ジェフリー・エプスタインのような高額寄付者は、「科学をむしばむ」危険性をもちあわせている

MITメディアラボ、ハーヴァード大学、スタンフォード大学、病院、研究所。これらの機関は、どこも大富豪からの寄付金を受け取っている。しかし、寄付金にはイノヴェイションの世界を歪める力があることを、わたしたちは忘れてはならない。その寄付が世界の役に立つものだとしても、寄付者の評判を高めるために使われているだけだとしても──。『WIRED』US版副編集長のアダム・ロジャースによる論考。

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MICHAEL DWYER/AP/AFLO

科学に関心をもっている大富豪がいるとしよう。それと同時に、彼は少女とのセックスにも関心がある。有名人で、大金持ちで、著名人と交流がある。交流のある人々の一部は、彼のよからぬ習慣について知っているはずだが、知らぬふりをしていた。

やがて大富豪の名は、さまざまな慈善活動の場面で語られるようになる。ところがその後、醜い真実が明かされる──ほとんどは、その奇妙な死のあとでだ。

当てはまる人物は、ひとりではない

はっきりさせておくが、これは“あの”大富豪のことではない。

いま書いたことは、確かにすべてジェフリー・エプスタインに当てはまる。金融業者で、児童買春で有罪判決を受け、未成年性的虐待の容疑に問われていた一方で、TEDカンファレンスの登壇者級の科学者や知識人の大勢と、個人的あるいは金銭的なつながりを数十年にわたってもっていた。そして、ついに彼に支援を受けた者にとって、彼とのつきあいが重大な結果を生み始めたのだ(当のエプスタインは2019年8月10日に刑務所内で自殺したとされている)。

しかし、冒頭で触れた人物とはハワード・ヒューズのことだ。飛行家で映画プロデューサー、富豪、気味の悪い人物、そして慈善家としても重要な存在だった。彼が1953年に設立したハワード・ヒューズ医学研究所(HHMI)は現在、200億ドル(約2兆1,600億円)の資産を有し、2,000人以上が働いているという。2018年だけをみても、5億6,200万ドル(約607億円)を生物医学研究に投じている。寄付を受けたい者は多く、競争は非常に厳しい。

20世紀半ばのヒューズは捕食者だった。ところが今日では、彼の名を冠した組織の名声は高く、人命を救う科学的イノヴェイションにおける確固たる支援者と認識されている。よもやHHMIからの寄付を断る科学者などいまい。

それに対して、ジェフリー・エプスタインと関係していた研究機関は、まるで“汚染地帯”のように扱われるようになった。金は人を堕落させる。わかりきった話だ。しかし、エプスタインの例は、もっと大きな物語を語っている。慈善的寄付(特に個人の寄付)を学術研究に役立てるシステム全体が、光の当たらない壊れたガードレールのようになっているということだ。

たとえ、エプスタインとマサチューセッツ工科大学MIT)とのスキャンダルは例外で、組織や財団のほとんどは受け取る金について内部で慎重な審査を行なっていると仮定しても、そもそもこのシステムは本質的に怪しい金が集まりやすい。寄付の出所と目的はあいまいか、オカルトめいているにもかかわらず、その寄付金を研究機関は必要としている、あるいは少なくとも欲しがっているからだ。

大半の寄付者は、世界を助けたいと思っている。なかには、後世に遺産を残したいと思う者もいる。それは受ける組織の側も同じだ。しかし、そうした望みは倫理の地雷原を縫うようにして進んでいかなければならない。

MITとエプスタインとの関係

8月15日、MITメディアラボの所長(『WIRED』US版の元コントリビューター)だった伊藤穣一は、エプスタインからメディアラボと個人の投資ファンドの両方のために寄付を受けていたことを謝罪した。メディアラボでは関わっていた研究者2人が辞職。さらに9月6日、伊藤に関する新事実を記した記事が『ニューヨーカー』誌に掲載され、エプスタインとの金銭的な結びつきは伊藤が認めていたよりも深いことが暴かれたのだ。

やりとりされていた金額ははるかに大きく、伊藤は隠蔽工作でも中心的役割を果たしていた。年間7,500万ドル(約81億円)の予算で、人々の生活を「より安全に清潔に、健康に、公平に、生産的に」するために活動しているシンクタンクに、エプスタインがアシスタントという肩書きの女性2人を無理矢理従えて来訪していたことに、ラボの研究者たちは恐怖した。翌7日、伊藤は所長を辞任した

