俺は交通機関の中で赤ん坊や幼児にちょっかい出すのが好きだ。言わば手を触れずに乳幼児を変顔だけであやすプロフェッショナルと言っていい。大抵のグズってる乳幼児は俺の厳しい視線や殺気に満ちた顔でぐずりを止める。あるいは極限の恐怖で命乞いのバイバイさえしてくる。
この業界横のつながりはないが同業者を見かけることがたまにあり、あるときに泣きじゃくる赤ん坊にまぶたのピアスをびよーんびよーんとやって見せてる男子高生くらいの同業者もいた。色々と攻撃の手段はあるものだと感心するばかりである。
さてここは終電まで一時間くらいの下りの電車。帰宅ラッシュが多少ひと段落した車内で一歳に満たないくらいの赤ん坊が泣いており、母親が周りを気にしながら一生懸命あやしている。プロの出番だな。
いいかガキよ。ここは電車の中で乗っているのは会社帰りの俺を含めたくたびれたリーマンやOLが家路を急いでるんだ。眠くて機嫌が悪いからってぐずるんじゃねえよ。ほらお前のママがうろたえながら一生懸命お前の背中をぽんぽんやってるじゃねえか。お前ママを温泉に連れてったりプレゼントしたりの親孝行したことあるか?俺たちはある。大人だからな。くやしいだろ。だがそんなお前にも今できるたった一つの親孝行、それがおとなしく眠ることだ。それができないと言うのなら俺が強制的に黙らせてやる。
そんな気合を込めた一瞥を俺は軽いジャブでガキに突き刺す。ママの肩越しに一瞬表情が凍り付くガキだが俺は容赦しない。すかさずこの世のものとも思えない殺意に満ちた表情を作りガキを威嚇する。酒が入ってるからほっぺたと唇の筋肉がピクピク言ってるが我慢だ。俺は大人だからな。
俺に視線をホールドされたガキが小賢しくもママの胸に顔を埋め、俺の威嚇を回避しようとする。バカめ!隠れたつもりか。ほら早くも肩越しに顔を出して俺のプレッシャーに晒されている。恐怖に満ちた黒豆のようなお目目が俺を見ている。ざまあみろ。
しばらくするとこのガキはまたしてもママの胸に退避しやがった。卑怯者め。だがそれは俺の思うつぼである。俺は表情を変えずにショルダーバッグに手を突っ込むと人差し指と中指に特別な攻撃モジュールを装備した。ゲーセンのクレーンゲームでついムキになって1000円くらい突っ込んで入手したアイテムだ。男は30過ぎると酒飲んだらクレーンゲームがやりたくてしょうがなくなるのだ。大人だからな。
5センチくらいのカンガルーとパンダの指人形を装備してピースの状態にすると、俺はこのガキが三たびママの肩越しから顔を出すのを狙った。もちろん殺意に満ちた表情の準備も万全だ。完璧な段取り。まさに大人。
だが次の瞬間ドアが開き、何と母親が笑顔で振り返り俺に軽く会釈して降りて行った。くっ!何だと?
確かに俺の攻撃が母親に悟られ「すみません」とにっこりガードされてしまうことはある。俺はこれを親テレパシーと読んでいるが、親テレパシーの感度が高まるのは、敵が隣に立つもしくは隣に座るときであり、今回俺の位置は真後ろである。しかも車内の混雑具合はとりあえず椅子が全部埋まってる程度で、立ってても新聞広げられるくらいだった。敵までの距離も一歩半程度と完璧だった。
次の瞬間ドアが閉まり俺は全てを悟った。
ドアの窓ガラスの中にカンガルーとパンダを指にはめた酔っぱらいのリーマンがいた。
ワイシャツの裾が片っぽ出てた。