片や僕が京都の古巣に花を手向けている時、スポットライトが当たるテレビ局内でしれっと古巣について語り。
片や僕が被災地の家から水浸しの畳を運び出している時、「台風を予言したんだ!」と面倒くさい持ち上げられ方をされ。
でも僕は彼の作品を精一杯評価する。
なせなら「人間性と作品の評価は別」だからだ。
彼が一時期スキャンダルに見舞われた時も、「作品と作者とは別!」と、やたらネットではうるさかった。
しかしその返す刀で、僕に対しては「ヤマカンが人間性がアレだから」と、真逆の反応。
何の犯罪も、スキャンダルも犯してないのに、この嫌われようはなかろう。
しかし、僕は作り、そして語る。
アニメが復興するには、まずオタクの隷属主義を止めなければならない。
「アニメを壊す」行為を止めさせないといけない。
でなければどんな名作を作ろうが、「人間性」とかいう訳の解らない判断基準で切り捨てられる。
彼らが揃って口々に連呼する「人間性」なんてことばには何の意味もない。ただ「俺たちオタクの靴を舐めるか否か」と言ってるのと同義だ。
そしてオタクの靴を舐めることは、アニメにとっての「死」そのものだ。
今やオタクと同調し始めた業界人まで「ヤマカンはアレだから」と言い始めている。
極めて愚かだ。
オタクの隷属主義を許していることは生き残りの手段でも何でもない。
彼らの蛮行はもう際限がなくなっている。
今や身の危険すら感じなければならない。
「人間性」などという、オタクにとって都合のいいだけのキラーワードに翻弄されることなく、創作への矜持を保つべきだ。
「オタクに尻尾振りさえすれば金になる」という時代は終わった。
オタクは今や円盤も買わず、劇場にも来ず、来たと思ったら火をつける。
その腐りきった根性を反省し、アニメを護るための戦いをしろ。
誰もせんのかこの業界は。呆れ果てる。