英国のEU離脱(Brexit、ブレグジット)が難航する最大の理由は、英領北アイルランドの位置付けにある。同地の領有を巡り、英国とアイルランドの長く、深い対立の歴史があるからだ。
同地を巡る紛争は長い歴史があるが、最近の歴史を簡潔に振り返りたい。英国は1801年にアイルランド島を併合。1949年にアイルランドが独立したが、プロテスタント系住民の多い北アイルランドは英領にとどまった。そのため、アイルランドとの統合を目指すカトリック系住民とプロテスタント系住民の争いが絶えず、60年代からは本格的な武力衝突に突入した。
特にカトリック系過激派のアイルランド共和軍(IRA)と英軍、地元警察が入り乱れた衝突は凄まじく、一般の住民も巻き込み、3000人以上の死者が出た。ようやく98年に、武装解除や将来の帰属を住民に委ねるという和平が成立した。今の国境は毎日3万人が往来し、多くのモノが行き交う。
和平で鎮めていた対立の火種を大きくしかねないのがブレグジットだ。従来はEUという関税同盟の中に英国とアイルランドが含まれていたが、ブレグジットで再び国境に焦点が当たっている。紛争を繰り返さないために、通関手続きなど厳しい国境管理を避けるというのが欧州の総意だ。だが、その妙案が見つからず、ブレグジットは迷走を重ねてきた。
英政府とEUは離脱案で合意したが、英議会の承認を得られず、10月31日だった離脱日は最長で2020年1月31日まで延期されることが決まった。もともとの離脱日だった10月31日の前後に北アイルランドを歩き、住民や経営者などに話を聞いた。
英領北アイルランドは、アイルランド島の北側全体ではなく、西側を残して英領となっている。いびつな形になるが、地理的に表現すると英領は「北東アイルランド」となる。
その「北東アイルランド」の西側の国境沿いにはいくつもの街があり、1960年代からアイルランドとの統合を望むカトリック系住民と、英国側の軍隊や警察、民兵との激しい衝突が頻発した。最大の都市のロンドンデリー では72年、英軍が14人もの非武装の住民を殺戮した「血の日曜日事件」があった。その南にあるストラベーンは、英軍とIRAとの爆撃と銃撃にまみれた街だ。当時は欧州でも最も爆撃があった街と言われた。
そのストラベーンで10月31日、スポーツ衣料品メーカー「オニール」のCEO(最高経営責任者)のキーラン・ケネディ(56歳)が、本誌の取材に応じた。ケネディは紛争の最も激しかった時代に少年時代を過ごし、生き抜いてきた。
1918年に設立されたオニールは、ラグビーやサッカーのチーム向けにユニフォームを作り、それらを一般にも広く販売している。本社はストラベーンとアイルランドのダブリンに置く。30年近くトップを務めるケネディに本社にいる社員数を聞くと、即座に736人と一桁まで即答し、従業員を大切にしているのが伝わってくる。
事業の概要から話し始め、北アイルランドやブレグジットの話題になると、早口でまくし立てるように話した。
「従業員の半分は、南のアイルランド共和国から来ている。我々の原材料から製品まで国境を8回は通過するから、関税や通関手続きの導入は死活問題だ。合意なき離脱になれば、たいへんなことになる」
インタビューは、もともとの離脱時間の7時間前に当たった。「あんた国境を見たいのか」と言うと、ケネディはCEO室から筆者を連れ出し、ジャガー・ランドローバーのSUV(多目的スポーツ車)「レンジローバー」を運転し、国境に向かった。信号待ちしている際に近くを歩く若い女性2人に向かってクラクションを鳴らす。女性たちが振り向くとケネディを認識し、下顎を突き出して長指を立ててくる。それを見たケネディは「がははっ」と豪快に笑った。彼は街の顔なのだろう。
レンジローバーを5分ほど走らせると、ほどなく国境にたどり着く。
「見てごらん。クルマのナビゲーションの表示が変わるから」。橋を越えるとクルマに「アイルランドへようこそ」と表示され、ラウンドバウトで戻って同じ線を越えるとすぐに「英国にようこそ」と表示される。
国境の近くでレンジローバーを降りて一緒に外に出た。幹線道路の周囲は、草原が広がっている。灰色の雲が立ち込める分、木々や草の緑が映える。木々の間を縫って押し寄せる冷たい風が、肌を刺す。
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