ハードテクノという音楽ジャンルがありますが、コレは一度ブームになって05年あたりでブームが過ぎ去りほぼ息絶えたような状態になりました。この時の潮が引くように消え去った無くなり方は未だトラウマものです。
しかしあれから15年ほど経ち、当時の時代の現場にいた人も今の現場には少なくなっているようです。なので、特に幅広くもやっていなかった私ですが、記録として当時の流れを思い出せる範囲で書いてみようと思った次第です。
私がクラブに初めて行った頃
私が初めて行ったクラブは中野Heavy Sick Zeroだった。2004年の夏とか秋とかそのぐらいだったように記憶している。自分の音楽制作の師匠でもある友人が出演するので誘われて行った。
わざわざ夜中から中野まで出かけて行く、それだけで悪いことしてるぜと感じる程度にはピュアな頃だった。エントランスに向けて一歩近づくたびに響きを増す低音、最後の良心みたいなエントランスドア、轟音が鳴り響くメインフロア、そこで頭をふる人々、よく分からないけど楽しそうな会話をしている大人たちがいるラウンジ、全部が見たことない世界で自分がここにいていいのかよく分からなかった。
この日、Heavy Sick Zeroのメインフロアはハードテクノで満たされていた。
出会う人とは大体ハードテクノの話が通じた
この頃の自分はハードテクノやハードミニマルなんかは大好物、そして既にDrumcode信者だった。オールナイトはめちゃくちゃ眠いということを除けばとても良い音楽が流れる素晴らしい場所だった。
そしてクラブでは自然と友人の紹介があって、色々な人と知り合うことになる。バリッバリの人見知りであった自分だが好きなアーティストの話とかでなんとか繋いでいた。幸いな事に、この頃は大体ハードテクノの話が人に通じる時代だった。
そんな紹介の関連でとある方の自宅でのBBQに呼んでもらい、そこでまた色々な人に出会った。特に大きかった出会いは、その後パーティが無くなるまでほぼ毎回通った新木場ageHaでのマンスリーパーティでレジデントを務めていた方である。そのパーティーは頭からお尻までハードテクノで最高以外の何物でもなかった。ここで出会った方々は選曲力、集客力、会話力等々どれもレベルが高く別世界の住人であるかのようだった。私はそんな人々の中では飛び抜けて若く、駆け出しのテクノオタクということでみんな優しくしてくれていた。
ハードテクノ全盛の雰囲気
先に書いたageHaのパーティに初めて行った時、ちょうどageHa2周年パーティの回だった。アリーナのピークタイムではロランガルニエがLen Faki – Just a danceをフロアにぶち込んでいた。
Street Carnivalはもうかけてると恥ずかしい頃、でも盛り上がるとやっぱりかかる。他には大体DK8 – Murder was the bassだとかK.B. RecordsのGood Lifeのネタ物が流れる、Intecのレコードが使われないハードテクノパーティーはないんじゃないか、そんな感じだった。
余談であるがこの頃Drumcodeが好きですというと、えぇ?キックとハットだけでつまんなくない?そんな反応をされるレーベルだった。中古レコードも300円か100円。たまにヒットしたやつだけ高い、そんな感じだった。それが今では。
時代の変わり目
1年間くらいはそんな具合だった。ただ、05年に入った頃ぐらいから、クリックテクノやミニマルテクノが20代前半の人々を中心に何だか人気らしいと聞こえてくるようになった。しかし、ハードテクノ好きはやはりManiac Love世代というか、めちゃ若くて20代後半、メイン層は30代から40代だったのでここら辺の人がそっちの方向へシフトするようには見えなかった。
自分が転機を感じだのはAdam BeyerがFabric 22として出したミックスCDである。完全にミニマルテクノにシフトしていた。テクノ関係者は「えっ」と言う心地だった。その半年くらい前には日本初のDrumcode Nightで最高のハードテクノを味わったと思っていたというのに。Henrik Bと一緒にMad Eyeの中速ハードテクノが来るんじゃないかと思っていたのに。The Conversation A1はまさに新境地と思っていたのに。
これが最初に感じた潮流の変化だった。私が馴染めないと思ったクリックやミニマルを、ベイヤーがやってきた。そして同時に、現場ではAbleton Liveを使ったパフォーマンスが出始めていた。ライブする人は大体Live、そんな風に聞いていた。そんな中に出てきて完全に時代を変えたのが、Richie Hawtin – DE9 | Transitionsである。
