プレーパークの考え方

プレーパークのモットーは「自分の責任で自由に遊ぶ」


プレーパークは、高い所からの飛び降りや木登りなど、リスクをはらんだ遊びに挑戦することもできる、自由な遊び場を目指しています。 子どもの遊びの多くは、危ないものです。 危ないからこそ面白いし、その挑戦が成長につながります。 しかし今、多くの公園や遊び場で、ケガの責任追及や苦情によって、子どもたちが「やってみたい」と思う遊びが禁止に追い込まれています。 プレーパークでは、地域住民が世田谷区と協力して運営し、保護者の方や近隣の方々と、子どもが遊ぶことの大切さを共に話し合うことで、自由な遊び場を守っています。 プレーパークが続いていくためには、多くの人の理解と協力が不可欠です。 みんなで楽しい遊び場をつくりましょう!
(画像は1996年版のものです)

プレーワーカー(プレーリーダー)の役割


プレーパークには、プレーワーカーと呼ばれる人がいます。 その仕事を一言で説明すると「子どもが自由に遊べる場をつくること」です。 たとえば、子どもがワクワクするような遊び場をデザインしたり、遊びに来る子どもの保護者など多くの人を巻き込んで遊具をつくったりします。 また、ケガの応急手当など、遊び場で起こるさまざまなトラブルにも対応します。 さらに、子どもの遊びを止めようとする大人に、子どもの気持ちを代弁したり、遊びの大切さを伝える役割も担っています。 もちろん、子どもと共に遊び、楽しさを共有することや、友人として彼らのそばに居ることで、言葉にならない気持ちを受け止め、時には親や先生には言えないことを話せる相手になることもあります。
私たち住民と世田谷区は、力をあわせ全国に先がけてこのプレーワーカーを有給化してきました。
それは主に親の立場を持つ住民だけでは果たせない、子どもから見れば特別な立場の人だからです。
プレーワーカーは、今後の子どもの遊ぶ環境を整えていくうえで、ますます重要な位置をしめていくことでしょう。

プレーパークは地域住民の手で運営されています


1970年代はじめ。 わが子が遊ぶ様子に、「自分の頃とずいぶん違う」と感じた一組の夫妻がいました。 やがて彼らは海外の書籍でプレーパークを知り、実際に渡欧してその現場を体験。
撮りためた写真をスライドショーにして、近所の人たちに紹介し、「私たちもやってみようよ」と、住民による手づくりの遊び場をはじめました。1975年から78年まで続いた、この住民たちによる遊び場づくりは、当時やはり子どもの遊び環境改善に腐心していた世田谷区によって採り上げられ、79年、国際児童年の記念事業として全国初の住民と行政の恊働による遊び場「羽根木プレーパーク」が誕生しました。 区の事業となったのちも運営は、地域住民有志が「世話人会」をつくり、責任を持って当たっています。 それは、子どもの自由な遊び場は、時に大きな声や音を生み、泥んこで道路を汚すなど、周辺にさまざまな影響を与えるからです。 それを迷惑と感じ、苦情を述べられる方を含め、地域のさまざまな方々と、この地で育つ子どもたちのことを共に考え、話し合うことができるのは、同じ地域に暮らす住民だからこそ。 また、子どもはプレーパークの中だけで遊べればいいというものではありません。 子どもが本当の意味で自由に、イキイキ遊ぶためには、地域のコミュニティづくりが欠かせません。 プレーパークには幼児や小学生はもちろん、10代20代の若者や、親の世代である30代40代をはじめ大人の出入も多く、 子どもを中心としたコミュニティの場ともなっています。
ここではさまざまな価値観を持った人が出会い、遊びを通して互いを知り、 多様な関係を築き上げています。