あの失敗した「海洋清掃マシン」が新たな舞台で復活。東南アジアの河川でプラスティックごみを回収へ

海に漂う大量のプラスティックごみを回収すべく、全長600mの海洋清掃マシンを太平洋へと送り出したNPO団体「オーシャン・クリーンアップ」。その巨大マシンが壊れてしまったあと、新たな舞台に選んだのは東南アジアの河川だった。ごみを発生源で効率よく回収しようという試みは、今度こそ成功するのか。

THE OCEAN CLEANUP

PHOTOGRAPH BY THE OCEAN CLEANUP

いまから1年ほど前の昨年9月、オーシャン・クリーンアップという団体が、海洋プラスティックごみの除去を目指して前例のない装置で前例のない活動を開始した。その装置とは、全長600mのU字型のプラスティック製チューブである。このチューブにぶら下げた網に東太平洋に集積したプラスティックが自然に入る仕掛けで、集められたごみは回収船がやって来てすくい上げ、陸地に運ぶ手はずになっていた。

ところが開始から数カ月後、この海洋清掃マシンはプラスティックごみを集めないばかりか、ふたつに割れてしまった。チューブの修理と機能向上のため、オーシャン・クリーンアップはこの装置をハワイまで曳航しなければならなくなった。

関連記事太平洋に向かった巨大な「海洋清掃マシン」が、ごみを集めないまま壊れてしまった

それから数カ月後の今年10月初旬、オーシャン・クリーンアップは機能の向上した装置がついにプラスティックごみを集めたと発表した。しかしある研究者がTwitterで、この装置は海洋生物も収集していると指摘した。前例のない活動は、なかなか順風満帆とはいかないようだ。

“失敗”を経た新たな解決策

科学者たちは、オーシャン・クリーンアップの装置の設計上の選択について、装置が設置される数年前から警鐘を鳴らし始めていた。海洋生物を傷つける可能性、巨大なプラスティックからマイクロプラスティックが剥がれ落ちる事実、波の荒い海に浮かぶ全長600mのチューブの脆弱性が問題だと警告していた。どの問題も最初から明らかに悩みの種だった。

そして装置の設置後、オーシャン・クリーンアップは科学者たちが間違った解決策と考える方法に数千万ドルを費やしてきた。科学者たちによると、プラスティックごみの回収に最適な場所は、ごみが海にちょうど流れ込むところよりも前、つまり河口の少し上流である。

この意見に、オーシャン・クリーンアップは耳を傾けていたらしい。同団体は10月26日、アップルが開催するようなイヴェントをロッテルダムで開催し、太陽光発電で動く「The Interceptor(インターセプター)」というごみ回収船の詳細を明らかにしたのである。

インターセプターには河川に浮かべる長いフェンスが付いている。河口の少し上流でこのフェンスを広げ、集められたごみは船尾の開口部に流し込まれたあと、ベルトコンヴェヤーで船内の大型容器に運ばれる。

すでに2隻のインターセプターが、インドネシアとマレーシアで航行している。もう1隻はヴェトナムのメコン川での航行を準備中で、4隻目はドミニカ共和国で航行する予定だ。

The barge's conveyor belt ferries trash into bins

集められたごみは、ベルトコンヴェヤーで船内の大型容器へ運ばれる。大型容器がごみで満杯になると専門のスタッフが川岸までごみを運ぶ。PHOTOGRAPH BY THE OCEAN CLEANUP

ヒントになった先行事例

確かにインターセプターは素晴らしいアイデアだが、河川を航行するごみ回収船というアイデアはすでに実行に移されている。数年前からボルティモアで河川のプラスティックを集めるごみ回収船が航行しているのは、周知の事実だ。

その船とは、大きな目玉が飛び出た「ミスター・トラッシュ・ホイール(Mr. Trash Wheel)」である。このごみ回収船はボルティモア港で年間200トンものごみをすくい上げており、「プロフェッサー・トラッシュ・ホイール」という仲間もいる(ミスター・トラッシュ・ホイールのInstagramアカウントをフォローしていないと、見逃しているかもしれない)。