MIT理事長のL・ラファエル・ライフは9月12日、それまでの調査で判明したことを文章で発表した。

それは、MITにとって極めて不利な内容だった。そこにはエプスタインが有罪判決を受けてから4年後、MITの物理学者セス・ロイドがエプスタインから寄付を受け取り、MITが感謝状を送っていたことも記されていた。「理事長になって約6週間後の2012年8月16日に、わたしはこの文書にサインしたようだ。わたしにその記憶はないが、とにかくわたしのサインがある」と、ライフは記している。

エプスタインから複数回の寄付があったことは、数名の幹部が知っていたのみならず「調査結果によると、わたしが出席したMITの定例幹部会で、少なくとも一度はエプスタインの寄付が議題として取り上げられていた」とライフは書いている。

9月10日に民主党の大統領候補者による討論会が注目を集めていたころ、ハーヴァード大学のローレンス・バコウ学長は、エプスタインから「進化動態(Evolutionary Dynamics)」に関するプログラムを始めるために650万ドル(約7億円)の寄付を受けていたことを文書で発表した。

またハーヴァード大学は、エプスタインに大学のフェローシップを与えていたうえ、有罪判決を受ける前に合計240万ドル(約2億5,900万円)の寄付も受けていた。寄付金はすでにほとんど使ってしまったが、残っている18万6,000ドル(約2,000万円)については、人身売買と性的暴行の被害者を支援する団体に贈る予定だという。

さらにバコウは、「エプスタインのケースはハーヴァードだけでなく、ほかのどこにおいても、われわれのような組織が寄付の希望者をどのように審査すればいいのか、という重要な問題を提起している」と記した。つまり、謝罪はしたものの、過失は自分たちだけでのせいではないとも書いたのだ。

非倫理的? だが寄付自体に違法性はない

人によっては、大金持ちの金なんて常に汚れていると考えるだろう。

MITでサイエンス・ライティングを専門とするセヌ・ムヌーキン教授も、9月9日に医学・健康関連ニュースサイト「STAT」に書いているが、メディアラボのビルから歩いて数分のところには、コーク癌総合研究所とコーク生物学ビルという建物がある。2019年8月に死去した大富豪デイヴィッド・コークの名を冠した施設だ。

デイヴィッドは同じく大富豪の兄・チャールズとともに、気候変動を政治的に否定するために寄付を行なっていた。これは非倫理的だろうか? その通りである。サノス[編注:マーベル・コミックに登場する最強の悪役]級の非倫理性だ。

しかし、違法ではない。デイヴィッドはMITの卒業生だし、彼が否定する地球環境破壊とLGBTQの権利擁護に関する話題さえ絡まなければ、聡明でしっかりした人物だという声もあった。

さて、もう少しMITを叩いてみよう。実業家スティーヴン・シュワルツマンが3億5,000万ドル(約378億円)を寄付して、MITに彼の名を冠した人工知能研究のカレッジを新設する話はどうだろうか。

シュワルツマンは世界的投資ファンドであるブラックストーン・グループの会長で、15年にはイェール大学に1億5,000万ドル(約162億円)を寄付したこともある。しかし、これに対しては反対の声が上がった。というのも、彼はトランプ大統領とつながりがあり、ブラックストーンはサウジアラビア王室とつながりがあるからだ。特にサウジの皇太子がジャーナリストのジャマル・カショギの殺害に関与したことがわかったあとでは、反対の声が大きくなった。それでも寄付に違法な点は何もないのだ。

問題は大学だけではない

地雷原は、MITとハーヴァードのあるチャールズ川両岸以外にもある。美術館巡りが好きな人ならば、ニューヨークのメトロポリタン美術館にあるサックラー・ウィングを一度や二度は歩いているはずだ。

サックラー一族は、彼らが所有する製薬会社パーデュー・ファーマがオピオイド中毒を拡大したとして、現在その責任を問われている。ロンドンの美術館であるテートとナショナル・ポートレート・ギャラリーは、今後サックラー家からの寄付は受けないことを表明した。そのプレッシャーを受けて、ニューヨークのグッゲンハイム美術館もそれに続いている。

