謎の物体のように見てきて、不快感を覚えた。彼女たちは注文を終えると会話することなく、スマホに夢中になる。私はその光景がなんだかものすごく嫌だった。不愉快。私は独り客で彼女たちは二人客。話す相手がいるのに、話そうとしない。なんのための食事なんだ? 私が食べるのに必死になっていた時に来店していたと思われる二組のカップルもスマホ、スマホ、スマホ。私はこの空間が気持ち悪いと感じた。私は人と話したいのに。私にはできないことが簡単にできる状況にいるのに。もうやめた。ここにはいられない。スマホに夢中な無個性女子大生をにらみつけ、私は店を出た。「目立つ」私なんて誰も見てないし友達すら見ていないんだ。世の中の人が見たいのはディスプレイという名の小さい箱だ。


 私のうきうきとした感情は冬の寒い風と共に消え去っていた。春が近づいているはずなのに、前日と違ってその日は冬だった。暖かいラーメンを食べた直後であるにも関わらず、私の心は冷え込んでいた。「個性」ある自分を見せびらかそうという気持ちは驚くほど早くしぼんで、やっぱり外になんて出るもんじゃないなと後悔の念に駆られた。さほど遠いわけでもない自宅へとぼとぼと帰ろうとした。さて、次に外出するのはいつになるのかな。


「あっねえねえ」

 それは歩き出してすぐだった。誰かの呼ぶ声が前から聞こえた。私は立ち止まって視線を地面から上げる。

「あ、やっぱりそうだった。元気してた?」

 それは、友達というのは憚れる強いて言うなら知り合い程度、そんなクラスメートの男子だった。大学であいさつを数回したような人が私を呼んだということに驚いた。

「なに?」

「いや、別に、なんにもないよ」「そのさ、髪色似合ってるね」

「えっ?」

「髪型だよ! 前、黒髪だったのに思い切ったね、俺は今の君すごくいいと思う」

 私は恥ずかしくなってうつむく。

「じゃあ、それだけだから、またね。いい春休みを!」

 私の心に春風がそよそよと通り抜けた気がした。

 私は個性的大学生だ。大学生も悪くないかもしれない。

 川べりに咲く桜の木はそろそろ春を知らせようとしていた。



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