「科学者は長らく、河口の上流におけるごみ回収船の運航こそが、海洋プラスティックごみ問題の正しい解決法だと主張し続けてきました」と、アダム・リンドキストは語る。リンドキストは、非営利組織ウォーターフロント・パートナーシップ・オブ・ボルティモアで、ボルティモア港の汚染削減と環境再生を目指す活動を行うヘルシー・ハーバー・イニシアチヴの責任者だ。「オーシャン・クリーンアップが河川でのごみ回収船という方法をまねたのは、この方法への最大の賛辞だといえます」

ミスター・トラッシュ・ホイールはボルティモアの河川向けに開発されているが、オーシャン・クリーンアップはインターセプターを大量生産できるように設計した。そのうえインターセプターはかなりハイテクである。ボルティモアのごみ回収船は水車、すなわち川の流れで回転する外輪によってベルトコンヴェヤーを動かし、バックアップとして太陽光発電を用いる。一方、インターセプターは太陽光発電のみで動く。

Mr. Trash Wheel collecting trash

いつ見ても愛嬌があるミスター・トラッシュ・ホイールは、ボルティモアでプラスティックごみを回収している PHOTOGRAPH BY WATERFRONT PARTNERSHIP OF BALTIMORE

世界中の河川へも輸送可能

オーシャン・クリーンアップの創設者兼最高経営責任者(CEO)のボイヤン・スラットは10月26日、プラスティックごみに見立てた多数のラバーダックを水面に流してデモンストレーションを実施している。このようにプラスティックごみは、インターセプターのベルトに乗って河川から船内に上がっていく。それから“シャトル”のように往復する箱に集められる。

集められたプラスティックごみは、その箱から下部にある6つの大型のごみ容器に落とされる。この容器が満杯になると、インターセプターのシステムがその地域のスタッフにメールを送信する。メールを受信したスタッフがタグボートでやって来て、容器を川岸まで運ぶ。インターセプターは1日に約50,000kgのプラスティックごみを回収可能で、20年もつ。

オーシャン・クリーンアップによると、インターセプターには世界中の河川に輸送しやすい利点もある。もちろんすべての河川を調べたわけではないが、とりわけ大量にプラスティックごみを排出している河川の特定によって、オーシャン・クリーンアップはこの問題に大きな進展をもたらすことができる。

「地球上のプラスティックごみの80パーセントは、1,000あまりの河川から排出されています」と、オーシャン・クリーンアップの主任研究員ローラン・ルブルトンは言う。「海へのプラスティックごみの排出を大幅に減らしたいのであれば、こうした河川でごみの回収に取り組まなければなりません」

問題解決には「上流」での対策が効果的

河川から大量のプラスティックが排出されていることはわかっていても、そのプラスティックが最終的に流れつく場所を特定するのは困難を極める。オーシャン・クリーンアップの推定によると、同団体が巨大なチューブで清掃しようとしたはるか沖合の還流には、海洋プラスティックのほんの小さなかけらが漂っている。

海岸から流出したプラスティックの0.06パーセントは還流をくぐり抜けるものとみられる。それ以外のプラスティックは絶え間なく循環する海流にとらえられて海岸へ押し戻されたのち、沖へ流されるようだ。

海洋プラスティック問題に取り組むNPO「The 5 Gyres Institute」を率いる科学者で、この問題を研究しているマーカス・エリクセンは、「海岸で毎週のように清掃活動を実施するほうが、(海洋で)ごみの回収事業を6~7年間かけて実施するよりも、ずっと多くのごみを集められるはずです」と語る。「何らかの問題を解決するには、一般的には原因の上流か下流で対策を講じることになります。しかし、下流側に行けば行くほど、問題解決に必要なコストが膨らみ続けるのです」

the ocean cleanup

VIDEO BY THE OCEAN CLEANUP

人々の行動を変えられるか

河川の上流で海洋プラスティック問題を解決する利点は資金面以外にもある。それはさまざまな人々にこの問題をアピールできることだ。ミスター・トラッシュ・ホイールにあの大きな目玉がついているのは、ごみを見るためでも、ボルティモア港をパックマンのように動き回ってごみをすくい上げるためでもない。

