[1-53] 木の葉舞い散る丁々発止
「というわけだ。聞こえていたか? ローレンス」
『……バーティル!!』
バーティルの取り出した
札からツバが飛ばないのが不思議に思えるほどだ。
彼は王の護衛として王城の作戦司令室に詰めており、つまりこの
ハンフリーはルネが言った通り、まっすぐバーティルの所へ向かったのだが、バーティルはこれを自らローレンスに報せた。
その理由の半分は自分の立場に保険を掛けるためだ。もし既にローレンスやヒルベルトがこの動きを察していたら、あるいは今後気付いたとしたらバーティルは追い込まれる。そうならないように先手を打ったのだ。
「そんな大声を出さなくても通じるよ」
『なんだ今の言い草は! お前本当に裏切る気か!?』
「リアルだったろ?」
ルネの物言いは当然のこと、それに同調するようなバーティルの態度も気にくわないようでローレンスは怒鳴り散らす。
バーティルはそれをいなすように軽い調子だった。
「とにかく、この状況をどう利用するかだよ。向こうの行動を多少は縛れたんだから、付け入るにはどうすればいいか考えるだけだ」
『奴の妄言など一顧だにする価値も無い。油断させるとか利用するとか考えるだけ無駄だ。全て虚言と心得るくらいでいいだろう』
ローレンスのその言葉は、願望混じりだとバーティルは思った。
だがバーティルの考えは違う。
「少なくとも、民に被害を出したくないという言葉は本当だと思う。市街地にもアンデッドが流れ込んで戦いになったが……第二騎士団だけじゃない、市民の被害もゼロなんだ」
『奴はウェサラを滅ぼしたのだぞ!』
「避難民は女性と子どもばかりだったそうじゃないか。逆に言うなら、男をほぼ全員殺せるような力があったのに結構な数の女子どもを生かして逃がしたわけだろう?
別にさっきの言葉が全て真実とも思わないが、“怨獄の薔薇姫”は何らかの基準で人の生き死ににラインを引いているのは確実だ。ただひたすらに生ある者を憎み殺しているわけではないんだ」
仮にその『ライン』が正義とか人命の尊重ではないにしても、何かがあるはずだとバーティルは思っていた。
「……もちろん“怨獄の薔薇姫”は、君や陛下のことは絶対殺す気だろうし、俺はそれを座視する気は無い」
『当たり前だ!! ……それと、あいつを姫と呼ぶな!』
言い訳のように付け加えた言葉に、ローレンスが怒鳴り返す。
『バーティル、お前どっちの味方のつもりだ』
「市民を無事に逃がせればそれはそれで結構なことじゃないか。
つまり、整理しよう。第二騎士団がアンデッド兵を倒さない限り向こうもこちらを殺さないはずだ。第二騎士団が先頭に立ち、第一騎士団は第二騎士団を盾にして戦えばいい。
それと本当に西側の封鎖が解かれるなら市民を避難させられる。避難が済むまでだけでも第二騎士団は裏切ったふりをしておく……というところでいいのではないだろうか」
『そう上手くいけばいいがな』
ローレンスは、ルネが約束を守るなどとは思っていない様子だった。
それでもバーティルの意見を却下しなかったのは、第二騎士団が矢面に立つなら、ルネが約束を違えた場合にまず危険に晒されるのは第二騎士団だからだろう。
「とにかく西側の監視だ。もし本当に兵が退くようなら周辺の領から集まってくる増援を西に迂回させればいい。敵を避けて王都に入れるし、避難民の護衛もさせないとならない」
『それは陛下がお決めになることだ』
「……そうだな、僭越だった。意見具申と考えてほしい」
――陛下、ね。
バーティルは口の端だけで笑う。
ローレンスは先王に対しても模範的な軍人として仕えていた。だが、ヒルベルトに対しては常軌を逸した持ち上げようだ。
そのうち、ヒルベルトに否定的な市民に片っ端から決闘を挑んだりはしないかとバーティルは内心心配していた。
