内田裕也を「英語派ロックの旗を掲げ日本語ロック論争に敗れた人」と思ってる方には、拙稿「日本語ロック論争の問題系」『聴衆をつくる』https://amzn.to/2ubGOov をご紹介しときます。今となっては当たり前すぎて意識すらしないことを夢見て作り上げた偉人でした。謹んでご冥福ををお祈りいたします
-
-
なので「日本語ロック論争」って呼び名自体が全くフェアやないんよ。それ自体が「はっぴいえんど史観」から眺めた呼び名((3)だけが論争のテーマだったとする見方)なのよね。近過去の大衆文化であっても少し時代が降れば文脈忘れられて全然違うものにされてしまう、という一例やとおもいます
Show this thread -
さらに言えば(3)が「日本語ロック論争」の主題であるとする見方は、日本ポップ史における「はっぴいえんどの画期性」ばかりに照準する視線を強めることになる。そのことは例えば漣健児(草野昌一)のような先行者の影響を見えなくし、はっぴいえんどのフラットな位置づけを困難にしています
Show this thread -
内田裕也が「ヒット曲もないのに偉そうにしている迷惑な老人」にしか見えなかったのは、われわれがこの「はっぴいえんど史観」イデオロギーにすっぽり浸かっていることの反映なわけです。平たく言えば「音楽は社会と関係なく純粋に美的なものだ」イデオロギーから眺められた日本ロック史の反映なんよ
Show this thread
End of conversation
New conversation -