[2-13] 猫とハサミは使いよう
ミアランゼは困惑していた。
あまりにも仕事がなさ過ぎて。
いや、あると言えばある。この広大な王城をひとりで掃除しようと思ったら1ヶ月くらいは時間を潰せるだろう。だが『必要な時はスケルトンを大量動員した
では普段使っている部屋を清潔に保つというのはどうだろうかと考えると、そもそも使っている部屋の数が少ない。
「失礼します、姫様」
「どうかしたの?」
ミアランゼは、作戦司令室でエヴェリスと話していたらしいルネが出てきたところを捕まえた。
「その、寝室のお掃除を、と思ったのですが……使われた形跡が無くて、私が部屋を間違えたのかと……」
「ああ……使ってないわね、そういえば」
よもやと思ったが、やっぱりだった。
ルネは王都中歩き回ったり、エヴェリスの工房と作戦司令室を往復したりで全く休む気配が無い。
掃除をしたところで意味があるだろうか。
他に使われている部屋と言えばエヴェリスの工房や作戦司令室くらいのものだが、どちらも触ってはいけないものがいろいろ置かれていて、掃除どころか迂闊に立ち入れない。
「お食事のご用意をと思って台所を覗いてみたのですが、こちらも使われた形跡が無く……」
「わたし、寝る必要もご飯食べる必要もないから……
でもミアランゼたちはそうもいかないわよね。忘れてたわ。
適当に保存食出して料理しといてくれないかしら。エヴェリスとトレイシーの分もお願いしていい?」
「はい、かしこまりました」
返事をしながらもミアランゼは歯がゆく思っていた。
自分がエヴェリスやトレイシーの世話をすれば、彼女らはルネのための仕事に集中できるだろう……というのは分かっているのだが、ふたりともミアランゼが居ないなら居ないで平気だろうし、肝心要のルネの世話はできていない。
それに、ルネはだいたいのことを自分でやってしまう。
貴人は何もかも使用人に世話をさせるのがステータスだが、そういえばルネは庶民育ちだ。むしろ、着替えを手伝ってもらうのも逆に面倒くさいと思っている節がある。服の背中の紐を締めるのさえ≪
最初に出会ってミアランゼが『手助けをさせてほしい』と言った時、ルネは『戦えるか』と聞いた。
お世話係が必要だとは最初から思っていなかったのだ。
では……戦いの役には立てるのだろうか。
* * *
ミアランゼは石畳の上に座り込み、荒く息をついた。
肺が押しつぶされて貼り付いているかのように苦しかった。
冷たい風が喉を凍らせ、ほてった身体を冷ましていく。
ミアランゼはメイド服を脱いで、身体にフィットした軽装鎧の冒険者スタイル。
王都に残されていた装備品だ。
この格好で、先程までウダノスケとトレイシーに言われるまま、ミアランゼは飛んだり跳ねたり剣を振ったりさせられた。
「どう? ものになりそう?」
「あっ、姫様……」
「休んでていいわよ」
ルネがやって来るのに気付いてミアランゼは居住まいを正そうとするが、ルネがそれを制する。
「身体能力はソコそこデゴざる。稽古を付ケれバそれなリの剣士にハなロウ。たダ、ソれ以上デもソれ以下デもゴザらんナ」
「夜目は利く。あとは耳がおっきい分だけ聞き耳に適性あるかなーってくらい。
能力的にはほぼ人間だよ」
ウダノスケとトレイシーは忌憚なく評価を述べた。
ミアランゼは、既に苦しい胸が更に締め付けられるような想いでふたりの言葉を聞いていた。
平均よりは良い、という程度。
それがミアランゼに下された評価だ。
ミアランゼは予感していた。ルネに付き従う者は、きっとこれからも増えるだろうと。
