UKテクノの賢者がライブパフォーマンスのアプローチを解説する。
Childが今回のインタビューの中で強調している通り、エレクトロニック・ライブパフォーマンスは2つの穴のいずれかにはまってしまう時が多い。良く知られている穴が “リスク回避” だ。ミスをする確率を最小化したいというのは理解できる考えだが、リスクを避けようとすると、しばしば録音済みのパートを使用するという安全策に頼りすぎてしまう。複雑なエレクトロニック・ミュージックをステージ上で再現するという作業の非実用性を踏まえると、これは自然に手が伸びる選択肢と言えるが、パフォーマンスに不可欠な “不安定感” というパワーを奪い去ってしまい、さらにはパフォーマーを「音楽の乗客」にしてしまう。音楽は決められた線路の上を走っているようになり、オーディエンスが直感的に理解できるように音楽をアレンジするための選択肢の数が限定されてしまう。そしてもうひとつの穴は逆方向にある。アーティストひとりでは扱えないほど大量の機材を巨大なテーブルに配置したライブパフォーマンスは、身動きが取れなくなるほど多くの選択肢を生み出してしまう。
もちろん、これらの問題はミュジーク・コンクレートの時代から存在する。しかし、アーティストを怖じ気づかせるこの状況に対抗するために、Childはパフォーマンステクニックの向上を目指す終わりのない旅で得てきた経験をここで共有したいという気持ちを持っていた。他のアーティストたちをライブパフォーマンスを試そうという方向へ仕向けたいと考えていた。そして彼は自分の即興演奏のアプローチを明らかにし、過去数年の自分のセットの進化に役立ったいくつかの気付きも教えてくれた。本人が指摘している通り、ここで語られている経験とテクニックはライブパフォーマンスの問題に対する解答ではない。より大きなリスクを取れる自分に最適なライブパフォーマンス・アプローチを見つけるためのヒントだ。
今回の企画がスタジオプロダクションではなくライブパフォーマンスにフォーカスしている理由から話を始めたいと思います。
4~5年前からライブパフォーマンスを最重要視しているんだ。その前もライブパフォーマンスは何回も試してきたけど、正直に言えば、自分が納得できるアプローチを見つけるまで20年かかった。最初の頃はアプローチが慎重すぎるというミスを犯していた。このミスをしている他のテクノアーティストは非常によく見かけるね。
もちろん、誰だって良いライブパフォーマンスをしたい。馬鹿だと思われたくないし、面目を失うこともしたくない。でも、このように考えてしまうとアプローチが慎重になりすぎてしまうのが問題だ。そして慎重になってしまえば、即興のライブパフォーマンスのパワーが失われてしまう。パワーは危険とリスクの中に備わっているんだ。そこから本当の興奮とエナジーが生まれるんだよ。だから、慎重になりすぎてしまえば、急速に退屈な内容になってしまう。
多くの音楽スタイルが時代と共にパフォーマンス重視ではなくなってきていますが、元々エレクトロニック・ミュージックは他の音楽スタイルよりパフォーマンス重視ではありませんでした。この音楽のプロデューサーたちがバンドやアンサンブルよりもミスを怖がっているのはこの成り立ちが理由なのでしょうか?
