この冬は2019/11/13

この時期なると南側ベランダの花を
夏のハイビスカスや琉球朝顔から
ラベンダーに変えるのだが
今年は馴染みのフラワーディレクターが
「メキシカンセージ」という花を
植えてくれた
思わず心が華やぐじゃないか!

毎朝妻と朝食しながら
(我が家は昔からパン食党だ)
「ねえアリアナ・グランデいいね」
「カミラ・カベロも好きだよね」
なーんて話しに夢中になりながら
(ただしいつも音楽の話しをしているわけ
ではなく・・ほとんどは・・ここに書けない
レベルの・・ま・そんな話題が中心である)
さて、そんな時に
ふと窓の外を見るとメキシカンセージが
元気いっぱいに咲いている
それだけで今日1日ヨロシク!って感じだ
広島への旅2019/11/11
午前11時過ぎの「のぞみ」に1人乗る
ハイクアウトのお気使いで隣の席は空いている
「まあ4時間の旅だ、ゆっくり景色でも眺めていよう」
考えてみると今年ツアーで名古屋まで新幹線に乗ったが
2008年(だったかなあ?)に広島修道大学に
歌碑が出来たっていうので広島へ向かった・・
あれ以来ではないか?(記憶に自信は無いが)
まあともかく10年ぶりの広島って言ってもいいわけだ
しかし新幹線から見る景色って「あんまり変わってない」
景色が飛ぶように走り去るからでもあるんだろうが
結局「じっくりと懐かしさ」なんて感じていられない
「あの頃は体調が悪くてつらい日々が続いていたなあ」
そうそう・・大阪で瀬尾一三グループとのライブへ
向かう途中だった!東京を出発した瞬間から変調を感じ
名古屋で緊急に途中下車し、ホテルをとって休んだのだ
夕刻になり「何とか大阪まで行けそうだ」と再び新幹線
大阪でも飛び込むようにホテルへ入り大阪イベンターの
用意してくれた夕食を簡単にとって「明日に備えよう」
と睡眠をとる事にし睡眠導入剤など飲んで休んだ
翌日起床して「昨日よりは良さそうだ」と
会場入りしリハーサルをやってみた・・が・・無理だ
立っていられない、身体に力がわかない、声も変だ
しばらく楽屋でスタッフと話し合った・・結果・・
「残念だがとても無理なようで中止はやむお得ない」
という結論に・・悲しかった・・心で泣いた
ホテルへ戻ってしばらく横になっていたが
「明日また帰りの新幹線で体調を崩してしまうのでは」
もちろん飛行機なんてとても乗れないし
例えばこれから車を用意してもらって・・
車なら不調になったらすぐ止めてもらい
休息を取りながらでも時間をかけて進む事が出来る
今出発すれば明日の朝までには東京に・・
当時のヘアメイクM君とハイクアウトお抱えのH君
二人の運転技術を見込んで「たのむよ」と
3人でワンボックスカーに乗り込み
「消え去るように」大阪を出発したのだった
この時の胸中は実に複雑で
言葉に出来ない寂しさと空しさ申し訳なさ
そして何とも説明不能な「恥ずかしさ」という
複雑な気分におおわれていたのを覚えている
2007年の「カントリーツアー」途中での中止
翌年2008年少し体調が良いと感じ広島の歌碑参加
そして2009年瀬尾グループとの
「Have A Nice Day ツアー」途中の中止
実に苦しい切ない日々が続いていた時期だった

車内で「今の気分にマッチしない想い出が」が蘇る
それにしても・・客席を見渡すとある事に気づく
「外国人旅行者」と見られる人々がヤケに多い
皆さん国籍も色々のようにお見受けする
そしてどなたも手荷物(ゴロゴロ付き)が多い
だけでなくそれぞれに本当に荷物がデカイのである
さて?と考えてみる・・
オリンピックにはまだ時間があるし
あ!そうかラグビーだ、ワールドカップだったな
ジャパンも頑張って盛り上がった「ワンチーム」だね
その観戦に世界中から集まったファン、旅行者が
ついでにジャパン観光ってわけなんだな
なるほど解せた
しかし・・ラグビーワールドカップでこのくらい
って事は来年のオリンピックの頃は
こんなもんじゃないよなあ
「その期間中は家に居よう」と常々ウチの奥さんに
念を押してみたりするのだが
「別に宣言しなくても二人はいつもウチに居るじゃない」
と正論を告げられて「ま、そういう事だよね」と・・

名古屋に着いた
「素晴らしいステージがやれたよなあ満点の出来だった
そして夜の食事会も忘れられない」
バンドの連中からも今もメールとかで「それとなく」
次なる時の話題を送って来るのだ
考えちゃうよなー俺だって「元気だしなー」

4時間、途中で僕的にはジャンクな飲み物コーラを
何年ぶりかに飲んだりして楽しみながら
(ちなみに我が家の冷蔵庫にはその種の飲み物は
いっさい存在しない、健康のため・・
という事になっている)だから旅も、たまにはいいね