今、ミアランゼはルネにとって貴重な『アンデッドではない下僕』だ。しかし、いつまでも貴重だとは限らない。きっとルネは多くの魔族を率いることになる。ミアランゼと同じようにルネの道行きに共鳴する人族も出てくるだろう。
その時、ミアランゼはどうなる。
一兵卒として役に立てるならまだいい。不要になったり、足手まといになったりするのではないか……
「ま、いいわ。トレイシー……は、もう明日出発だから、ウダノスケ。暇な時に稽古を付けてみて」
「承知。
たダ、コの後はアラスター殿を交エ、エヴェリス殿ト『王都ダンジョン化計画』の話を進めねバならヌでごザル」
「もちろんそっち優先で良いわよ」
申し訳なさでミアランゼは消えてしまいたくなった。
ウダノスケの本来の役目はルネの剣術指南。そして現状、ルネやエヴェリスを除けば最強の兵である。
トレイシーは諜報員としてルネ自ら引き込んだのだからこれから忙しくなるに違いない。
そんなふたりの貴重な時間を使って……どれほど物にできるだろうか。
「さっきの話を聞く限りじゃ
ルネの提案にトレイシーは首をひねる。
「ダンジョン探検とか侵入探索だけなら、まあいいかも……
でもボク、この子を諜報員にするのはお勧めしないな。ボクはその気になれば、どこにでも居るような普通の女の子に化けられるけど、ミアランゼはまずそこのハードルがちょっと高いんだもん。
まず耳隠さなきゃなんないし、このにゃんこ目も特徴的過ぎるから目立っちゃうよ。隠そうとしたら大変じゃない?
対人の情報収集に差し支えるだけじゃなく、例えばどこかに潜入して見つかって逃げる時とか、変装で追っ手の目を眩ませられるかどうかってすごい重要だしさー」
トレイシーの言葉にはっと閃いたミアランゼは、放り出していた剣を手に取った。
「ならこの耳を切り落とせば問題の半分は……!」
「やめなさい! わたしが言うのもなんだけどグロいわよ!
あなた見た目が猫のくせにそういうとこワンコ気質よね!?」
「そうそうやめなよ! 可愛いじゃん、その耳!」
慌ててルネとトレイシーが止める。
可愛いというトレイシーの評価はどうでもいいが、ルネに止められたらさすがに強行できない。
「……必要ならやらせるけれど、現状あなたにそこまでさせる必要性は感じていないの」
「ほら! 姫様もこう言ってるし!」
「分かりました……」
やるせない気持ちだけがミアランゼの中に残っていた。
* * *
銀の月が冷たく照らす王都の夜は静まりかえっていた。
人という人が逃げ去った死の都を、まるで吟遊詩人が物語る怪盗のようにミアランゼは駆ける。
屋根から屋根へ。
建物外部のパイプを掴んで滑り降り、途中で壁を蹴って向かいの建物の2階へ飛び込む。
空っぽの集合住宅の中を抜け、反対の窓から飛び出す。
そして、ミアランゼは通りに向かって突き出した看板の軸を掴もうとして、手を滑らせた。
「あっ……!」
慣性に従って放り出される身体。
浮遊感。
そして。
「いっ! ……たたた……」
辛うじて受け身と呼べるかも知れない姿勢で、ミアランゼは無人の通りに落下した。
肩を打ち付けてしまい、ひどく痛む。
立ち上がろうとした時、ミアランゼの耳は何かが風を切って飛ぶ音を聞きつけた。
「何よ、自主トレ?」
「姫様!」
「焦りすぎよ。何やってるの」
どこからか飛んで来たらしいルネが、ミアランゼの前にふわりと降り立つ。
ルネはちょっと呆れたような顔をしていた。
「少しでも早く力を付けて、お役に立たなければと思い……」
「あのね……無理して戦力になる必要は無いのよ?