「大きな目玉をつけたところ、ミスター・トラッシュ・ホイールの作業は人々に行動の変化を促す活動に変わりました」と、ヘルシー・ハーバー・イニシアチヴのリンドキストは説明する。「わたしたちはごみ回収船の所有にとどまらず、この種の船によって人々の行動を変えていくことがとても重要だと考えています。水路からひっきりなしにごみを拾い続けるだけの活動ではなくなりますから」

オーシャン・クリーンアップの海洋清掃マシンについてどのような思いを抱くにせよ、この装置のおかげで海洋プラスティック汚染についてわずか数年で大きな関心が集まった事実は否定しがたい。そして同団体の取り組みが河川の上流に向かえば、海洋プラスティック汚染は身近な問題として強く意識されるようになるだろう。

「人類が緊急事態に陥っていること、プラスティックごみが急速に増加している現状を、皆さんに認識してほしいのです」と、オーシャン・クリーンアップのルブルトンは言う。「川に船を浮かべたからといってすべてが解決するわけではありませんが、川の上流でプラスティックを回収したり、人々の行動を変化させようとしたりする際に役立つはずです」

大きな目玉はオプションだが、インターセプターにもぜひつけたほうがいい。

RELATED

SHARE

ジェフリー・エプスタインのような高額寄付者は、「科学をむしばむ」危険性をもちあわせている

MITメディアラボ、ハーヴァード大学、スタンフォード大学、病院、研究所。これらの機関は、どこも大富豪からの寄付金を受け取っている。しかし、寄付金にはイノヴェイションの世界を歪める力があることを、わたしたちは忘れてはならない。その寄付が世界の役に立つものだとしても、寄付者の評判を高めるために使われているだけだとしても──。『WIRED』US版副編集長のアダム・ロジャースによる論考。

TEXT BY ADAM ROGERS
TRANSLATION BY NORIAKI TAKAHASHI

WIRED(US)

MIT

MICHAEL DWYER/AP/AFLO

科学に関心をもっている大富豪がいるとしよう。それと同時に、彼は少女とのセックスにも関心がある。有名人で、大金持ちで、著名人と交流がある。交流のある人々の一部は、彼のよからぬ習慣について知っているはずだが、知らぬふりをしていた。

やがて大富豪の名は、さまざまな慈善活動の場面で語られるようになる。ところがその後、醜い真実が明かされる──ほとんどは、その奇妙な死のあとでだ。

当てはまる人物は、ひとりではない

はっきりさせておくが、これは“あの”大富豪のことではない。

いま書いたことは、確かにすべてジェフリー・エプスタインに当てはまる。金融業者で、児童買春で有罪判決を受け、未成年性的虐待の容疑に問われていた一方で、TEDカンファレンスの登壇者級の科学者や知識人の大勢と、個人的あるいは金銭的なつながりを数十年にわたってもっていた。そして、ついに彼に支援を受けた者にとって、彼とのつきあいが重大な結果を生み始めたのだ(当のエプスタインは2019年8月10日に刑務所内で自殺したとされている)。

しかし、冒頭で触れた人物とはハワード・ヒューズのことだ。飛行家で映画プロデューサー、富豪、気味の悪い人物、そして慈善家としても重要な存在だった。彼が1953年に設立したハワード・ヒューズ医学研究所(HHMI)は現在、200億ドル(約2兆1,600億円)の資産を有し、2,000人以上が働いているという。2018年だけをみても、5億6,200万ドル(約607億円)を生物医学研究に投じている。寄付を受けたい者は多く、競争は非常に厳しい。