『くれぐれも、くだらんことを考えてくれるなよ。お前がどうしても騙されたいと考えて勝手に破滅するなら知ったことではないが、その場合は独りだけでやってくれ。この国を巻き込まないでくれたまえ!』
ローレンスが言うだけ言うと、通信はぶつりと途切れた。
話も終わったし、そろそろ符が燃え尽きるところだったから通信を切るタイミングとしては不自然ではないのだが、苛立ちをぶつけるような切り方であった。
バーティルは苦笑、あるいは失笑し、首を鳴らす。
「さて、それでは皆に連絡だ。
まさか“怨獄の薔薇姫”その人と話したなんて言えないからね。アンデッドは第一騎士団だけを狙ってるらしいってだけ言って、攻撃せず肉の壁になるよう通達を出すか」
スリット状の窓からバーティルは街の外を見る。
アンデッドの軍勢が、失った兵の穴を埋めるように陣形を組み直していた。
この一時撤退がバーティルに裏切りの誘いを掛けるためだとしたら……もうしばらくの間を置いて第二次攻撃が始まるはずだ。
「団長」
部屋を出ていこうとするバーティルをハンフリーが呼び止めた。
成り行きでここまで来ていた彼だが、"怨獄の薔薇姫"と団長ふたりの会話を前にして、部屋の隅で身を固くしてじっと成り行きを見守っているだけだった。
ようやく声を出した彼の表情には、戸惑いの色があった。
「なんだい?」
「その……このようなことをこの場で言うべきではないかも知れませんが……
今話されていた方は、本当に第一騎士団長に相違ないのでしょうか?」
バーティルは一瞬、その質問の意図をくめなかった。
「……ははあ、なるほど。ローレンスは自分が国の看板だってことを分かってて外面をよくするからね。
かんしゃくを爆発させるところなんて第二の団員でも知らない奴の方が多いか」
ハンフリーは常には無いローレンスの姿を見て、あれが国民的英雄たる第一騎士団長とはにわかに信じがたかった様子だ。
「あれではまるで、団長が裏切り者と決めてかかっているようではありませんか」
「つっても実際、半分は裏切ったようなもんだしなあ……いや、もともと味方じゃなかったと言うべきか。
第一騎士団からはちらほら死人が出てるのにうちは無傷なんだ。心穏やかじゃないのは当然だろう」
最初の戦闘で第一騎士団の者は容赦無く殺されたが、第二騎士団は多少の怪我を負った者が居る程度で、あれだけのアンデッドの群れがやってきたのに死人が出ていない。ハンフリーが仰天のニュースを持ち帰るまで、バーティルも何が何だか分からなかったし……ローレンスに内通を疑われるのではないかと考えていた。そのための罠ではないかと考えたほどだ。
そして懸念は当たっていた。バーティルはルネからの誘いを敢えて隠さず伝えたが、ローレンスはその前からバーティルを疑っていたようだ。そのせいで敵対的な態度だったのだ。
「率直に言うなら、俺は……怖いんです。
敵を憎むのは当然のことですが、第一騎士団長が“怨獄の薔薇姫”に対して向ける感情は、何か違う気がして……そのせいで団長に対してまで敵対的になっているという気がするんです」
カリスマ性、輝かしいばかりの武勇、整った容姿に振る舞いの端麗さ……
英雄たるべく生まれついたようなローレンスには皆が憧れる。一般市民は当然、騎士団に所属する騎士たちであれば尚のことだ。
そのせいでハンフリーは余計に戸惑っているのだろうか。
――別になあ、ローレンスも『英雄』って生き物じゃあなく人なんだけどね。
「ローレンスは勤勉だし優しいし真面目だし最強だし正義感が強くてカリスマもある。第一騎士団長の座を預かるにふさわしい騎士だと思うよ。
だけど、憎んでも憎んでも属国的に礼を尽くさざるを得なかった連邦に対して遂に一泡吹かせ、連邦を相手に戦って国を守れるって状況に興奮して、ちょっと見境が無くなってるんだろう。