英断だが、皮肉なことに館名の由来であるグッゲンハイムは20世紀初めに、環境を汚しながら鉛と銅鉱山の採掘で財をなし、その後はチリで肥料や火薬に用いられる硝酸カリの採掘を行った一族だ。どうぞ、美術館をお楽しみいただきたい。

次にマイケル・ミルケン財団を見てみよう。ミルケンは1980年代にジャンク債とレヴァレッジド・バイアウト(LBO)の発明に手を貸し、証券及び税金詐欺で2年近く刑務所に入っていたが、現在ではがん治療を応援する慈善家としてよく知られている。

「ミルケン財団から寄付をもらうかは、いまやプライドの問題です」と話すのは、ジーン・テンペルである。インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス校(IUPUI)のリリー・ファミリー・スクール・オブ・フィランソロピーの創設者で名誉学部長だ。「ええ、彼は有罪判決を受けました。それは確かなことです」(このスクール自体も、リリー一族が製薬会社のイーライリリーで儲けた金でつくったもので、その製薬会社は、副作用が問題になっている「プロザック」という抗うつ剤を開発した)。

生き抜くために倫理を犠牲にする研究所

米国の歴史には、こうした話があふれている。もしも大富豪が「名声ロンダリング」と皮肉られる行為をして、自分たちの遺産を輝かせたいと望まなければ、この国にはカーネギー図書館もハワード・ヒューズ医学研究所も、フォード財団もロックフェラー財団も存在しなかったはずだ。

少なくとも、そうした大富豪のひとりは強烈な反ユダヤ主義だったし、もうひとりは性犯罪者だった。それでもいま、フォード財団やHHMIから寄付を受けることは、その活動が米国の芸術や文学に大きく貢献していると評価されたことを意味している。

法的、もしくは倫理的に問題があるかもしれないソースからの寄付金を、この世界では「汚れた金」と呼ぶ。そのようなファンドを扱うルールは組織間、組織内でさまざまだが、法的問題を抱えている者からの寄付を断るのは簡単だ(ジェフリー・エプスタインという例外はあるが)。

では、条件をつけた大金という贈り物はどうだろうか? これも「ノー」と言いやすい。「ほとんどの組織は、研究が外部の影響を受けないようにするポリシーをもっているはずです。学術的研究は極めて高い基準を設けているからこそ、そこでの発見は信頼できるものになるのです」とテンプルは言う。

だが、最大の問題はそこではない。「その組織の価値体系と一致しない価値体系をもった者から寄付金を受け取り、関係を結ぶと、組織の高潔さが攻撃されることになるのです」

この悩ましい哲学的問題に対抗できるのも、やはり金だ。科学研究には政府が資金を出すべきだという考えが米国で唱えられたのは、第二次世界大戦後のイノヴェイションの時代で、まだ1世紀も経っていない。

2018年における米政府の研究開発予算は1,768億ドル(約20兆円)で、なんとジェフ・ベゾスの総資産よりも大きい。それでも、新たに参入する科学者が求める資金にはとうてい応じきれない。全額が寄付金によって遂行される研究では、なんとしても「研究奨励金」を得るべしという強いプレッシャーがかかる。資金を集められなければ、その研究者は失業することになるからだ。

「ここいちばんというとき、大学はどんな金を使ってでも生き抜こうとします。そこで、倫理面での選択権を犠牲にし始めるのです」とアーロン・ホルヴァートは言う。ホルヴァートは社会学の博士論文提出志願者で、スタンフォード大学のフィランソロピーと市民社会センターのフェローだ(面白いのは、その市民社会センターに3席あるマーク&ローラ・アンドリーセン・ファカルティ・コーディレクターという役職は、シリコンヴァレーで有名なヴェンチャーキャピタルであるアンドリーセン・ホロウィッツのパートナーであるマークとその妻ローラの寄付によって設けられていることだ。ローラ自身は数十億ドルにのぼる一族の遺産を引き継いでいて、この市民センターを創設し、理事長になっている)。

悪い金が生んだ科学的成果は悪か?