まず、プロデューサーの大半がライブパフォーマンスに慣れていないというシンプルな事実がある。また、彼らの多くがパーフェクトなセットを実現したいという気持ちを持っているが、内容を滑らかにしていくことでそれを実現しようとしている。残念なことに “パーフェクト” はかなり退屈な時がある。
ですが、セーフティネットがない即興のライブパフォーマンスでも、パフォーマーが設けている制限がオーディエンスのエクスペリエンスを矮小化してしまう時があります。良く見られる簡単な例のひとつが、同じキックを1時間使い続けてライブパフォーマンス全体を均質化してしまっていることに気付いていないライブアクトです。
確かに良く見かけるね。2019年に公開された『Apocalypse Now Final Cut』についてフランシス・コッポラ監督が語っているインタビューを読んだ時のことを思い出すよ。その最後にこのテーマに沿っていて重要なことが書かれていた。コッポラ監督は「やり方を知らないという理由で挑戦しないことは絶対にない」というようなことを言っていたんだけど、これは非常にパワフルだ。言うのは簡単だけど、現場で実行してみる必要がある。自分で行動して失敗してみないと分からない。行動しない限り、ずっとベッドルームに居続けることになる。パーフェクトなセットを望むだけなら、現場に出る必要はない。ライブパフォーマーとしての成長は永遠に続く修練なんだということをここで示しておくのは重要だと思う。ゴールはないんだ。
ライブパフォーマンスへのフォーカスがスタジオ作業を楽にした部分はありますか? ライブパフォーマンスのエディットには固有の問題がありますが、パフォーマンスをレコーディングする方がコンピューターで細部を詰めていく制作よりも効率が良いのではないでしょうか。
言いたいことは分かる。ここ最近リリースした数タイトルは非常に短時間で作ることができた。即興についての説明で良く言われていることだけど、僕にとって即興はリアルタイムの作曲なんだ。パフォーマンス中は、頭の中で常に複数のレイヤーが走っていて、僕は音楽を感じ取ることに集中している。音楽が僕の中を自由自在に駆け巡ってもらえるようにしている。僕は導管みたいなものなんだ。理想的な状態での僕は音楽が流れるパイプになったような感覚を得ている。その流れを少しずつ丁寧にディレクションしているんだ。また、目の前にオーディエンスがいることは理解しているし、自分の中の他の感覚にも気付いている。だから、音楽だけにすべての意識を持っていかれているわけではないんだ。
僕の最新リリースは12インチ2枚組『Raw Tracks』で、これはライブスタイルのセットアップで制作した。基本的にはTR-909とEMS Synthiのクローン、Pin Electronics Portabellaとシンプルなシーケンサーだけだ。最初の数トラックはこれだけで作った。レコーダーをスタートさせてワンテイク録って、「いいぞ」と思えれば次のトラックだ。20~30分でレコード1枚分が用意出来る。『Raw Tracks』の中の1トラックはリバースエディットをしたけれど、ポストプロセッシングは一切しなかった。だから、どう聴いてもパーフェクトなサウンドではないけれど、複雑なプロダクションスタイルより “瞬間” を上手く捉えていると思う。
もちろん、ディテールを突き詰める制作も独自のアドバンテージがあるし、Trevor Hornのような一部のアーティストには適していると思う。彼らは素晴らしい仕事をしていると思うし、心の底から尊敬している。でも、僕はスピーディに制作した方が効率が良いんだ。
フリージャズのミュージシャンがライブをレコーディングして、同時にレコードも完成させるという状況は最高だと思いませんか? コンピューターを使った制作は何回も振り返ることになるためメンタルへ負荷がかかりますが、その負荷なしで次へ進めるわけです。
我慢強いかどうかも関係していると思うね。僕はその場で結果が欲しいタイプなんだ。でも、スタジオでのプロジェクトにも面白いところがある。何かに命を与えているような感覚が得られる。フラットなサウンドに手を加えたり、ひとつにまとめたり、他のサウンドを加えたりすると、突然命を授かったようなサウンドになるんだよ。でも逆に、やり過ぎてしまえば簡単にその命を奪ってしまう。
色々な人が色々なやり方をしているのは見て知っている。君が担当した他の記事を読んで、「僕とは全然違う方法で制作しているけど、彼らには合ってるんだな」なんて思うのさ。たとえば、Autechreはひたすらプログラミングしている。彼らはその天才だ。でも僕は下手なんだ。我慢できないんだよ。思いのままに鳴らして、グッドフィーリングを得る必要がある。
繰り返しになって申し訳ないですが、この企画について初めて話した時、あなたはスタジオワークについてそこまで得意ではないという自己評価をしていました。全体的に自分の作品のクオリティについてどの程度自信を持っているのでしょうか?