20世紀半ばのヒューズは捕食者だった。ところが今日では、彼の名を冠した組織の名声は高く、人命を救う科学的イノヴェイションにおける確固たる支援者と認識されている。よもやHHMIからの寄付を断る科学者などいまい。

それに対して、ジェフリー・エプスタインと関係していた研究機関は、まるで“汚染地帯”のように扱われるようになった。金は人を堕落させる。わかりきった話だ。しかし、エプスタインの例は、もっと大きな物語を語っている。慈善的寄付(特に個人の寄付)を学術研究に役立てるシステム全体が、光の当たらない壊れたガードレールのようになっているということだ。

たとえ、エプスタインとマサチューセッツ工科大学MIT)とのスキャンダルは例外で、組織や財団のほとんどは受け取る金について内部で慎重な審査を行なっていると仮定しても、そもそもこのシステムは本質的に怪しい金が集まりやすい。寄付の出所と目的はあいまいか、オカルトめいているにもかかわらず、その寄付金を研究機関は必要としている、あるいは少なくとも欲しがっているからだ。

大半の寄付者は、世界を助けたいと思っている。なかには、後世に遺産を残したいと思う者もいる。それは受ける組織の側も同じだ。しかし、そうした望みは倫理の地雷原を縫うようにして進んでいかなければならない。

MITとエプスタインとの関係

8月15日、MITメディアラボの所長(『WIRED』US版の元コントリビューター)だった伊藤穣一は、エプスタインからメディアラボと個人の投資ファンドの両方のために寄付を受けていたことを謝罪した。メディアラボでは関わっていた研究者2人が辞職。さらに9月6日、伊藤に関する新事実を記した記事が『ニューヨーカー』誌に掲載され、エプスタインとの金銭的な結びつきは伊藤が認めていたよりも深いことが暴かれたのだ。

やりとりされていた金額ははるかに大きく、伊藤は隠蔽工作でも中心的役割を果たしていた。年間7,500万ドル(約81億円)の予算で、人々の生活を「より安全に清潔に、健康に、公平に、生産的に」するために活動しているシンクタンクに、エプスタインがアシスタントという肩書きの女性2人を無理矢理従えて来訪していたことに、ラボの研究者たちは恐怖した。翌7日、伊藤は所長を辞任した

MIT理事長のL・ラファエル・ライフは9月12日、それまでの調査で判明したことを文章で発表した。

それは、MITにとって極めて不利な内容だった。そこにはエプスタインが有罪判決を受けてから4年後、MITの物理学者セス・ロイドがエプスタインから寄付を受け取り、MITが感謝状を送っていたことも記されていた。「理事長になって約6週間後の2012年8月16日に、わたしはこの文書にサインしたようだ。わたしにその記憶はないが、とにかくわたしのサインがある」と、ライフは記している。

エプスタインから複数回の寄付があったことは、数名の幹部が知っていたのみならず「調査結果によると、わたしが出席したMITの定例幹部会で、少なくとも一度はエプスタインの寄付が議題として取り上げられていた」とライフは書いている。

9月10日に民主党の大統領候補者による討論会が注目を集めていたころ、ハーヴァード大学のローレンス・バコウ学長は、エプスタインから「進化動態(Evolutionary Dynamics)」に関するプログラムを始めるために650万ドル(約7億円)の寄付を受けていたことを文書で発表した。

またハーヴァード大学は、エプスタインに大学のフェローシップを与えていたうえ、有罪判決を受ける前に合計240万ドル(約2億5,900万円)の寄付も受けていた。寄付金はすでにほとんど使ってしまったが、残っている18万6,000ドル(約2,000万円)については、人身売買と性的暴行の被害者を支援する団体に贈る予定だという。

さらにバコウは、「エプスタインのケースはハーヴァードだけでなく、ほかのどこにおいても、われわれのような組織が寄付の希望者をどのように審査すればいいのか、という重要な問題を提起している」と記した。つまり、謝罪はしたものの、過失は自分たちだけでのせいではないとも書いたのだ。

