批判される人

 

 

ZOZOTOWNの元社長と女優が破局したという。

 

私は、成金は好きではないが、だからといって、成金がこの社会にいない方がいいとは思っていない。

 

なぜなら、成金が転落し、社会的に不幸になるということを多くの人々が暗に望んでいる限り、そういう人生を演じてくれる人は、貴重な存在だと思うからだ。

 

もし成金が、運よく資産を残した場合も、子孫たちが骨肉の資産争いを見せてくれるので、それはそれで社会的な価値がある。

 

 

一番困るのは、本物の金持ちマインドを持つ人たちだ。

 

この人たちは極めてクレバーなため、人々の悪意と中傷の餌食になることもなく、着実に資産を形成していく。

 

その抜かりなさは、尊敬に値すると思う。

 

 

批判され、嫌われ、中傷される人は、不器用な人だ。

 

そして純粋な人だ。

 

だから、そういう人は、社会的には不幸であっても、精神が汚されることは、ある程度、防ぐことができる。

 

きっと誹謗中傷が、その人の精神の毒を、多少なりとも抜き去るような作用を持つのだろう。

 

そしてその毒は、誹謗中傷した人々が分け合うのだと思う。

 

そうやって、毒が社会の中を循環する。

 

その毒のことを、仏教では業と呼んでいるのではないか。

 

 

私もかつては、スピ系成金たちを批判していたが、その毒をあおりすぎたのか。

 

人間は、批判したものになっていくそうだが、幸い、私は成金にはならなかった。

 

そのかわり、精神に溜まった毒が、それを抜き去る人々を引き寄せ続けた。

 

 

人生は、どこまでも汚れていくか、汚れを清める人々に出会うか、そのどちらかなのだろう。

 

そして、清められた人々は、社会的には不幸になるが、きっと精神は、無垢な状態に戻るのだと思う。