少し遠回しな回答になるんだけど、学生時代に大きな影響を受けた本が2冊あるんだ。1冊目は『Composing With Tape Recorders: Musique Concrete For Beginners』だった。僕はこの本に大いに引き寄せられた。なぜなら、僕は音楽にずっと興味を持っていたのに、楽器演奏はからっきしダメだったからさ。僕はスケール(音階)を学ぶよりもとにかくサウンドを作りたいと思っていたんだ。で、この本はそういうスケールよりサウンドとコラージュにフォーカスしていた。この本を読んだ僕はミュジーク・コンクレートの音楽を聴くことなく、ミュジーク・コンクレートの制作プロセスとアイディアを理解することができた。
そのあと、クリスマスプレゼントでもう1冊を手にした。『The Complete Beatles Recordings Sessions』というタイトルで、彼らの全レコーディングセッションのスタジオノートを集めた本だ。最後まで読んだけれど、僕のイマジネーションを一番刺激したのは彼らのサイケデリック時代だった。当時の彼らの実験の数々は今も素晴らしいと思う。この2冊のお陰で、BBC Radiophonic Workshopで働きたいというアイディアを持つようになったんだ。
前もどこかで話したことがあるんだけど、The Beatlesがどうやって「Tomorrow Never Knows」を制作したのかについて読んだ僕は自分なりに再現しようとした。2インチのオープンリールを借りてきて、カッターでテープを切ってループを制作した。これが僕にとって初めての音楽制作だった。
関係ない話をした理由はここからだ。本の中にはレコーディングの詳細が記されていたけれど、どういう技術が用いられていたのかについては記されていなかった。本を読んでもカモメの声を逆回転させた奇妙なループをどうやって作ったらいいのかは分からなかった。それで、自分で色々と試して再現しようとしたんだ。こうやって僕は音楽制作を学んでいった。僕のあらゆる音楽制作は「何かをしようとした結果」だ。当時はレッスンなんてなかったし、YouTubeのチュートリアルのようなものもなかった。テクノの作り方を教えてくれる本はなかった。暗闇を歩いているような感覚だった。自分の制作テクニックにそこまで自信を持てていないのはこれが理由なんだと思っている。ずっとこうだったからさ。
頭の中でこうしたいというイメージを持つのと、それを実現できるベストな方法が手元にあるのとでは大きな違いがありますね。
根本から違うよね。もちろん、YouTubeで学べるというのは素晴らしいけれど、自分で解決策を見つける行為にも意味はあるんだ。そこが僕のプロダクションの進化のカギになっている。
テクノセットについてはのちほど触れますが、エクスペリメンタルセットはどのような目的とアプローチで取り組んでいるのでしょう?
エクスペリメンタルセットの一番大きな違いは… 以前、このセットをプレイするために準備をしていると、誰かがやってきて話しかけられた。「ドラムサウンドには何を使うんだい?」ってね。だから僕は「悪いけど、今日はドラムサウンドは使わないんだ」って返した。ここがまず違う。もうひとつの大きな違いはオーディエンスだね。テクノの “目に見えない筋書き” は非常に細かい。言語化されていない無意識のルール群がオーディエンスの期待を作り上げていく。
この期待がオーディエンスを失わずにできるライブパフォーマンスの範囲を決めることになる。その範囲内でも試したり、溜めたり、煽ったりは十分できるし、多少の不快感を与えてから元に戻ることもできる。でも、エクスペリメンタルセットではオーディエンスの期待はそこまで具体的じゃない。でもそこがいいんだ。範囲を広げることができるからね。
僕のエクスペリメンタルセットにはアンビエントな要素があるから、アンビエントの枠に入れられる時もある。でも、個人的にはその枠はあまり相応しくないと思っているんだ。僕に言わせれば、アンビエントの定義はBrian Enoが提唱した「バックグラウンド・ミュージック」というアイディアだ。このアイディアに問題はまったくないけれど、僕の音楽とは一致しない。自分の音楽はオーディエンスに訴えかけるものであって欲しいと思っているし、実際はかなりフィジカルだし、不快なパートもある。純粋なノイズに近い音楽になる時もある。簡単にまとめれば、僕の音楽は暴虐とメロディの中間に位置しているんだ。善と悪のような2つの力を使ってプレイしているんだよ。
トランスの要素も非常に強いね。もちろん、ジャンルとしてのトランスではなくて、精神状態としてのトランスだ。僕はサウンドストーリーにオーディエンスを引き込もうしている。不思議な空間へオーディエンスを導いていくのさ。オーディエンスの精神に語りかけながら彼らを宇宙へ連れ出していくのは、非常にパワフルな感覚だ。
テクノセットではもっとテクニカルなマインドセットで臨んでいる。基本的にはもっと考えて管理しながらパフォーマンスしているんだ。テクノにするためには特定の方向へ音楽を構成していく必要がある。僕はリアルタイムでアレンジしていくんだけど、構成をかなり意識している。アブストラクトセットはもっとルーズなんだ。GnodのPaddy ShineやDan BeanとのThe Transcendence Orchestraのように他人と一緒にパフォーマンスする時は、ルーズさがさらに増す。また、オーディエンスと一緒だという感覚がテクノセットよりも強い。テクノセットでは冷静に分析しながらプレイしているし、オーディエンスと繋がっているけれど、孤立している感覚が強い。でも、The Transcendence Orchestraの僕は最後にブッ飛ぶことができる。Danはいつも倒れ込んでいるよ。
The Transcendence Orchestraのセットはかなりシアトリカルなんだ。儀式的アイディアを数多く取り入れている。衣装としてローブを用意したし、フランキンセンスも大量に焚く。五感を使うエクスペリエンスになるんだ。僕たちがローブを引き裂けば、オーディエンスは何が起きているんだと不思議に思うし、サウンドが鳴る前の段階ですでにオーディエンスのマインドに何かを埋め込んでいるんだ。このような複数の要素を組み合わせながら、オーディエンスをサウンドへ引き込んでいく。奇妙に思えるかもしれないけれど、音楽ファンを自称する人でもこのレベルまでアブストラクトサウンドに深く引きずり込まれる経験をしたことはほとんどないと思う。僕たちはパフォーマンスを通じてアブストラクトサウンドの一部になっていく。そういうマインドになっていくんだ。
セットアップのアプローチはどのように進化してきたのでしょうか?