しかしながら、悪い金が常に悪い科学をもたらすわけではない。寄付を受ける側が賢明であれば、寄付者が研究内容に口を出せないようにできる。施設には寄付者の名前がつけられるが、そこで働いている研究者の多くはその寄付者と接触することは一度もない。

だが、好むと好まざるとにかかわらず、高額寄付者は重点研究分野を動かすことになる。こうした人々はイノヴェイションの世界をゆがめる。つまり、ビル&メリンダ・ゲイツ財団や、チャン・ザッカーバーグ・イニシアチヴといった超弩級の寄付者からの大金が流れ込めば、研究分野全体のバランスが崩れてしまうのだ(前者は新興感染症対策を、後者は教育分野を支援している)。

「非倫理的な研究環境は決してよい結果を生まない」という科学哲学がある。被験者からインフォームド・コンセントをもらわないで得たデータはゴミだし、実験用動物をきちんと世話しないで得たデータはゴミだ。学生にハラスメント行為をしたり、酷使したりして得たデータもゴミだ。

ただし、怪物的な研究者が発表した科学的成果をどう扱えばいいのか、わかっている人はいない。さらに難しいのは、怪物的な人物の寄付金により生み出された科学的成果をどう扱えばいいかという問題だ。コークの名前のついたMITの施設で働く人々は素晴らしい仕事をしている。コーク家から寄付金を受けるのはひどく非倫理的な行為なのかもしれないが、それをしたのは大学であり、研究者ではないのだ。

一方で、いかなる出所の寄付金でも、それを受け取らなければ世界は悪くなる、という意見もある。「そのお金によって人の命を救う発見や、奨学金の付与が可能になるとすれば? 学術機関のメンバーが新しいプログラムに取り組めるようになる可能性だってあります」と、テンペルは言う。「でも、寄付を断ってしまえば、何も起こせません」

純粋な功利主義者の視点では、汚れた金でさえも全体の善を最大にすることはできるのだ。コークから寄付を受けて、その金で気候変動に取り組めばいいではないか。

だがそんな主張も、「メディアラボはほとんど成果を上げていないじゃないか」というほぼ異論のない評価によって挫折してしまう。誰かが測定基準を適用したとたん、ダメになる主張なのだ。

何が善なのか? その善悪の判断基準にどのくらいの人が賛成するのか? だが、こうした質問は哲学者に任せるとしよう。税金を払い、メディアからの質問に答えなければならない組織にとっては、単に功利主義のルールに従っているほうが簡単だ。

あるいはカントの義務論を出すのもいい。MITも、エプスタインの件で自分たちが自らのポリシーに反した行いをしたことは認めている。寄付者が「不適格」リストに入るというのはどういうことかは、誰の目にも明らかだったからだ。

金で相貌失認症を買ったヒューズ

組織が明確なルールを設け、その重要性をわかっている内部チームが寄付希望者にルールを適用するとしても(あるいは、高い金を払って外から専門のコンサルタントを雇ったとしても)、独立した研究機関やフリーの研究者を止めることはできない。

例えば、上流向けの病院では、裕福な患者が担当医に直接、小切手を渡すことがある。研究医のキャリアにとってはいいことだが、組織としては頭が痛いところだ。そうした個人への寄付が設備や補助スタッフなどの間接費を支払うという条件を伴うことはほとんどないので、研究者は研究費を手にできても、組織は研究室稼働の費用を負うことになるからだ。

寄付をする理由は理解できる。大富豪は、自分が関心のある科学分野が進歩することを望んでいるのだ。同時に、自分の人生の物語を記念銘板や礎石に刻み、未来における自分の評価をコントロールしたいとも思っている(いつか歴史家が、その物語をより醜い真実で書き換えることがあるとしてもだ)。

そして、そのもくろみは成功している。どうしてそう言えるかって? この文章を書く前、わたしはハワード・ヒューズに関する悪い情報をすっかり忘れていただけでなく、HHMIのHHが彼のイニシャルであることすら忘れていたからだ。ヒューズは寄付金で社会の健忘症を買ったのではなく、“相貌失認症”を買ったようなものだ。人々は彼の名前は忘れていないものの、その真の顔は忘れてしまっている。

すべては言い訳にならない

こうした理由づけも、児童性的虐待者から金をもらい、その事実を隠す言い訳にはならない。それを許した者は職を失って当然だ。そして、こうした事態を起こしうるシステムは正す必要がある。寄付金の小切手につけられるゼロの数と、その金がきれいになるのに要する年月には明らかに比例関係がある。だが、情報の収集と開示の条件を変えなければ、その比例関係のもつ制約が機能することはないだろう。