あいつは東部の出だからな。連邦よりノアキュリオに親近感あったろうし……あと、なんか実家が連邦絡みでひでー目に遭ったらしいし」
「れ、連邦? ですか? 今戦っている相手は“怨獄の薔薇姫”では?」
「たぶんあいつ『敵』の括りが大雑把なんだよ。
前王陛下は親連邦派だった。ならば連邦の一部だ。
ルネは前王陛下の娘だ。ならば連邦の一部だ。
“怨獄の薔薇姫”は前王陛下の娘が蘇ったモンスターであり、新たに立ち上がりかけた国体を脅かす敵。ならば連邦の一部だ……ってな。
……軍人としちゃ才能だと思うぜ? 戦場でグチャグチャ悩んで迷ってたら死ぬからな」
きっとローレンスは"怨獄の薔薇姫"に連邦の影を見ている。
これはローレンスにとって悪しき連邦の侵略に対する戦いなのだ。劣勢であることも相まって、手負いの獣のように獰猛になっている。
「俺のことも連邦の味方に分類しかけてるわけ」
バーティルがそう言っても、ハンフリーはまだ腑に落ちない顔をしていた。
「いい友達だったのになあ」
「嫌われてしまったわけですか」
「いや? ……女の子の首を切り落としてはしゃいでるような奴とはお友達でいたくないんだ。俺がね」
――あーあ、言っちまったよ。あいつのこと見捨てたくなかったのになあ。
バーティルは静かに目を閉じ、そして開いた。
窓の外には、死を形にしたような軍勢が布陣している。
「コウモリにならせてもらうよ。どうすれば一番穏便に全てが終わるのか……様子見しつつ動こう。
この国を守るということは民を守るということだ。陛下を守ることとは限らない。
ひとりでも多くの民を生かすためなら、俺はクーデターだって見逃すし、邪神にだって魂を売ろう」
* * *
「食わせ者ね」
ルネが会話を行っていた場所は、本陣にある作戦室とは別の天幕だ。立ち会っていたアラスターはルネの言葉を聞いて顔をしかめる。
「やはり嘘がございましたか」
ハンフリーに
ルネはバーティルとの会話の中で相手の感情を読み、どの程度協力的であるかや嘘の有無を調べていた。
「ヒルベルトとローレンスについて言及した時反応があったから、少なくともこのふたりは聞いてると思うわ」
ルネは、バーティルの動揺や恐れを感じ取っていた。
特に反応した言葉が何か、から推理すれば、実際にどんな状況だったのかも理解できる。
アラスターも腕を組んで唸っていた。
「まさか、あの場所に出てくるはずもなし。となると……」
「『一緒に居るか』ってところでは反応しなかったから……たぶん、
「姫様に対してあるまじき、なんたる無礼か! いかにも
「いいじゃない、それはそれで利用できるんだから」
バーティルがどのような人物か、クーデターに対してどのような態度だったか。ルネは事前にアラスターから聞いて詳細に把握している。
話を総合すると、煮ても焼いても食えない男という印象だ。心情的には味方寄りであろう人物だが、慎重で、軍人として民を守護するという己の役割から外れることがない。
様子を見てどちらに味方するか決めたいというのは本当だろう。
バーティルは話に応じはしたが、ルネに全てを賭けるような軽挙をせず、しかし完全にローレンスたちの味方という気もしない。
「敵対的とまでは言えないけれど、出し抜くチャンスをうかがいながらの様子見というニオイがするわね。ひとり勝ちを狙ってる感じ」
「姫様、先程の会話で想定しておられましたのは第7フェイズ・パターン3でしょうか。この状況ですと姫様自ら前線を巡ることになりますが……」
「構わないわ。そのコースで再度戦闘開始よ」
「はっ」
アラスターは恭しく礼をする。
「その気持ちを理解はするけどタダでは済ませないわ、第二騎士団長。先に騙そうとした分はそっちの落ち度と思って、甘んじて報いを受けなさい。
わたし、嘘はついてないけど本当のことも言ってないの。あなたたちの信じる神様のやり方と同じよ」