今はSOMA laboratory Lyra-8が非常に重要な機材になっている。以前は同じタスクをこなすためにBuchla Music Easelと、さっき話したSynthiのクローンPortobellaを使っていた。独自で柔軟性に優れていながら、ユニークなマインドを備えているインストゥルメントを見つけることが重要だ。今挙げた機材はどれも気分屋で複雑なインストゥルメントだから、気分が乗っていない時はこちらの思い通りには動いてくれない。Buchla Music Easelは特にそうだった。パフォーマンスをするたびにそれまで経験したことがない問題が発生して、それに対応しなければならなくなる。ここがマジックの一部ではあるんだけどね。
この役割を今はSOMA laboratory Lyra-8が担っている。SOMA laboratoryはロシア人のVlad Kreimerのメーカーだ。僕はこのインストゥルメントに込められている哲学が大好きなんだ。MIDIはないし、耳でチューニングする必要がある。クォンタイズももちろんない。タッチパネルを使ってサウンドをトリガーするんだ。Kreimerはテルミンをはじめとする初期電子楽器にインスパイアされてこのシンセを開発した。シグナルパスのフィードバックが非常に奇妙なんだ。8基備わっているオシレーターはクロスモジュレーションできる。活き活きとしたサウンドが生み出せるとても有機的な機材なんだ。かなりの部分で自分を委ねなければならないんだ。
テクノセットで使用しているElektron Octatrackは真逆に位置するインストゥルメントだ。非常に便利で、言ったことを確実にこなしてくれる。プログラムすれば「イェッサー」と答えてくれるのさ。SOMA laboratory Lyra-8は「悪いけど、今日はこっちに進みたいんだ」って言ってくるような感じだ。
クロスモジュレーションとフィードバックがサックスの循環呼吸演奏のようなサウンドを生み出していますね。
そうなんだ。2基のLFOとFM変調、ディレイを組み合わせると非常に奇妙で有機的なサウンドを生み出せる。あとは内臓に響くような超低音もね。僕はRoland SH-101のクローン、Roland Boutique SH-01Aを組み合わせている。SH-01Aのアルペジエーターでメロディを鳴らしているんだ。すべてのメロディはシーケンサーのメモリ内にセーブしてあるけど、機材のスペース的に余裕がある時はArturia KeyStepを持ち込んでリアルタイムで弾いている。SOMA laboratory Lyra-8とRoland Boutique SH-01AはルーパーのElectro-Harmonix 45000に入れている。このルーパーはモノ4系統、ステレオ2系統のループを取り入れることができる。僕のライブパフォーマンスは常に変化していくから、ルーパーでサウンドをレイヤリングしつつ、新しいアイディアを足しながらゆっくりと消していくのはかなり効果的なんだ。こういう絶え間なく進化するストーリーがオーディエンスを引きつけるんだ。
言うまでもないですが、ルーパーは今回のセットで非常に重要な役割を担っていますね。
ああ、不可欠だね。僕のセットアップの中核と言ってもいい。どのインストゥルメントを使っても必ずルーパーに入れている。Electro-Harmonix 45000ならRoland Boutique SH-01Aのアルペジエーターと同期できるから、シームレスにオーバーラップできる。PaddyやDanとのライブパフォーマンスでは必要ないけれど、ソロでは不可欠だね。
アブストラクトなサウンドは捉えどころがないですが、どうやって機能する・しないを判断しているのでしょう?
