ニューリーダーからの1冊

量子情報、物性物理学が専門の伊藤公平先生(慶応義塾大)のおススメ
『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』
加藤陽子(朝日出版社)
気鋭の歴史学者が中高生向けに行った授業をまとめたすごい本です。なぜ日本は無謀とも言えるアメリカとの開戦に踏み切ったのか。日本近現代史研究者たちが明らかにしてきた最新の成果がわかりやすく紹介。
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個々の原子が計算する究極のコンピュータ実現のための最先端研究
伊藤公平先生 慶応義塾大学
<専門分野:量子情報、物性物理学>
量子コンピュータは量子力学的な重ね合わせの考えを用いた、次世代のまったく新しい、コンピュータとして期待されています。これが実現すれば今までのコンピュータとは比べ物にならない高速度で解くことができるようになります。この研究分野の最先端にいるのが、伊藤先生の研究グループです。
先生
伊藤公平(いとうこうへい)
専門分野:量子情報、物性物理学
慶應義塾大学 理工学部 物理情報工学科 教授
1965年東京都生まれ 慶應義塾高校出身
研究

私たちは、次世代型コンピュータと言われる量子コンピュータの研究に取り組んでいます。量子コンピュータ研究の基本は、シリコン中に並べた個々の原子の性質を徹底的に理解することです。例えば、シリコンの中にリン(P)を入れると、リンにくっついた電子が1つの磁石、そしてリンの原子核がもう1つの磁石として扱えます。それぞれの磁石が外から加えた磁場に対して上向きの場合を0、下向きの場合を1として、2つの磁石の組み合わせ00, 01, 10, 11で量子計算ができるはずです。そこで、リンにいろいろな磁場や電磁波や光を当てたときの反応を1つ1つ調べ、計算方法を考えだします。実際に、最近、量子計算に成功したのが私たちの研究です。
限りなき自然の奥行きを日々実感しながら、その中に潜む真理を、パズルを解くように明らかにしていくのが研究です。そして、探り出した「自分しか知らない真理」の魔力は絶大で、これこそが知的好奇心を追求する最強の原動力です。その成果を世界中が読める論文として発表して科学の発展に寄与します。よって、量子コンピュータ実現に向けた私たちの研究の1つ1つのステップが物理学上の発見や発展となるわけです。研究者冥利につきます。
この道に入ったきっかけ
高校や大学での講義では受け身になりがちで、正解のある問題だけを解かされました。これはあまり好きではありませんでした。ところが、大学4年生で研究室に入ってみて、大学の研究が「だれも知らない科学的な真理を見つけ出すこと」であることを知り、興奮しました。その結果として大学院は米国に進学しました。
中高時代
サッカーやテニスに熱中していました。ただなんらかの形で世界に出なければという強迫観念を常に持っていて英語の勉強などに取り組みました。
中高生へのメッセージ
米国大学でしか学べないこと
私がUC Berkeleyで修士・博士課程を過ごしたのは1989〜1994年で日本のバブル経済絶頂期でした。日本の半導体産業が世界を席巻し、技術立国日本、Made in Japanが世界の頂にいました。日本人は有頂天でした。当時、休暇でスイスの山頂を訪ねたとき、これまた世界の観光地を席巻した日本からの農協ツアー団体に遭遇して話しかけられました。「あなた日本人?えっ?アメリカで大学院生してるの!理系?まだアメリカから学ぶことってあるの?」やれやれ、この質問には本当にまいりました。学ぶことだらけなのに、説明できない自分にまいったのです。
あれから20年が過ぎましたが、今でも私は大志を抱く学部生には米国大学院に進学することを強く推奨しています。
その理由は今だからこそ説明できます。一言で言えば、米国大学院は20年後のリーダーを集める、そして彼らを競争させ協調させる。1995年の帰国以来、私が世界中の学会から招待され、様々な世界的な組織への協力が要請され、世界中の研究者と共同研究を進められるのは、米国大学院で世界中から集まる未来のリーダーとどのように議論し、競争し、協調するべきかを学んだからです。白熱した議論は日本で言うところの言い争いに見えることもありますが、それもただの議論なのです。
指導教員との関係も厳しかったです。大学院前半(修士課程相当)なら教員に対するイエスマンで乗り切れるますが、後半になると指導教員を越えるアイデアの提示と、教員を上手におだてながらいろいろと教えてあげる実力が要求されます。一方、日本の研究室では、どうしても先輩が後輩の面倒をみてくれてしまう。後輩は空気を読みながら先輩とのチームワークを重視する。この日本的な美しさに悪いことは1つもありませんが、ここだけで育つと世界との競争と協調に飛び込むことが難しいのです。
私の研究室では努力を重ねた結果、多い時にはメンバーの1/3程が海外からの留学生となりました。しかし、人格的に優れた人ばかりやってきて、あの、アメリカでの一発触発ムードはなかなか作れません。だから私の研究室では博士課程後半の学生を共同研究先の米国または欧州の大学に1年間程度派遣するようにしてきました。この派遣自体、私が米国で学んだ交渉力の成果なのですが、派遣された学生は自分の博士を修了するためにも必死に向こうで研究に取り組みます。自分の机をもらう、実験装置を使わせてもらうための交渉から始めるのです。博士教育の一部を欧米大学に外注していることは承知ですが仕方ありません。
今、理工系で米国大学院に進学すると、中国、韓国、インドなどのアジア人に囲まれて、ネイティブな英語が学べず、米国に留学した気がしないという人がいます。これも当たり前。なぜなら、20年後の世界を動かすリーダーの分布がそうなるからです。だから米国大学院は彼らを入学させて20年後に偉くなった彼らのネットワークの中心としての存在価値を高めようとしているのです。米国の一流大学院に留学してPhDを取得することは、20年後のリーダーズクラブの一員になることを意味します。
確かに日本の大学の研究レベルは世界的にみてもトップです。そう、閉じた研究は日本で学べます。でも我が国の発展に向けては、世界レベルでの競争と協調の最前線で活躍できる人材がもっと増えなければいけません。だからこそ、優秀な学生が日本でいうところの安定を求めては、日本はますます不安定になります。年金、日航、東電などなど、世間の言う安定ほど不安定であることを我々は学びました! だからこそ、米国大学院でまずは不安定を経験し、そして本当の、世界的な視野での安定を確立できる人間になりましょう!
おすすめの本

