[2-12] 政治ノ安定二犠牲ハツキモノデース
ヒルベルトはエルバート王のみならず、兄弟姉妹とその子らほとんどを皆殺しにして、自らの子を残さないままに殺害された(死亡がハッキリ確認されたわけではないが状況的に既に死んだものと見なされている)。
だが、シエル=テイラの王位継承者が居なくなったわけではない。
ジスラン・“
エルバート王の二番目の弟の長男。ルネから見ればいとこに当たる。20代半ばの青年だ。
“
オールバックにした髪、秀でた額、いつもぴっしりとしたスーツを着ていて、下縁眼鏡の奥には神秘の色をした銀目が輝く。
年頃の貴婦人たちがこぞって黄色い声を上げるような美貌の持ち主だ。
ジスランがヒルベルトの粛清から逃れた理由は簡単だ。ヒルベルトにとって居ても居なくても同じ、人畜無害で野心など抱かないような人物だったから。
そして何より、道楽じみた学問に打ち込むばかりの学究的趣味人だという評判が国民の間に浸透していて、ヒルベルトの熱狂的な支持者もジスランを殺せとまでは言わなかったからだ。学術団体の後援として活動してはいたが、それ以外で政務として表舞台に立つことはほぼ無かった。
ジスランの父は既に病死しており、その連座として殺されることもなかった。
ジスランは“怨獄の薔薇姫”が王都に攻め上ってきた時、真っ先に王都を脱出した。
腰抜けと言われようが構わなかった。どうせ自分が居たところで何もできないのだから。
ジスランは王都陥落後、母の実家であるエドフェルト侯爵家に身を寄せており、そして今は……
「もう一度、はっきり言います。私はシエル=テイラの王にはなりません」
ジスランの滞在している、エドフェルト侯爵領内の館。
深紅のソファに背筋を伸ばして座っているジスランは、足を運んだマークスとパトリックを真っ直ぐ見返して、きっぱりと言った。
マークスはジスランを王として擁立すべく画策し、ジスランに何度も打診していた。だが色よい返事は貰えていない。
今日もまた同じことだった。
「そもそも、王位継承順位は正式に王室典範に定められたものではありません。慣例として前王に最も血筋の近い男子が継ぎ、それを王と諸侯が承認していたというだけです。
相応の事情があると見なされる場合は別の者が王位についてもよいはずです。
このような時に血の近さにこだわるよりも、より相応しい力を備えた方が王位に就くべきでしょう」
「し、しかし力と言っても。“怨獄の薔薇姫”を前にして対抗できるような継承者などおりませんでしょう。だとしたら、これこの通り。先日“怨獄の薔薇姫”を退けたノアキュリオ軍の後ろ盾あらば恐れるものなどありますまい」
「武勇・武力のみの話をしているのではありません。私は王の器に非ず、と言っているのです」
取り付く島も無いとはこのことだ。
ジスランが言う『器に非ず』は、確かにそうなのだろう。
学者肌で繊細なジスランに、王として人々を纏める
さらに、武術、魔法、戦闘指揮……どれもジスランは秀でていると言えず、王族としての教養レベルに留まっている。
平時の王としてはまだあり得たかも知れないが、この大混乱の中で王になれる器ではない。
しかしそれ以上に、ジスランは自分の身に及ぶ危険を厭っているのだ。
もし今、王として手を挙げたらどうなるだろう。
間違い無く“怨獄の薔薇姫”の最優先抹殺対象になる。
ジスランははっきりと言わないが、本音では命の危機にさらされたくないというのがまず第一にあるのだろう。マークスが何度頼み込んでも、ジスランは王になることを拒否し続けていた。
だが今日は、ここにパトリックが居る。
「この通り、埒があきませんで」
マークスがパトリックに話を振った。
「辺境伯……いえ、今は将軍とお呼びするべきでしょうか。
先に申しておきますが、仮にノアキュリオ王国が私の後ろ盾になるとしても、私は王座に着く気はありません」
機先を制するようにジスランは釘を刺した。
何故、マークスが『援軍』の将であるパトリックを連れてきたのか……
普通に考えれば『ノアキュリオの傀儡になれ』という意味だ。
ノアキュリオの武力を背景にすれば国内の反対派など恐るるに足りないし、“怨獄の薔薇姫”にも対抗できるかも知れない。
その代わり、政治的には非常に面倒な立場になる。ジスランが首を縦に振るとは考えがたい。
だがマークスもパトリックも、既にジスランの意思を尊重する気はなかった。
必要なのは『王位継承権一位』という看板だけだ。
「……『ジスランを確実に説得する手がある』とおっしゃっておられましたが、それは本当に信用できる手なのですかな」
マークスが半信半疑な様子でパトリックに囁く。
「もちろんですとも。
その代わり『彼がどうなっても構わない』というお言葉……二言はございませんね」
念押しするようにパトリックが言うと、マークスは深々と頷いた。
「私は奴との戦いで三男を喪っているのです。愚かな息子だったが……いや、もうこの話はいい。
手段を選んでいられる段階はとうに過ぎたと認識しておりますよ」