第二次世界大戦直後にDuke Ellingtonがバンドを連れて日本でパフォーマンスした時、彼らは日本ではほぼ誰も聴いたことがなかった新しい音楽を披露したんだ。「どうやって?」って思うよね。誰も聴いたことがない音楽を演奏するんだからさ。非常にアブストラクトでフリーフォームな音楽をね。Ellingtonは第一条件としてオーディエンスが「物理的に何が起きているのか」を理解できるようにする必要があると語っていた。オーディエンスはミュージシャンが動きながら楽器を使って物理的なエナジーを放出している姿を見て、どこから音楽が流れているのかを理解する。演奏方法までは理解できなくても、誰かが何かをやっていて、サウンドがどこから来ているのかは分かる。第二条件としてEllingtonが挙げたのが、ある種のリスクを負い、オーディエンスをそのリスクの中に放り込むことだった。つまり、ただのプレイバックじゃないってことさ。ミュージシャンは自分たちの演奏を信じる必要があるんだよ。
そのような部分を深く考察している素晴らしいアーティストたちが意外な形でダンスミュージックと繋がっている姿や、彼らの経験が引き継がれてダンスミュージックの世界を豊かにしている姿を見るのは嬉しい限りです。Pauline Oliverosがその好例と言えます。ダンスミュージックファンは “Deep Listening / ディープ・リスニング” という単語を定期的に持ち出すようになっていますが、とても素晴らしいことですよね。
彼らは自分たちの音楽を極めているし、彼らから学べることは数多くある。僕はDavid Bowieのアプローチから学んでいるけれど、だからといって、僕がグラムロックの方向に進んでバンドを組むわけじゃない。「これは自分には当てはまらないな」なんて考えるべきじゃないんだ。なんだって参考にできる。
僕はWilliam Bennettから多くを学んだ。彼からは数々の素晴らしい本を教えてもらった。彼からは、演技のバイブルと言われているコンスタンチン・スタニスラフスキー『俳優の仕事』を読むように勧められた。最初は「僕は俳優じゃないのに何でこの本なんだ?」と思ったけれど、読み進めていくと頭の中が解放された。パフォーマンスに対する自分の考えが大きく変わることになった。僕はパフォーマンスを前面に押し出すパフォーマーではないかもしれないけれど、ライブパフォーマンスにはこの本で学んだことが活かされている。彼らのような人たちから哲学やコンセプトについて数多く学んだよ。
即興演奏の非常に興味深いポイントですね。この音楽を突き詰めていくと、非常に政治的・実存主義的なコノテーションのウエイトがかなり大きくなっていきます。UKのシーンはそのような部分のイデオロギーの衝突によって大きなダメージを受けましたね。
サブカルチャーやアートフォームの、突き詰めようとすると必ずそういうポイントに辿り着くところは大好きだ。でも、原理主義的になってしまうと非常に危険だよね。
原理主義的即興ですか。
ああ。「そうじゃない。こうだ」みたいな断定的発言は健康的とは言えない。あらためて強調しておくけど、今日ここで僕が話していることは “今の僕” が話していることに過ぎない。僕のアイディアは明日になれば変わるかもしれない。でも、そのアイディアは現場でパフォーマンスを重ねてきたことから得た学びなんだ。
今日話してきたことをまとめると、僕のライブパフォーマンスはオーディエンスの境界線を何とかして広げることが目的なんだ。特定の考えを持っているオーディエンスに自分の考えを広げて帰ってもらいたい。これが僕の音楽とパフォーマンスの目的なんだ。オーディエンスの頭の中を解放して、日常生活やルーティンの外側を体験してもらい、他の可能性について考えさせる。自分たちが住んでいる世界の境界線を考え直してもらうんだ。そういう境界線や考えは思っているほど固定されていないかもしれない。僕はかなりルーズだと信じている。僕のこのアイディアを伝えて、オーディエンスの世界の捉え方を変えるというのが音楽の目的なんだ。
読者はあなたがモジュラーシンセについて語ってくれるのを期待していたはずですが、ここまではかなり精神論的な話になりましたね。
Schneiderlsladenでワークショップを開いて、撮影もしたんだけど、「怖がらずにやってみよう」みたいなメッセージを伝えるスピーチで終わった。ワークショップはいつも人生の教訓的な話で終わるんだ。