今はまだ試しにやらせてみてるだけ。向いてないようならメイド専業に戻すだけよ」
「ですが! メイドとしての私は……姫様に必要なのでしょうか!」
肺腑をねじ切られるような想いでミアランゼは叫んだ。
ルネのために何かできることがあればと思って半ば無理やり付いてきたのに、これではアンデッド一匹分の働きができるかどうかも怪しい。
お世話の必要が無いなら、代わりに兵になれないかと思った。それだけの単純な話だった。
「あー……そゆことね……」
ルネは言葉に悩むような顔をしていたが、やがて口を開く。
「えーとね……
でも今のわたしにはあなたよりも一本のナイフの方が役に立つの。
そのうちあなたみたいな存在が必要になることもあるはずだわ。今はそうじゃないってだけ」
――民と呼ぶべき民も無い都市ひとつ。数千とは言え自らの魔力でお作りになっただけのアンデッド兵。そして片手の指に収まるほどの生きた臣下……
この御方は、この程度で収まる器ではない。
そうだ、やがてルネはこの世界で最大の力と富を集めることだろう。
彼女の下では数百……ひょっとしたら数千の使用人が働くことになるのだろうとミアランゼは思った。
だが、それは今ではない。
「では、私は私が必要とされる時を待てばよろしいのでしょうか」
「そうだけど……」
ふと、ルネは何かに気付いた様子でちょっと顔をしかめる。
「ねえ、あなた本当にわたしに付いてきてよかったのかしら」
ミアランゼは身体を氷の剣で刺し貫かれたかのように思った。
ルネに不要と見なされ、蹴り出されることはミアランゼにとって最大の恐怖だ。
そんなことになったら、もはや自分が為すべきことはこの世に存在しないとまで思う。
「やはり私は、ここに居てはいけないのでしょうか!?」
「別に、クビって言ってるわけじゃないわ。
でもわたしは自分にとって不要な
『心配している』とか『気遣わしげ』とかではなく、ルネはただ淡々と事実を告げる口調だった。
ミアランゼは一瞬、ルネが何を言っているか分からなかった。
「例えばもし、あなたと一緒に歩いているところをすごく強い冒険者とかに襲われたら、わたしはあなたを巻き込むことすら厭わずに魔法を使うし、置き去りにして逃げるかも知れないわ」
「覚悟の上です」
「敵に追われて逃げ、わたしとトレイシーとエヴェリスとあなたが砂漠を渡って逃げることになったとするわ。
わたしはアンデッドだから平気だけれど、3人は生きて……エヴェリスはちょっと怪しいけど、とにかくみんな生きてるんだからエネルギーを補給し続けないといけない。
食糧が尽きたらわたしはあなたを捌いてふたりに肉を食わせ、血を飲ませるでしょう。ふたりはまだ使いようがあるけれど、あなたは凡庸だし今のわたしには不要だもの」
「それで姫様のお役に立てるなら否やもございません」
――そう。死ぬのなんて私は恐ろしくない。
なんとなく、そんな気はしていた。
その想いを言葉として紡ぎ、口に出してみると、思っていた以上に違和感が無かった。言い過ぎたという気はしない。
「姫様、どうか私の忠誠を信じてくださいませんでしょうか。
私はとうに全てを姫様に捧げる覚悟。私には姫様の戦いだけが希望であり、姫様の力となるためなら何を捨てようと惜しくありません。
もし私が死ぬとしても、気になるのは私の骨や魂がちゃんと姫様のお役に立つのかということだけ。私が恐れるのは姫様のお力になれないことだけです」
跪いてミアランゼは深く頭を垂れる。
煮えたぎる怒りは今でもミアランゼの中に燃えていた。
だがそれは決して世界に届かない。ミアランゼは無力な小娘に過ぎないのだから。
ルネに託すこと。ルネの力になること。
それだけがミアランゼに許された戦いだった。
ルネはじっとミアランゼを見ていた。
それから、何でもない当然のことのように言った。