『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』
加藤陽子(朝日出版社)
気鋭の歴史学者が中高生向けに行った授業をまとめたすごい本です。なぜ日本は無謀とも言えるアメリカとの開戦に踏み切ったのか。これまでの歴史教科書に出てきた定説を紹介しながら、それに対する、日本近現代史研究者たちが明らかにしてきた最新の成果がわかりやすく紹介されます。
歴史研究では、その歴史を左右した直接的な資料(ただの噂や伝聞ではなく、文字通り「歴とした一次史料」)を集め、分析して、矛盾のない結論を史実として導きます。本書は戦後70年という年月の流れによって公開が進む一次史料と奮闘する著者やその他の日本近現代史研究者たちの研究最前線をまとめたもので、豊富な引用文献リストに研究者としての良識が反映されています。文献リストによって、学びたい人はさらに学べますし、著者の意見に反対の人は、そこにリストされた文献を掘り下げて矛盾が追及できます。
社会科学がなぜ「科学」と呼ばれるのか。それは正しい資料を深読みし、数多くある資料の間の関係を考え、全体を俯瞰(ふかん)しながら矛盾のない事項を真実であろうと導き出す手法が科学的だからです。もちろん、どのような資料を選ぶか、自分が導きたい結論と矛盾する資料を無視することもあるのでは、といった疑念を抱く人もいます。それだからこそ歴史を含む社会科学・人文科学者が相当数存在し論争を戦わすことが大切なのです。教養教育が必要といった大学教育論をはるかに超えたレベルで研究が大切で、それによって事実が知識として蓄積され、我々のこれからの判断の礎が形成されるのです。
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『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
加藤陽子(新潮文庫刊)
上記で紹介した本の前に発表された同趣旨の名著で、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦に関して日本が下した判断が史実として説明されています。
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先生の専門分野に触れる本