窓の景色を追いかけているうちに広島に到着
元ダウンタウンズ(略してD.T)のドラマー
K君が迎えに来てくれた
そのまま、これまた何年ぶりかの「墓参り」直行
そして姉の家に挨拶に行き・・さあ目的のD.T夕食会
「おー元気じゃったかー、どしたんない?
お前ちょっと頭が薄うなっちょらんか?」
いきなり僕も広島弁丸出しなのである
不思議だねえー・・広島弁って東京では絶対に
出て来ないし、忘れて暮らしているんだが
広島の友人達と話し始めると何故か一気に
広島弁になってしまう
「だってサー」とか「ナニ言ってんだよ」ではなく
「ほいじゃがのー」とか「ナニ言いよるんない」となる
で、2時間ほどビール2杯と日本酒1カップだけで
大いに盛り上がり笑いが絶えないのだった
4人で夕食会に入る前に話し合ったテーマがある
「ここで自然に4人で会話をし始めると間違いなく
ここが痛い、あそこが悪い、薬がどうした、
残りの生き方、人生の重さ・・・
そういう話題が集中する事が目に見えている
そこで提案、今夜は現在の話題は絶対に出さない!
今の話は今夜はしない!可能な限り思い出して
今夜我々は50数年前のD.T時代を思い出しながら
その頃のエピソードを語り、また今日まで話さなかった
秘密があるなら今夜ついにバラそうじゃないか」
という大テーマで夕食会を始めたのだった
彼らが言う「ワシラも同窓会とか出たりしたってのー
結局は体がどうしたとか病院がどうのとか
最近は物忘れがどうじゃとか・・
そんなんばっかりでのー・・つまらんわいや
おまけに誰が先生で誰が生徒か区別がつかんように
皆んなジジババになっちょってのー・・」
まさに同感である、だから今回のD.T最後の夕食会は
そんな話題に終始するなら「やらない」ほうがいい
全員一致で「今夜は青春時代の思い出だけ語ろう」

いやーそれにしても出てくる出てくる・・
「オマエ、俺らに内緒であの娘と付きおうとったんか」
「何ー・・オマエはまだあの頃はcherry boyじゃろ?」
「あの有名な美人喫茶でのダンパーで演奏した夜に
ママさんと一緒に車で帰るお前の姿をワシは見たぞ」
「あの娘にだけは、さすがに誰も手は出さんと
思うとったのに、タクロウ!お前はまさか・・」
(名前を出すな!)
「銀行で働いとった女子が二人おったろうが?
ワシャーあの二人の給料日になると毎月のように
金を借りてのー、ほいで、その金で他の女子と
デートしたりラブホ行ったりよー・・
いま思うにワリー事したのー・・
ほいじゃが金はもう返さんけどのー」(全員・大笑い)

結局、当時、中国地方R&Bロック部門2年連続1位の
我がダウンタウンズの面々は
やはり記憶通りのヤンチャ坊主で特にgirlsに興味津々
一人は広島大学政経学部の秀才
一人は広島マツダで働く真面目な勤労少年
一人は銀行員として日本経済に関わる若者
そして最後の一人はごく普通の大学生として
ひたすらに音楽に情熱を燃やし続けた僕
(こいつは勉学には全く励んだ様子は無い)
こんな集団だった4人が
音楽の事になると目の色を変えて追求した
コーラスを含むバンドアンサンブルにこだわった
貧乏だったがバイトしながら当時としては
若者には手の届きそうにない高価な楽器を持った
そして音楽のそばに必ず少女たちの姿があり
彼女たちと共に成長していたのだ

今回4人で最後になるであろう夕食会を開き
「何故あの時あれ程バンドに夢中になれたんだろう」
当時は今の吉田拓郎は存在しない
4人がまったく同列に音楽に接していた
人生には「こんな偶然と奇跡」が生まれる事もある
「もう会えないかもしれないな」
「今夜が最後になるのかな」
「今の気持ちを何と言葉で表せばいいんだろう」
「別れの言葉なんて言いたくないな」

そして誰かが言った
「もしこれから先、我々が顔を合わせる時が来て
それが誰かの葬式だとしたら・・そんなのはイヤだ」
「うん、俺もイヤだ」
「そうとも俺も葬式なら行かない」
「だったら・・会えるうちは、会おうじゃないか」

帰りの新幹線で気がついた事
さすがにオリンピックが近いせいか
それとも僕がずいぶん乗っていなかったからか
車内放送の「英語」がテープの時もあるが
車掌かなと思われる男性が流暢に話す
かと思うと車内サービスの案内嬢が
「特製のスイーツにチョコレートアイスなど
ご用意いたしております」
「以前にはこんなサービスは無かったよなあ
あの頃は浜松のうなぎ弁当とか・・」
アハハ・・よせよせ!時代が違うんだよ
楽しく有意義な広島への旅となった
   2019年11月8日  拓郎