急に話題を変えてしまって申し訳ないですが、あなたがモジュラーシンセをパフォーマンスで使わなくなった理由について話してもらえますか? 世間のEurorack人気は度を超しているどころではありませんので、ライブパフォーマンスで実際に何回も使用した経験を持つあなたから一歩引いた意見をもらえれば嬉しいのですが。
最初に言っておくけれど、政治的な理由で今のセットアップからモジュラーシンセを外しているわけじゃない。僕は一瞬で “モジュラーシンセの人” という見方をされるようになったんだけど、それがどうにも居心地が悪かった。モジュラーシンセは僕が採用してきた機材とアプローチの一部に過ぎないから、強く結びつけられるのはどうにも奇妙な気がする。「僕はモジュラーシンセの人です」みたいに分かりやすくてシンプルな何かと自分を結びつけるのは、アーティストとしてのイメージを売る方法としては非常に効果的だと思うけど、僕は自分を縛り付けるそういうものからは距離を取っている。
また、モジュラーシンセをアーティスト自身の問題の解決策として見なしている人がとても多いことにすぐ気が付いた。馬鹿げた考えだよ。なぜなら、アーティストの活動に答えなんてないからさ。問題は、誰もが自分を最高の形で表現できるひとつの答えを探し求めているところにある。
彼らが探し求めている答えは「Modular Gridへ向かい、Surgeonのセットアップを参考にして、彼のモジュールを全部買えば、最高のテクノが作れる」ですよね。
その通り。僕はその部分の情報を公開したくないんだ。なぜなら、僕の機材があれば自分たちの問題が解決できると思って欲しくないからさ。今回の企画を受けた時もここが心配だった。他の部分がその心配を上回ってくれることを願うね。僕はこの点についてこれまで何回も強調しているんだけど、それでも「分かりました。で、何を使っているんですか?」って訊ねてくるんだから笑っちゃうよ。僕のセットアップからいくつかのアイディアを得ることはできると思う。でも、頼むから僕のセットアップが自分にとっての正解だと思わないで欲しい。これは今月の僕の正解なんだ。
“今日の” ですよね。
そうさ! “今日の僕” だよ。重要なのはシンプルさと柔軟性のバランスを取ることだ。テーブルを機材で埋め尽くしてパフォーマンスしているアーティストは沢山いる。そういうアーティストを見て、選択肢が多い、セーフティネットが大きい、サウンドの種類が豊富だと思うかもしれない。でも、実際にパフォーマンスすると完全なパニックに陥ってしまうんだ。ひとりの人間にそこまで多くの機材は扱えない。圧倒されてしまうんだよ。
僕とColleen(Lady Starlight)が思いついた非常に重要なコンセプトがある。「馬鹿五割増し」って呼んでいるんだけど、要するにパフォーマンス時は通常より自分の間抜けさが50%増してしまうってことさ。これは覚えておくべきコンセプトだ。自宅でリハーサルをする時はセットアップの複雑さを半分に抑えておくべきなんだ。パフォーマンス中は色々なプレッシャーがかかるし、サウンドも聴き慣れない。しかも他人から見られる。だからあっという間に状況に圧倒されてパニックに陥ってしまうんだ。パニック状態になれば冷静に考えられなくなるし、すべてを焦ってしまう。そうなれば内容が酷くなり、楽しくなくなってくる。そして最後はその悪いムードがオーディエンスに伝わってしまう。「馬鹿五割増し」は僕たちが現場から学んだ非常に重要な気付きなんだ。
そのコンセプトはElektron Octatrackのような機材に当てはめることができますね。Electron Octatrackはできることが非常に多く、ユーザーを圧倒してしまう時があります。ですが同時に簡易化と合理化をすれば、シンプルな作業を効率良く行えます。
僕はFaderfox MIDIコントローラーでそれを実現しているんだ。ウェブブラウザ経由でElectron Octatrackの任意のパラメーターをFaderfoxのノブにアサインできる。今回のセットアップでは、Electron Octatrackのメニューに潜り込まなくても各トラックのヴォリュームやハイやローのカットを瞬時にコントロールできるようにしている。こうすることで使い勝手がかなり良くなるんだ。
それでもElectron Octatrackは苦手なんだけど、長年使ってきたし、自分がやりたいことをやるのにはベストな選択肢なんだ。今回紹介しているテクノ用セットアップでは、ドラムサウンド6チャンネルとアトモスフェリックなサンプルが鳴るようになっていて、ミックスレベルも調整している。あとはエフェクトとフィルターも使っているよ。
今回のセットアップで鳴っているモノシンセのシーケンスもOctatrackですか?