非倫理的? だが寄付自体に違法性はない

人によっては、大金持ちの金なんて常に汚れていると考えるだろう。

MITでサイエンス・ライティングを専門とするセヌ・ムヌーキン教授も、9月9日に医学・健康関連ニュースサイト「STAT」に書いているが、メディアラボのビルから歩いて数分のところには、コーク癌総合研究所とコーク生物学ビルという建物がある。2019年8月に死去した大富豪デイヴィッド・コークの名を冠した施設だ。

デイヴィッドは同じく大富豪の兄・チャールズとともに、気候変動を政治的に否定するために寄付を行なっていた。これは非倫理的だろうか? その通りである。サノス[編注:マーベル・コミックに登場する最強の悪役]級の非倫理性だ。

しかし、違法ではない。デイヴィッドはMITの卒業生だし、彼が否定する地球環境破壊とLGBTQの権利擁護に関する話題さえ絡まなければ、聡明でしっかりした人物だという声もあった。

さて、もう少しMITを叩いてみよう。実業家スティーヴン・シュワルツマンが3億5,000万ドル(約378億円)を寄付して、MITに彼の名を冠した人工知能研究のカレッジを新設する話はどうだろうか。

シュワルツマンは世界的投資ファンドであるブラックストーン・グループの会長で、15年にはイェール大学に1億5,000万ドル(約162億円)を寄付したこともある。しかし、これに対しては反対の声が上がった。というのも、彼はトランプ大統領とつながりがあり、ブラックストーンはサウジアラビア王室とつながりがあるからだ。特にサウジの皇太子がジャーナリストのジャマル・カショギの殺害に関与したことがわかったあとでは、反対の声が大きくなった。それでも寄付に違法な点は何もないのだ。

問題は大学だけではない

地雷原は、MITとハーヴァードのあるチャールズ川両岸以外にもある。美術館巡りが好きな人ならば、ニューヨークのメトロポリタン美術館にあるサックラー・ウィングを一度や二度は歩いているはずだ。

サックラー一族は、彼らが所有する製薬会社パーデュー・ファーマがオピオイド中毒を拡大したとして、現在その責任を問われている。ロンドンの美術館であるテートとナショナル・ポートレート・ギャラリーは、今後サックラー家からの寄付は受けないことを表明した。そのプレッシャーを受けて、ニューヨークのグッゲンハイム美術館もそれに続いている。

英断だが、皮肉なことに館名の由来であるグッゲンハイムは20世紀初めに、環境を汚しながら鉛と銅鉱山の採掘で財をなし、その後はチリで肥料や火薬に用いられる硝酸カリの採掘を行った一族だ。どうぞ、美術館をお楽しみいただきたい。

次にマイケル・ミルケン財団を見てみよう。ミルケンは1980年代にジャンク債とレヴァレッジド・バイアウト(LBO)の発明に手を貸し、証券及び税金詐欺で2年近く刑務所に入っていたが、現在ではがん治療を応援する慈善家としてよく知られている。

「ミルケン財団から寄付をもらうかは、いまやプライドの問題です」と話すのは、ジーン・テンペルである。インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス校(IUPUI)のリリー・ファミリー・スクール・オブ・フィランソロピーの創設者で名誉学部長だ。「ええ、彼は有罪判決を受けました。それは確かなことです」(このスクール自体も、リリー一族が製薬会社のイーライリリーで儲けた金でつくったもので、その製薬会社は、副作用が問題になっている「プロザック」という抗うつ剤を開発した)。

生き抜くために倫理を犠牲にする研究所

米国の歴史には、こうした話があふれている。もしも大富豪が「名声ロンダリング」と皮肉られる行為をして、自分たちの遺産を輝かせたいと望まなければ、この国にはカーネギー図書館もハワード・ヒューズ医学研究所も、フォード財団もロックフェラー財団も存在しなかったはずだ。