「(寄付の情報を)データの集合として扱う限りは、そのデータはゴミです。まったく役に立ちません。誰がどこに寄付をしたか、すべての事例が調べられる優れたシステムは存在しません」と、スタンフォード大学のホルヴァートは言う。

誰が何に寄付をするという情報の透明性は高めるべきだが、違反を見つけ、ルールを守らせる者がいなければ、世界のどんなデータも重要ではなくなる。「わたしが遂行するプロジェクトはすべて、組織内部の審査委員会で研究の倫理性を審査されます。でも、資金集めは審査を受けません」と、ホルヴァートは言う。「どんな審査会になるか興味がありますね」

だが寄付に審査があったら、寄付しようとする者はいなくなるかもしれない。

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究極のシンプルスマートフォン「Light Phone II」が、あなたを自由にする

機能は電話をかけることだけ、アドレス帳に登録できる人数は9人までなのに、50,000人が順番待ちするほどの人気を集めた「Light Phone」。9月に発売された新モデルでは、“目的”が明確なアプリだけを厳選してダウンロードできるようになるなど、わたしたちをスマートフォンから永久に解放にするためのアップデートがなされている。

TEXT BY ARIELLE PARDES
TRANSLATION BY MIHO AMANO/GALILEO

WIRED(US)

the minimal handset from Light

IMAGE BY LIGHT

アーティストでデザイナーのジョー・ホリアーは半年間、スマートフォンなしで生活している。少なくとも、一般的にスマートフォンと認識されているようなものは使っていない。

ホリアーが持ち歩いているのは、ポケットに入るほど小さい黒鉛色のデヴァイスだ。それでできるのは、電話をかけることと、テキストメッセージを送ることくらいで、ほかの機能はほぼない。それを手に持ったり、耳に当てたりしている姿は、スマートフォンを使っているというよりも、完熟バナナを耳に当ててピザハットに電話をかけているフリをしているかのようだ。

ホリアーは2015年、同僚でデザイナーのカイウェイ・タンと、このデヴァイスの最初のモデル「Light Phone」を生み出した。当時の制作目的は「スマートフォンから離れられるスマートフォン」をつくることだった。

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旅行で街から離れていて、メールをチェックしたくないとき。家族で休暇を過ごしていて、自分にとって必要な人の全員が現実の世界にいるとき。あるいは数日間、せめて最高に幸せなほんの数時間だけでも、常時接続で注意力を奪い、過剰にドーパミンを分泌させるスマートフォンから解放されたいときに使うためだ。スマートフォンに見えないのは、スマートフォンにするつもりがないからである。むしろ、緊急接続用のデヴァイスか、ポケベルのように見える。

「自由に生きる」ためのスマートフォン

Light Phoneが約束したのは、たとえ一時的なものだとしても、最新テクノロジーが生む苦痛から人々を救済することだった。しかし、アドレス帳の登録人数は9人までで、機能は電話をかけられるだけという状態では、永続的に使えるスマートフォンにはなりえなかった。そこで、この状況を変えたいと考えたタンとホリアーは、新ヴァージョン「Light Phone II」を登場させた。

ホリアーが19年はじめから試験的に使っているこの新モデルは、人々をスマートフォンから「永久に」解放することを目的にしている。そして、それを可能にするために、いくつかの新機能が追加された。テキストメッセージの送受信、登録数の上限がないアドレス帳、高速接続のほか、将来的なアップデートで新機能を本体にインストールできるダッシュボードだ。

Light Phone IIは、クラウドファンディング・サイト「Indiegogo」の支援者たちに19年9月4日から発送され、350ドルで一般販売も行われる。この価格は高すぎるように感じるだろうか。言ってみれば、ほとんど何もできないのだ。しかし、「何もできないこと」こそが重要なのである。

「Light Phoneの価値は、物そのものにあるのではありません」とタンは語る。「インターネットからもソーシャルメディアからも離れ、あらゆる操作をやめるという体験に価値があります。これで自由になれます。これこそが人生です。そこから何をするかが重要なのです」