数多くの曲を分解しLive上で新たな音楽に昇華させるた手法は出た瞬間から話題をかっさらい、新規リッチーファン、そしてAbletonユーザーを大量に生み出した。知ってるかもしれないがDE9から2曲アナログカットされたぐらいでもあった。まさに逆輸入。クラブで使ってるDJ見た時は思わず笑ってしまった。
ちなみに当時のLiveのサウンドエンジンの音はなかなか酷く、いかにもタイムストレッチした感じのキシキシした音をしていたので、小箱でもLiveの人はすぐにわかるレベルだった。しかしリッチーのCDがそんな変な音だった記憶はない。Rewireが初期からあったのか分からないが、まぁなんとかやったんだろう。
時代は一瞬でミニマルへ、そしてまた一瞬でエレクトロへ
リッチーを契機に、クラブの音が変わった。ハードテクノのパーティー自体減った。ベイヤーもインタビューで言っていたが、みんなハードテクノに飽きてもいたのだ。そして若い世代を中心としたミニマル系パーティが猛烈に増えた。メインもラウンジもクリックやミニマルのみ、そんなパーティーもあった。私が遊びにいっていたハード系パーティはしばらく存続していたが、派生的に新らしく始まるものがなくなった。DJ活動からフェードアウトして行く人、サイケ等別ジャンル方向へと転換してゆく人等々、去る人も増えてきた。DJでなくとも、Maniac Love世代の人々はクラブ自体に最近は行ってない、という人も多くなった。
あっという間に潮が引いた。体感では半年もなかったように思う。細々と作品が出たりしていたが、パーティの主役ではなくなった。なまじBPMが速いだけにミニマルとの相性は最悪でパーティで共存出来るわけがない。そうこうするうちに、私が毎月通っていたパーティもついに終焉を迎えた。時代の終わりというものを目にした気がする。
一方、ミニマルテクノ一派はまさしく全盛を極めていた。ひっきりなしに来る外タレ、目に見えて増えるDJ人口。私は心の底からは楽しめないが付き合い的にクラブに行っていた。でも楽しめないので、制作の方に打ち込んだ。ハードテクノが作れない中、息抜きで作った曲がふとした事から目に留まりリリースになるのだがそれはまた別のお話。
全盛を極めていたミニマルテクノだが、気が付いたらまたさらに潮流が変わっていた。やはりミニマルだけで盛り上がるのは難があるのか、派手な音が増えてきた。しかし一度落ちたBPMは戻らず、BPMはそのままに音だけ派手な方向になっていった。人に聞いたらこれはエレクトロと呼ばれているらしい。Kitsuneとかいうレーベルなんかが人気らしい。そのくせSpastikはいまだに聞こえる。
この頃には、石野卓球がEDMに対して放った言葉である「射精管理」なクラブの流れが出来つつあった。長いブレイクばかり頻繁に出てくるDJスタイルが増え、ブレイクでキャーキャー言うだけのフロアに耐えられなくなってきていた。
クラブからの退場
そんな感じでクラブが楽しくなくなっていた頃にDJ、しかも直近作品をリリースした所だったためにゲストとしてお呼びがかかった。こんなご時世だけどハードテクノでいいらしい。聞けばとあるアニメを起点としたパーティから派生したパーティの初回とのことだった。そのアニメのことは当時全然知らなかったのだが、DJはものすごく楽しかった。パーティ自体も来ているお客さんがみんな楽しそうにしていて、いつかみたageHaの光景を思い出した。これは、今現在ネット上でしばしば観察できる、ハードテクノとオタク文化の結合の黎明期であったのではないだろうか。
このパーティのすぐ後に、自分は就職を迎え、少し後には地方都市へ転勤にもなったのでこの辺りから完全にクラブから離れる事になる。何度か友人のライブとかには足を運んだり、とあるバーで毎月やっているゆるいDJ会に参加したりもしたが、クラブシーンからは完全に退場していた。
私がみたもの
読んで頂いた通り、私は本当にハードテクノが衰退する直前にクラブシーンに入ったので、90年代や00年付近の出来事は知らない。また、シーンの変遷も通ってるパーティが違えば感じ方も変わるだろうと思うので、自分の感覚が絶対だったとも思っていない。むしろ記憶が曖昧な部分も多いので時系列は正しくないかもしれない。
直近ロンドンで感じてきたように、再びテクノのBPMが上がりつつある。しかし、地盤の弱さというか、層の薄さを感じるところがある。昔からのベテランが元のスタイルをやっているとかだったり。また、BPMが上がってハードテクノの音になったと言っても、特にBeatportチャートをなめたら今のDrumcodeの様に射精管理音楽の羅列、みたいなことにならないか。そうして速攻で飽きられてまた昔と同じ景色を見る事になるんじゃないかと、少し怖いと言うのが正直な気持ちである。
新しいシーンとなるには新しい音と継続するパーティが必要だ。自分はパーティには属していないが、新しい音は提供できるようにBegard名義での制作だとか、そういう音を作りたい人のバックアップをしていきたいと思っている。