「ならもう何も言わないわ。追い出したり処分したりはしないから、わたしがあなたを必要とする日まで、わたしの近くで好きに生きてなさい」
「はい!」
歓喜とともにミアランゼは応えた。
*
ミアランゼが居室に帰っていって、それからルネは散歩をするような気持ちでのんびり辺りを歩いていた。
防衛戦のためには王都の地理を頭に叩き込んでおかなければならない。そのため、ルネは隙間時間を使ってなるべく王都を見て回るようにしていた。
すると、楽しげな感情がひとつ。飛ぶように接近してくる。
「見てたよー」
ミアランゼよりよっぽど猫らしく、くるくる回りながら降ってきたトレイシーがルネの隣に着地した。
トレイシーはミアランゼの自主トレを陰で見守っていたらしい。ルネはさっきも近くにトレイシーの感情反応を検知していた。
「こういうとこ優しいよね。姫様。
ありがちな悪玉は、要らなくなったら黙って使い捨てるだけじゃない?」
感心半分、呆れ半分という調子のトレイシーだった。
あんな風に脅したら我が身可愛さに逃げ出すかも知れないし、勤労意欲が低下するかも知れない。
手下を効率よく使い潰す気なら悪手だ。見捨てる必要が出てくるまでは働かせ、最後に黙って見殺しにする方が良い。
だがルネは、そんなことをする気は無かった。
「わたし、配下を騙して使うようなことだけはしたくないの。でもそれは優しさじゃないわ。
だって不公正な主には、そのうち誰も仕えたがらなくなるでしょ? 嘘をついたり誤魔化しをするのはリスクとリターンが釣り合わないのよ」
これは主に前世の経験から来る考えだ。軍や国という単位まで行くと分からないが、少なくとも企業ではそうだった。
良い上司が居れば皆が実力を発揮し、そうでなければ……酷いと従業員に揃って逃げられ、悪評が広まって誰も求人に応えてくれないなんてことにもなる。
まして、ルネが率いるのは世界征服を目的とした破滅の軍勢。人材(魔物や魔族の場合は魔材?)を集めるのも、繋ぎ止めるのも、営利企業とは比べものにならないくらい大変だ。
だからせめて『理想の上司』たろうとルネは考えているのだった。
「その打算も、発想の根元が良い子思考なんだってばー。
始まっちゃうー。よいこのせかいせいふくが始まっちゃうよー」
ハニーブロンドのツインテールを抱え、トレイシーはぶんぶん頭を振る。
褒めてるのかなんなのかよく分からないトレイシーの苦悩を、ルネは憮然たる想いで見ていた。
自分の良心とか優しさとか、そういうものが壊れてしまっていることはルネ自身がよく分かっている。もしミアランゼを騙したところで、無い良心は痛まなかっただろう。彼女に対して公正に振る舞うのは、あくまでも打算からの行動だ。
ただ、ルネが完全に打算から行動したつもりでも、トレイシーはそこに善良さを見てしまうようだった。
「……まあいいわ。別に、邪悪ぶることが目的じゃないし」
実を言うと『部下に対して残虐な振る舞いをしたくない』という気持ちもあるので、トレイシーの言葉もまるっきり的外れというわけではない。認めるのは癪だが。
もし自分を慕う部下を騙してこき使った末に裏切って死なせたりしたら、
優しさからではなくて、恐怖からの行動だった。味方相手に残虐行為ポイントを稼ぐのもバカらしい。
「複雑ゥ。
刺すように咎めるトレイシー。
彼は冒険者らしいアウトロー気質だが、人としての良心はちゃんと持ち合わせているのだ。
脳天気そうにしていても、ルネに無理やり従わされている立場なのだから、文句のひとつも言いたくなるだろう。
「復讐のために動いているだけ。
優しく見えても、残酷に見えても、わたしにとってはただそれだけなのよ」
「そっかー……」
あくまでもルネは、自分にできる範囲で最も効率の良い方法を探しているだけだ。
落胆と哀れみを足して3で割ったような感情が、トレイシーの中には渦巻いていた。