序章
二度目の始点
騒がしい音がする。周りに大勢の人間がいるような喧噪に意識が覚醒する。寝ぼけ眼でいつもより軽く感じる身体を起こすと、何者かが突如抱きついてきた。
光沢をもつ布地の純白のドレスはところどころに土汚れが付いている。ブリーチした髪とは一線を画す本物の金髪に乗せたそれはファンタジーの世界で描かれるティアラのようであった。その女性は嗚咽を漏らし肩を震わせる。僕に縋り付きながら。
驚きのあまり硬直していたが、気を取り直して周囲を伺うと再び衝撃を受けた。
それはさながら中世を思わせる西洋建築のいわゆる玉座の間であった。見やった先にある大きな椅子は赤と金の豪奢な造りであり、今いる自分より数段高い位置に置かれていた。そこから対面の大扉に至るまでを赤い、絨毯が敷かれ、自分はそこに横たわっていたようだった。
そして、僕を中心に囲むように人が歓喜の雄たけびを上げている。ある人は鎧を身に着けた剣を携えた騎士のようで、他の騎士と手を突き上げ吠えている。またある人は背丈ほどの杖を持つ魔法使いのような出で立ちで同じく仲間と両腕でガッツポーズをとっている。まるでファンタジーの世界の住人がそこにいて、みな一様に涙し雄たけびを上げていた。それは悲嘆の叫びではなく歓喜の色が見えた。
自分に寄り添う人物は今抱き着いている女性以外に三人。一人は上裸の偉丈夫、もう一人は小柄な少女、どちらもこの場の誰とも異なる装いをし安堵してかの表情を浮かべている。そして最後に一人、白い髭を蓄えた恰幅の良い男性だけは厳めしい顔つきで僕を見下ろしていた。
白髭の彼は杖に取り付けた水晶をこちらに向け、小さくつぶやく。すると、たちまち水晶に白い光が満ち、はじけるように部屋一面に広がった。雪のように舞う白い光を見送ると声が聞こえた。
「して、お前は誰だ」
頭の奥底に響くようなこれは、日本語ではない。しかし、その意味を確かに理解できた。テレパシーというものが実在したならきっとこのように会話するのだろうか。
「お父様?何を仰るのですか?」
僕に縋り付いて女性は白髭に振り返り問う。彼はそれに取り合わず真っ直ぐに僕を見ていた。その双眸はまるですべてを見透かしているようで、僕の内側を見ているように感じた。視線で答えを促される。
「鳴海、伊織……」
状況が掴めず落ち着かない、誰かと話すことが久しぶりであるの二点が重なるも、辛うじて名前をつぶやくことに成功する。
そして、周囲の見る目が変わる。
歓喜の声は一瞬で鳴り止み、寄り添っていた人は白髭を除いて飛びすさり、各々警戒の目を向ける。騎士は達は腰の剣に手をやり、今にも抜かんとしており、魔法使いの構えた杖の先端には個々に違う色を纏わせる。
取り囲む数十名の手のひらを返したような敵意に過去の記憶がフラッシュバックする。誰も助けてくれないあの日を思い出す。胸の奥にがギュッと締め付けられ、えずく。これまでの一生に触れたことすらない生地に手をつき胃液をぶちまけ、止まらない脂汗と涙で顔を汚す。
どうにか息を整え、顔を上げると白髭の彼が目前で跪いていた。
「ナルミ・イオリよ。グレン・スタッカートという名に覚えはあるか」
首を横に振り否定を示す。
そうか、とつぶやき腰をあげると周囲に告げる。
「聞け、遺憾ではあるがグレンは死んだ。各員持ち場に戻れ、残るのはレイラ、オスカー、カルラのみで良い」
周囲がざわつきにわかに行動に移せない中、レイラと呼ばれた女性が前に出る。僕に縋り付いていた女性だ。
「お父様!納得が行きません、グレンはこうして生き返ったでは」
「くどいぞ、グレンの魂はすでにこの世にはない」
言葉を遮り、白髭は答える。騒がしさはその一声で消えた。
「グレンが逝った以上、ワシらのみでこの状況を生き延びなくてはならない。彼が命を賭してここまで持ち帰った情報忘れたわけではあるまいな」
空気が一気に重くなる。それはグレンという人の死別への想いとこれから来る何かに対しての想いがそうさせていると推測する。周囲から視線を外されたことでようやく落ち着きを取り戻した。ひっそり一息付く中で、僕らを取り囲むようにいた集団はすべて各自持ち場に戻ったようだ。
白髭は彼らを見送ると、いまだ地べた這う僕に向き直る。
「してやってくれたなナルミとやら。貴様が有するその肉体はこの地で名を馳せ、今まさに国を救わんとする英雄グレン・スタッカートの物であるのだぞ」
皺の多い顔に皺を増やしながら、白髭の彼はそう僕に言った。