少なくとも、そうした大富豪のひとりは強烈な反ユダヤ主義だったし、もうひとりは性犯罪者だった。それでもいま、フォード財団やHHMIから寄付を受けることは、その活動が米国の芸術や文学に大きく貢献していると評価されたことを意味している。

法的、もしくは倫理的に問題があるかもしれないソースからの寄付金を、この世界では「汚れた金」と呼ぶ。そのようなファンドを扱うルールは組織間、組織内でさまざまだが、法的問題を抱えている者からの寄付を断るのは簡単だ(ジェフリー・エプスタインという例外はあるが)。

では、条件をつけた大金という贈り物はどうだろうか? これも「ノー」と言いやすい。「ほとんどの組織は、研究が外部の影響を受けないようにするポリシーをもっているはずです。学術的研究は極めて高い基準を設けているからこそ、そこでの発見は信頼できるものになるのです」とテンプルは言う。

だが、最大の問題はそこではない。「その組織の価値体系と一致しない価値体系をもった者から寄付金を受け取り、関係を結ぶと、組織の高潔さが攻撃されることになるのです」

この悩ましい哲学的問題に対抗できるのも、やはり金だ。科学研究には政府が資金を出すべきだという考えが米国で唱えられたのは、第二次世界大戦後のイノヴェイションの時代で、まだ1世紀も経っていない。

2018年における米政府の研究開発予算は1,768億ドル(約20兆円)で、なんとジェフ・ベゾスの総資産よりも大きい。それでも、新たに参入する科学者が求める資金にはとうてい応じきれない。全額が寄付金によって遂行される研究では、なんとしても「研究奨励金」を得るべしという強いプレッシャーがかかる。資金を集められなければ、その研究者は失業することになるからだ。

「ここいちばんというとき、大学はどんな金を使ってでも生き抜こうとします。そこで、倫理面での選択権を犠牲にし始めるのです」とアーロン・ホルヴァートは言う。ホルヴァートは社会学の博士論文提出志願者で、スタンフォード大学のフィランソロピーと市民社会センターのフェローだ(面白いのは、その市民社会センターに3席あるマーク&ローラ・アンドリーセン・ファカルティ・コーディレクターという役職は、シリコンヴァレーで有名なヴェンチャーキャピタルであるアンドリーセン・ホロウィッツのパートナーであるマークとその妻ローラの寄付によって設けられていることだ。ローラ自身は数十億ドルにのぼる一族の遺産を引き継いでいて、この市民センターを創設し、理事長になっている)。

悪い金が生んだ科学的成果は悪か?

しかしながら、悪い金が常に悪い科学をもたらすわけではない。寄付を受ける側が賢明であれば、寄付者が研究内容に口を出せないようにできる。施設には寄付者の名前がつけられるが、そこで働いている研究者の多くはその寄付者と接触することは一度もない。

だが、好むと好まざるとにかかわらず、高額寄付者は重点研究分野を動かすことになる。こうした人々はイノヴェイションの世界をゆがめる。つまり、ビル&メリンダ・ゲイツ財団や、チャン・ザッカーバーグ・イニシアチヴといった超弩級の寄付者からの大金が流れ込めば、研究分野全体のバランスが崩れてしまうのだ(前者は新興感染症対策を、後者は教育分野を支援している)。

「非倫理的な研究環境は決してよい結果を生まない」という科学哲学がある。被験者からインフォームド・コンセントをもらわないで得たデータはゴミだし、実験用動物をきちんと世話しないで得たデータはゴミだ。学生にハラスメント行為をしたり、酷使したりして得たデータもゴミだ。

ただし、怪物的な研究者が発表した科学的成果をどう扱えばいいのか、わかっている人はいない。さらに難しいのは、怪物的な人物の寄付金により生み出された科学的成果をどう扱えばいいかという問題だ。コークの名前のついたMITの施設で働く人々は素晴らしい仕事をしている。コーク家から寄付金を受けるのはひどく非倫理的な行為なのかもしれないが、それをしたのは大学であり、研究者ではないのだ。