いや、今回のモノシンセはシーケンサー内蔵で、L.E.P. LepLoopという名前なんだ。シーケンサーはサンプル&ホールド(S&H)がベースになっているからかなりよれるんだけど、そこが音楽的に面白い。音声合成に詳しくない人に説明するのは難しいんだけど、S&Hのソースをホワイトノイズ(WH)にすればかなり本格的なランダムシーケンスになるし、LFOにすればもっと普通のループサウンドに近くなる。LFOセクションのAMOUNTとOFFSETをS&Hにフィードすれば簡単にテクノが作れる。AMOUNTとOFFSETを高い数値に設定すれば、シーケンスの変化の幅がそれだけ大きくなる。
ドラムサウンド6チャンネルとモノシンセというコンビネーションは、モジュラーシンセを使っていた頃と基本的には変わらないですよね。
ああ。「モジュラーシンセを使わない」というテーマに戻るけれど、僕がモジュラーシンセで気に入っているのは、興味深いデザインを持つ様々なモジュール群が提供するスキルとアートだ。ここがモジュラーシンセの魅力なんだ。素晴らしく広大なオープンフィールドのように見えるけれど、様々なモジュールを組み合わせていけば…
自分がデザイナーになる必要がありますよね。
そう。そのスキルとアートが見過ごされていると思う。僕が思っていたよりももっと奥深いんだ。君も僕がかつて使っていたシステムを見たことがあるはずだけど、あれはあれでOKだった。でも、モジュールよりももっと徹底的にデザインされた機材を使うと完全に違う世界が開けてくる。これが最近L.E.P. LepLoopのようなデスクトップシンセを気に入っている理由なんだ。
モジュラーシンセでは、あるノブを10%回転させればこっちの数値が10%変化するというような非常にシンプルで明確な操作でさえ、普通のシンセよりも正確に行うのが大変です。モジュラーシンセでは、ボルテージのスケーリングを安定させるためだけにひとつのセクションが必要になりますよね。
そういう特徴を僕は以前よりも楽しめるようになっている。今の僕はDon BuchlaやVlad Kreimerが手がけたデザインの素晴らしさを心の底からリスペクトしている。最近、Vladは最高にブッ飛んでるドラムマシンを開発した。もはやドラムマシンでさえないんだけど、Pulsar-23と呼ばれている。Superbooth 19で本人がデモを披露したんだけど、全員が狂喜していた。でも、僕には彼らが実際に買えば嫌いになるのは分かっている。多くの場合、モジュラータイプの機材を買い求めるのは自分の問題を解決してくれると考えているからだ。でも、実際に必要なのは安定していて使い勝手の良いVSTプラグインなんだよ。
あなたが以前使用していたモジュラーシステムと現在のテクノ用セットアップでは、魅力的なリフを鳴らし続けることが何よりも重要になります。ドラム、エフェクト、リフしかないセットアップでは優れたリフが不可欠です。あなたはサウンドを事前に仕込まないので、実際にフェードインさせるまでどのようなシーケンスが流れてくるのか分かっていないはずですが、どうやってそのリフが優れていると判断しているのでしょうか?
L.E.P. LepLoopのシーケンサーがどんなサウンドを出すのか僕には分からない。フェードインさせるか、フィルターを開いたタイミングで「なるほど、こういうサウンドか。これを使って何とかしないと」と思うんだ。酷いサウンドにならないように調整していく必要があるんだけど、ここが面白いところなんだ。モジュラーシステムの時も同じだった。シーケンサーとサウンドを設定したあとどんな結果になるのかは何となく想像できるとはいえ、オーディエンスの前では目の前にあるもので何とかするしかない。
サウンドをフェードアウトさせたらもう引き返せない。戻ったら僕が間違えたことが分かってしまうからさ。ジャズには間違いを繰り返して逆にそれを機能させていくというアイディアがある。僕が組んだシーケンスがオーディエンスに受け入れられるかどうかのギリギリのものになる時があるけど、繰り返していくことで機能させるんだ。操作して、フィルターやモジュレーションをかけ続けていけば、どんなにクレイジーなサウンドでも強化効果で正しく聴こえるようになるんだ。
具体的な話になりますが、あなたは特定のスケールを好んで使っていますよね。
アブストラクトなセットアップではそうだね。でも実はハーモニックマイナースケールはアブストラクトでもテクノでも効果的だということが分かったんだ。僕の中でハーモニックマイナースケールは絶対に解決しない。実質的な話をすれば、1スケール限定は非常に便利なんだ。和音的にすべてがフィットすることが事前に分かっているからさ。PaddyやDanとのパフォーマンスも同じだ。僕はこれを1スケールを細かく演奏していくインドのラーガ的に近いものとして捉えている。
テクノ用セットアップではワーミングユニットのOTO Boumも使っていますね。面白いことにPaula Templeも使用しています。
