アイヌ体細胞DNA分析でアイヌが縄文人の直接の子孫だ!
という誤謬についての考察
最近はあまり私に反論が来なくなりましたが、現代アイヌの体細胞DNA分析によってアイヌは縄文人の直接の子孫だ、ということが大いに喧伝されました。しかしそれは篠田先生の古人骨のミトコンドリアDNA分析の結果と矛盾するものでした。
この矛盾を解決するにはいくらDNAとにらめっこしていてもダメです。つまり歴史を学ばなければなりません。
1.1600年初期に当時のアイヌ人口1.5万人~2万人に対して、北海道で巻き起こったゴールドラッシュ
めがけて8万人もの男たち(主に被差別部落民を中心とする集団)が流入したこと
。
2.江戸期からアイヌは積極的に和人の男たちを結婚と言う形で受け入れたこと。
3.明治初期にも東本願寺によってやはり大量の男たちが送られ道路工事に当たったこと(本願寺道路)。
4.跡継ぎのいないアイヌ(主に酋長とその一族)は経済的に困窮した和人から養子を入れたこと。またその当時の謝金は男児が5円から15円という高額(今の価値でいうと200万~600万円)であったこと。
6.アイヌの酋長・およびその一族は江戸期から裕福なものは数十人多くの妾を抱えていたこと。
7.酋長が多くの妾をかかえるために若者の結婚の機会がなく大きなアイヌ人口減少の原因と考えた江戸幕府は妾の数を3人に制限、明治政府も6人に制限したが、アイヌ支配層に入った和人男のDNAはこのような状況で急速に拡散したこと。
8.アイヌ男女が和人と結婚を望むことは戦後になるまで続いていたこと(知里真志保、砂沢クラなど多くの文献あり)。
などを考えれば古人骨ミトコンドリアDNAと現代アイヌ体細胞DNA分析の結果は矛盾なく解決されます。
蝦夷島奇観を読んでいて、漢字の読みについてFB上で考察していたのですが、ふと気になったことがありました。
それは江戸時代の和人社会の男女比についての問題です。
いくらアイヌ社会が暖かく和人男を迎え入れてくれるといっても、和人男が男女比の不均衡から配偶を得られない状況になければ、持続的に和人男のDNAはアイヌ社会に供給されないのではないかと考えました。
そこで松前志にあげられている1777年当時の和人人口(人別帳)の写しを見ることにしました。
まずは『北方未公開古文書集成』(第一巻)に収録されている松前広長の『松前志』です。
黄色枠の部分が男女の合計ですが計算があいません。
そこで北大図書館で公開されている本と比較しました。
つまり、計算間違いも正確に再現されていることが分かります。
次回は、この数値の解釈についてお知らせします。