一方で、いかなる出所の寄付金でも、それを受け取らなければ世界は悪くなる、という意見もある。「そのお金によって人の命を救う発見や、奨学金の付与が可能になるとすれば? 学術機関のメンバーが新しいプログラムに取り組めるようになる可能性だってあります」と、テンペルは言う。「でも、寄付を断ってしまえば、何も起こせません」

純粋な功利主義者の視点では、汚れた金でさえも全体の善を最大にすることはできるのだ。コークから寄付を受けて、その金で気候変動に取り組めばいいではないか。

だがそんな主張も、「メディアラボはほとんど成果を上げていないじゃないか」というほぼ異論のない評価によって挫折してしまう。誰かが測定基準を適用したとたん、ダメになる主張なのだ。

何が善なのか? その善悪の判断基準にどのくらいの人が賛成するのか? だが、こうした質問は哲学者に任せるとしよう。税金を払い、メディアからの質問に答えなければならない組織にとっては、単に功利主義のルールに従っているほうが簡単だ。

あるいはカントの義務論を出すのもいい。MITも、エプスタインの件で自分たちが自らのポリシーに反した行いをしたことは認めている。寄付者が「不適格」リストに入るというのはどういうことかは、誰の目にも明らかだったからだ。

金で相貌失認症を買ったヒューズ

組織が明確なルールを設け、その重要性をわかっている内部チームが寄付希望者にルールを適用するとしても(あるいは、高い金を払って外から専門のコンサルタントを雇ったとしても)、独立した研究機関やフリーの研究者を止めることはできない。

例えば、上流向けの病院では、裕福な患者が担当医に直接、小切手を渡すことがある。研究医のキャリアにとってはいいことだが、組織としては頭が痛いところだ。そうした個人への寄付が設備や補助スタッフなどの間接費を支払うという条件を伴うことはほとんどないので、研究者は研究費を手にできても、組織は研究室稼働の費用を負うことになるからだ。

寄付をする理由は理解できる。大富豪は、自分が関心のある科学分野が進歩することを望んでいるのだ。同時に、自分の人生の物語を記念銘板や礎石に刻み、未来における自分の評価をコントロールしたいとも思っている(いつか歴史家が、その物語をより醜い真実で書き換えることがあるとしてもだ)。

そして、そのもくろみは成功している。どうしてそう言えるかって? この文章を書く前、わたしはハワード・ヒューズに関する悪い情報をすっかり忘れていただけでなく、HHMIのHHが彼のイニシャルであることすら忘れていたからだ。ヒューズは寄付金で社会の健忘症を買ったのではなく、“相貌失認症”を買ったようなものだ。人々は彼の名前は忘れていないものの、その真の顔は忘れてしまっている。

すべては言い訳にならない

こうした理由づけも、児童性的虐待者から金をもらい、その事実を隠す言い訳にはならない。それを許した者は職を失って当然だ。そして、こうした事態を起こしうるシステムは正す必要がある。寄付金の小切手につけられるゼロの数と、その金がきれいになるのに要する年月には明らかに比例関係がある。だが、情報の収集と開示の条件を変えなければ、その比例関係のもつ制約が機能することはないだろう。

「(寄付の情報を)データの集合として扱う限りは、そのデータはゴミです。まったく役に立ちません。誰がどこに寄付をしたか、すべての事例が調べられる優れたシステムは存在しません」と、スタンフォード大学のホルヴァートは言う。

誰が何に寄付をするという情報の透明性は高めるべきだが、違反を見つけ、ルールを守らせる者がいなければ、世界のどんなデータも重要ではなくなる。「わたしが遂行するプロジェクトはすべて、組織内部の審査委員会で研究の倫理性を審査されます。でも、資金集めは審査を受けません」と、ホルヴァートは言う。「どんな審査会になるか興味がありますね」

だが寄付に審査があったら、寄付しようとする者はいなくなるかもしれない。

RELATED

SHARE