必要なのはアプリではく「非常口」

タンとホリアーが出会ったのは14年。ニューヨークで開催されたグーグルのインキュベータープログラム「30 Weeks」でのことだった。このプログラムは参加者に、たった7カ月間で製品や企業を開発し、ローンチさせるよう支援している。

金髪で童顔のホリアーと、黒髪でひげを生やしたタンは、“共通の認識”ですぐさま意気投合した。それは、30週で生み出すべきは新たな素晴らしいアプリではなく「非常口」である、という認識だった。

とりわけホリアーは、自分とテクノロジーとの関係は破綻していると感じていた。子どものころのインターネットといえば、母親の書斎にあるコンピューターで、モデムがつながるのを10分間待ってようやくオンラインになるというものだった。自制されていて、有限だった。書斎を出て、友たちと過ごしたり、暑い夏の日にプールに行ったりすれば、もうオンラインではなかった。行き先をメモに残して居場所を知らせたものだった。

ホリアーがつくりたいと考えたのは、自分が望むときだけオンラインになり、残りの時間は本来の自分でいられるという「二面性」を取り戻してくれる何かだった。

モトローラやノキア、ブラックベリーといった企業で携帯電話を開発した経歴をもつタンも、「解決策はまったく別の携帯電話にあるかもしれない」という考えに同意した。誰もが知るスマートフォンのように機能するものではなく、スマートフォン時代のダイヤルアップデヴァイスのようなものだ。

社会実験としての初期モデル

初期のLight Phoneは小さく、クレジットカードよりわずかに大きい程度。ダイヤルパッドが光ると、まるで計算機のようだった。どちらもデザイナーであるタンとホリアーの意見が最初に一致したのは、従来のスマートフォンのデザインを踏襲しないということだった。スマートフォンは人を不安にさせるものである。神経質なチック症状のように、自分の意思とは無関係に手を伸ばしてしまう。

ある調査によると、テーブルの上にスマートフォンがあるのを見るだけで、たとえその電源がオフで画面が下を向いていたとしても、気が散ってネガティヴな気分になるのだという。だから開発すべきデヴァイスは、みなが普段使っているようなスマートフォンにはならなかった。それはタンの好きな表現を使えば、「ツール(道具)」になるべきだったのだ。

タンとホリアーは、インキュベーターでLight Phoneの詳細な計画を立て、15年6月にクラウドファンディングサイト「Kickstarter」で資金集めを開始した。だがそれは、消費者向け製品として設計したものではなく、あくまで実験だった。

「始めたときは既存のスマートフォンと張り合うつもりはありませんでした」と、タンは言う。目的は「スマートフォンがないと、人はどのくらい不安になるのかを調べる」ことだったという。いかにもアーティストらしい発想だ。

だが、Kickstarterの支援者はそうは考えなかった。Light Phoneは40万ドル(約4,300万円)を集めたのだ。価格150ドルで15,000台が売れたところで、タンとホリアーは受注を停止した。Light Phoneを手に入れようと順番を待つ人たちのリストには50,000人が登録。Light Phoneは、中古市場では3倍の価格で取引された。

the minimal handset from Light

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無限なものは入れないというガイドライン

Light Phoneの思いがけない成功で、タンとホリアーは人々の関心が、Light Phoneに「できること」ではなく「できないこと」にあると気づいた。

「誰もが、いつも処理しきれないほどの情報に押しつぶされていて、逃げたいと思っていたんです」とホリアーは言う。そして多くの人がホリアーに対して、Light Phoneを使っているとストレスが軽減する、これなら子どもに使わせてもいいと思える、と語ったとのだという。

一方でホリアーとタンは、「気軽に生きたい」と望む人々がLight Phoneに手を出せないという話も耳にした。Light Phoneの制約のせいだ。スマートフォンを手放したら、UberやLyftも利用できない。音楽も聴けないし、テキストメッセージも送れなくなる。それに、Light Phoneのアドレス帳に保存できる電話番号は9つだけだ。

新機能の大量追加は、Light Phoneを“重く”させ、アーティスティックな発明品というより、むしろ低レヴェルなスマートフォンにしてしまうだろう。しかしタンとホリアーは、みながいまのスマートフォンを永久に手放したいと思っていることに共感し、新モデルの開発に乗り出したのだ。タンによると、新モデルはいまのスマートフォンから一時的ではなく、永久に避難できる場所になるという。