OTO Boumは最近足したばかりで、現場ではまだ1回しか使っていない。これはハードウェアを使ったライブパフォーマンス共通の問題なんだけど、マスタリングされてヴォリュームが最大化されているトラックをプレイしているDJのサウンドとハードウェアを使ったライブパフォーマンスはサウンドが大きく異なるんだ。ライブパフォーマンスの方がトランジェントでダイナミクスが大きいから、DJのあとはとても苦労する。オーディエンスが慣れるまでしばらく時間がかかるんだよ。だからこれが機能するんだ。僕はこのコンプレッサー・アナログ・ワーミングユニットにすべてのサウンドを通して、マスタリング済みのトラックのサウンドに近づけようとしているんだ。
僕の初期トラック群の一部はコンプレッションが派手にかかっていた。コンプレッサーをエフェクターというよりもインストゥルメントとして扱っていた。ストリップダウンされたトラックでコンプレッサーを使えば、それぞれのサウンドを踊らせてマジックを生み出せる。そのためにはサウンドの数をかなり絞り込む必要がある。いくつかのドラムサウンドとアトモスフェリックなサンプル程度にね。でも、それらを持ち上げてリズムを走り出させるコンプレッサーの効果は最高だ。だからOTOを通してそういうサウンドを実現しようとしているんだ。あと、新しい要素を加えた時にすべてのパーツがそれに合わせて動くようにしたいんだ。これはある意味とてもテクノなアプローチだと思う。
先ほど、テクノ用セットアップではアトモスフェリックなサンプルをElektron Octatrackで鳴らしていると話していましたが、そのようなサンプルの準備にはどの程度時間をかけているのでしょう?
アトモスフェリックなサンプルを自分が満足できるものにするまではかなり長い時間がかかった。他のサウンドの制作とはかなり異なる規律で進めていく必要があるんだ。
何故でしょう?
継続的に機能するサウンドにする必要があるからさ。与えられた役割を果たす必要がある。そこまで目立たないけれど、確実に音楽に貢献しなければならない。ミックス内で与えられたポジションを埋めているかどうかが重要だ。とても実用的なんだよ。他のサウンドを呑み込むことなく長尺で変化しながら、他のサウンドと上手く噛み合っていく必要がある。そのバランスを見出すまでは随分時間がかかったね。低域はどの程度残すべきなのか? 帯域はどこまでカバーすれば良いのか? モジュラーシステムは中域が非常にパワフルで、デジタル系のような超低域と超高域が出ないことに気が付いた。この頃のアトモスフェリックなサンプルはこの点に気を付けていた。中域を削って、そこをモジュラーシステムで埋めていたんだ。これはある程度上手く機能した。でも、ここも常に改良していく部分だ。
今使っているアトモスフェリックなサンプルは、Pin Electronics Portabellaで作ったサウンドだから気に入っている。このシンセはライブパフォーマンスで非常に映えるユニークなサウンドパレットを備えているんだ。ライブパフォーマンスで使っている他の機材とかなり違うから、ぶつからないんだ。
“ムーブ” と呼べるパフォーマンスの一部について話したいと思います。テクノセットのテンションと構成をコントロールするアクションに何か良い言葉はないかと考えた結果、仮に “ムーブ” と名付けました。キックをミュートして、その間に他のキックパターンに変えたり、ハットをミュートするタイミングでキックのミュートを解除したりするアクションのことです。
“ライブアレンジメント” と呼んでも良いんじゃないかな。言いたいことは分かるよ。僕にとってそういうアクションはとても直感的だ。僕の身体にはテクノのDNAが組み込まれているから、何がテクノで何が違うかが直感で分かる。それが何なのかについて具体的に詰めるのは避けたいんだけど、君が例に挙げたようなミュートのやり方は確かにボキャブラリーやグラマーに近い。ヴィジュアルグラマーのようなものさ。僕は映画のヴィジュアルグラマーをとても魅力的だと思っている。カメラのパンニングやカットのやり方の中には確実に機能するものがあるよね。
複数のムーブのセットですね。
そう。誰もが無意識に理解しているムーブセット、一連のムーブだね。
テクノのムーブセットの数は両手で収まるくらいです。エンベロープのオープン&クローズ、ミュート、フィルター…
そうだね。僕はJeff Mills的なクラシックなボキャブラリーを使っている。でも、そのようなルールをわざと破るのも楽しい。クラシックなムーブセットを使いながら、途中で意図的に逸脱してテンションを高めていくんだ。ひたすら何かを鳴らし続けるみたいなシンプルなムーブセットで構わない。こういうムーブセットは非常にパワフルだ。さっきも話した通り、僕のパフォーマンスの目的自体はとてもポジティブだけど、ある程度の不快感を入れ込む必要があるんだ。それがオーディエンスを他の空間へ連れて行く助けになるのさ。