このシエル=テイラを守ろうと思ったら、まずは何をどうしてでも王宮、すなわち政府を再構成するしかないとマークスは考えていた。そのためにはお飾りだろうが何だろうが王が必要だ。
自分が新王の後見人になれば良い感じに権力を握れるのではないかという考えもある。ヒルベルトにいち早く下った時と同じだ。
都合が良いことに、ジスランの父はとうの昔に身罷っている。
王宮が無くなった今、王族に対する狼藉も致命的な問題にはなるまい……
そう、マークスは考えていた。
「なんです? 何を話しているのです?」
訝しむジスランを無視して、パトリックは部屋の扉の方に声を掛けた。
「お入りください」
扉が、悪魔の断末魔みたいな音を開けて開いた。
部屋に入ってきたのは、半ば以上赤茶色の染みに染め上げられた白衣を着ている老婆。
アップに纏められた真っ白の髪。皺深い顔。
杖を突いてはいるが、足取りはしっかりしたものだ。
ノアキュリオ軍の特別技術顧問、モルガナだ。
そして彼女に続くのは、黒い頭巾で顔を隠した僧服姿の男たち。
「何を……!」
頭巾の男たちがジスランの手足を掴み、拘束した。
「よしよし、良い子だね。怖がるこたぁないよ」
振りほどこうとするジスランの顔を覗き込み、モルガナは優しく微笑んだ。
「すぐに痛みも恐怖も感じなくなるからね」
モルガナの白衣に、赤い染みが増えた。
* * *
「エドフェルト侯爵が、皇太子擁立を?」
「そう。ノアキュリオ王国の後ろ盾を得てね。侯爵様はもともとノアキュリオに縁が深い。
さらにエルミニオを通じてディレッタ神聖王国にもコネ作れないかなって考えてるみたい。状況的にはディレッタだって口出したいはずで、あとは意思疎通のルートさえ有ればいいはずだよ」
トレイシーはルネの質問に、とても嫌そうな苦悶の表情でペラペラと何もかも吐いていく。
作戦司令室の卓を囲むのはルネとエヴェリス、そしてトレイシー。3人の前には、エヴェリスの私物である
「情報提供感謝するよ、トレイシー君」
「とほほーい。勝手に動くボクの口! ボクのせいで何人死ぬのかなーっ!」
蜂蜜色の頭を抱えるトレイシー。
彼の胸部にはエヴェリスが開発した『隷従核』が埋め込まれている。隷従の首輪と同じ効果を持つマジックアイテムで、心臓ペースメーカーみたいに体内に埋め込むチップ式の新型だ。
ブレスレット型やチョーカー型という案もあったようだが、激しい戦闘で外れてしまう可能性もあるため最終的にこれにしたらしい。
契約文章で行動を縛られたトレイシーは、ルネに逆らうことも隠し事をすることもできない。『知っていることを全部喋れ』と言われたら、知る限りの情報を垂れ流してしまうのだ。
「エドフェルト侯爵はヒルベルト派だったはずよね?
その流れを汲んだ動きなのかしら」
「もちろん。侯爵様は旧ヒルベルト派の諸侯のうち何人かを抱き込んでこの動きを進めてるっぽい。ノアキュリオ絡みの話でもあるわけだしね。
それにヒルベルト2世に批判的だった諸侯は領地没収まで検討されてたくらいなんだから、その対立が消えるわけないよ。王都より西側に反対派、東側にヒルベルト派が多かったっていう地理的な問題もあるし、もうこの溝が埋まることは無いんじゃないかな」
つまり、ヒルベルトがやろうとしたことを劣化コピーして、エドフェルト侯爵はなぞろうとしている。
国が崩壊した今、それを立て直さなければ生きていけないだろうし、ルネを恐れて列強の軍事力に縋りたくなる気持ちも分かる。
だがその結果としてどうなる。エドフェルト侯爵の指揮によってシエル=テイラが再建されれば、ノアキュリオと、もしかしたらディレッタもが事実上の宗主国として甘い汁を吸い、旧ヒルベルト派の諸侯は世論に断罪されることもなく求心力を維持したまま権勢を振るうことになるだろう。
「死刑ね」
「やっぱり……
姫様、どうかボクの心の安寧のためにも、あんまり無辜の皆様を虐殺しないでくださいませませー!」
「なるべくそうなるように祈ってなさい」
「あうううう……
「それ気に入ってるの?」
おちゃらけたようにも見えるトレイシーの態度だが、ルネが読み取った感情情報によるならば気が進まないのは確かなようだ。
アウトローな気質が強い冒険者たちは、自分が生き残るためなら他人を売り渡したり見捨てる者も多い。そんな中にあって無関係の人々の安否を一応気遣うトレイシーの態度は比較的善良な部類に入るものだった。
「で、あの聖獣は何なの?」
「それはボクも知らないよ。知ってるのは侯爵様がノアキュリオ軍を呼び込もうとしていたところまで。まだディレッタが出てきたわけじゃないはずなんだけど」
トレイシーも戸惑った様子で答える。
ジスランの擁立まで掴んでいたトレイシーだが、彼でさえあの聖獣のことは知らないわけだ。
「不気味ー。あの聖獣たちがどこから湧いて出たのか、宙ぶらりんに浮いた要素になってるよ」
「考えててもしょうがないわね。情報収集をすべき局面じゃないかしら」
「同感。さ、仕事だよ」
「うわーい、お仕事だあ。あははぁ」
トレイシーは乾いた笑い声とともに机に突っ伏した。