Light Phone IIには、多くの型破りな新機能が搭載されているわけではない。現時点で提供されているのは、テキストメッセージの送受信と目覚まし時計で、アドレス帳もすべてインポートできるようになっている。また、この新モデルでは4G接続がサポートされ(2GのLight Phoneからのアップグレードだ)、新たに電子ペーパー技術「E Ink」のスクリーンも搭載している。

だが、本当にやりたいことは、まったく新しいOSを設計し、ユーザーがオンラインのダッシュボードからアプリを選んでダウンロードできるようにすることだ。ライドシェアリングやカーナビゲーション、スマートフォンを探す機能などが、現在準備されている。

ホリアーはこのように話している。「開発方法においては、かなり強力な思想的ガイドラインがあります。『無限』になりうるものは入れたくありません。ライドシェアリングなら『この目的地にたどり着きたい』というように、すべてのものに明確な目的が必要です。Light Phone IIに存在するものはすべて、そこに明確な理由がなければならないのです。メールもなければ、ニュースもありません」

タンとホリアーは、こうした新機能が利用可能になる時期を明確にしていないものの、それほど先のことではないと語っている。だが、こうした機能がなくても、その理念は人々に十分に伝わっているようだ。18年3月にIndiegogoで開始されたこのプロジェクトは、支援者から350万ドル(3.8億円)以上を集めた。そのうちの60万ドルは初日に集まったのだ。

手放すときに必要な「献身」

ふたつ目の製品を開発したLightは、企業として本格的な成長を遂げている。もはやタンとホリアーの小さなアートプロジェクトではない。れっきとしたスタートアップなのだ。クラウドファンディングの出資者から集めた資金に加えて、フォックスコンやヒンジ・キャピタル(Hinge Capital)などの本格的な投資家から、シード資金840万ドル(約9億円)を獲得している。

「ライトに生きたい」と願う人をターゲットにする市場があることは周知の事実だ。問題は人々がライトに生きるために、どれだけのことを進んで手放すかどうかなのである。

Light Phone IIは、過去の技術への退行というよりも、むしろ最新技術への架け橋になっている。クルマの相乗りや道案内に使えるとなればなおさらだ。しかし、これを使うには、ある程度の謙虚さが必要になる。E Inkの画面に表示される小型キーボードは、文字がびっしり詰まっていて、うまくタイプできない。長く続く会話のやり取りや、活発なグループスレッドには向いていない。

メッセージのインターフェースの読み込みには時間がかかるし、テキストはゆがんで謎のピクセルのようになることがある。絵文字もサポートされているが、たいていはフランケンシュタインのような形で表示される。

このためLight Phone IIを使うということは、「スマートフォンは人を不安にさせ、注意を奪い、なりたくない自分に変えてしまうものだ」という価値観に共感するだけでは済まない。スマートフォンをやめるには、ほぼ聖人とも言える献身が必要となる。ゆえに、友人にメッセージを送る回数が減ることも、メール(私用でも仕事関連でも)への返信に時間がかかることも、家族がソーシャルメディアに投稿した内容を見逃すことも、受け入れなければならない。

ライトに生きるという選択肢

ホリアーは、Light Phone IIを数カ月間使ったことで、注意力と創造力が回復したと話している。Light Phone IIが、よくも悪くも自分の社会との交流を劇的に変えたということはなかったようだ。

それでも、スマートフォンからのダメージを受けずに幸せに過ごすという選択肢は、ますます困難なものになってきているように見える。そうした困難さはもはや、一部のテック嫌いの人が感じるものではない。アップルやグーグルなどのスマートフォンメーカーさえ、ユーザーへの影響を自覚しているのだ。

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「5年前の会話は、いまとはまったく違うものでした」と、ホリアーは語る。「多くの人がスマートフォンを手にしたばかりで、『何について話してる? これいいよね』といった感じでしたが、5年後の現在は『どうしよう、もう手放せない』という話になっています」

おそらくLight Phone IIは、わたしたちが必要とする目覚まし時計のようなものだ。完璧な解決策ではないが、問題はしっかりと提示している。誰もが少しだけライトな生活へと踏み出せるようになるだろう。ただし、キーボードはもう少しだけ大きいほうがいいかもしれない。

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