高鍬真之

「同級生を見捨ててしまった……」悪役商会・八名信夫が見た岡山空襲の夜

11/11(月) 8:35 配信

悪役俳優として61年、数々の映画・ドラマを支え、テレビCMでお茶の間の人気者になった悪役商会の八名信夫(やなのぶお)さん(84)には、忘れられない光景がある。74年前、生まれ育った岡山市が空襲に見舞われた夜、母親に手を引かれて逃げ惑ったときのことだ。道には焼け出されて倒れる人々。なかには同級生もいた。「背中から煙のようなものが出ててね。彼らを乗り越えて逃げたんですよ……」。戦争の悲惨さを忘れてはいけない、戦争は人の心を消し去る“魔の消しゴム”だ――。八名さんはいま、その思いを胸に映画製作を続けている。(高鍬真之、鈴木毅/Yahoo!ニュース 特集編集部)

窓の外は真っ赤な火の海

東京・世田谷の喫茶店。八名さんは、帽子にサングラス、白いジャケットという“悪役”らしいいでたちで座っていた。齢(よわい)80を超えたいまも、182センチの長身はシャンと背筋が伸びている。

八名さんは1935年、岡山市に生まれた。太平洋戦争が始まった時は6歳。父・亀億(ひさお)さんは国鉄岡山駅の助役を務め、一家は駅近くの官舎に住んでいた。本格的な日本本土空襲が始まった44年末以降、連日のように国内の主要都市が空襲を受けるようになっていた。

岡山市へは1945年6月29日未明。寝静まる街に、それはやってきた。

(撮影:高鍬真之)

――岡山空襲があったのは9歳のときでした。

それまでも米軍のB29爆撃機は、何度も岡山の上空に来ていました。だけど、実際の爆撃はなかった。授業中に空襲警報が鳴ると集団下校して、解除になったらまた学校に行く、ということが毎日のようにあってね。校庭では、ルーズベルト米大統領やチャーチル英首相のわら人形を竹やりで突く練習もしていた。いま考えると、まったく役に立たないことをやっていたもんです。

ところが、その夜、午前2時半すぎ。親父とおふくろ、姉と一緒に寝ていた時でした。突然、ボーンと地響きがしたかと思ったら、つってあった蚊帳がバシャッとぜんぶ落ちた。跳び起きた親父は「逃げろー! 空襲だー!」と言ってね。「手つないで逃げろー!」って。見回すと、すでに窓の外は真っ赤な火の海だった。バリバリというごう音、ヒューヒュー言う焼夷弾の不気味な落下音が、いまも耳にこびりついてるよ。

(撮影:高鍬真之)

自分たちが住んでいたのは、岡山駅から歩いて4~5分の国鉄職員の官舎が集まった一角でね。当時、旧制明石中学(現・兵庫県立明石高校)に通っていた8歳上の兄は、明石市内の親戚の家に下宿していて不在だった。

もちろん、それなりの備えはしていました。官舎の床下には、4畳ほどの広さの防空壕が掘ってあった。おふくろがとっさに畳を起こして、その防空壕に入ろうとした。そしたら、親父が「そんなことやるな」って怒鳴ってね。とにかく外へ逃げろ、と。それが正解だった。後日聞いたところでは、防空壕に避難した人たちの多くは死んだそうです。降り注いだ焼夷弾の炎で蒸し焼きになったんですよ。親父は、東京や大阪の空襲の状況を聞いていたのかもしれないな。

――一家で外に飛び出したんですね。

周りの家々は炎に包まれていたよ。屋根からあたり一面に焼夷弾の油が垂れ落ち、真っ黒い煙が視界を遮る……。おふくろに手を強く引っ張られながら家を飛び出すと、崩れ落ちた前の家から同級生の女の子がはい出してきてね。背中から煙かなにかがモウモウと出ていた。焼夷弾を浴びて背中が燃えていたのかもしれない。とにかく煙と炎で周囲はよく見えないし、自分は手を引っ張られているから、逃げるときにその上を踏んでしまったかもしれない。なにもできず、見捨ててしまったんですよ……。本当に修羅場でした。

当時の自宅周辺の地図を描きながら説明する八名信夫さん(撮影:高鍬真之)

こんな光景も覚えています。たぶん駅長さんとこの子どもだったか、小学生くらいの女の子が2人、濡れ雑巾を先につけた竹竿を手に持って、軒下から噴き出す炎をパンパン叩いて消そうとしていた。それを見た親父が、「そんなことをやっとる場合じゃねえだろうがあ。早よぉ逃げえ!!」と叫んでいました。

そして親父は「わしゃあ、駅へ行くから、お前らは(岡山)後楽園のほうへ逃げえ」と言うや、岡山駅を守るために駅舎のほうへ走っていったんですよ。

田んぼの中で目が覚めた

『OKAYAMA 6・29 米軍資料の中の岡山空襲』(手帖舎)によると、未明のこの空襲に加わった米軍のB29は計138機。市民16万人余りが寝静まっていた岡山市内に空襲警報が発令されることはなく、約1時間半の爆撃で市街地の6割強が焼失したという。市内は見渡す限りの焼け野原と化した。

同市・岡山空襲展示室の猪原千恵学芸員が言う。

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