ヘナチョコ男とパッパラパー女はいらない ~ 命とは尊く儚いもの
(2010.10.5)
本来の保守と左翼の違い。
保守なら独立自尊、自己責任が大前提。
左翼は、国が生活の面倒まで見るべき、というのが大前提。
だから痛々しい児童虐待事件とかあると、左翼は「児童相談所は何やってた!」、「もっと国はきちんと介入してよく見ろ!」とか、国に責任を求めてきます。
左翼かぶれの保守も、同じこと言ってきます。
しかしまっとうな保守なら、「それはちょっと違うだろ、今の教育だとそんな親がどんどん増えてくのは当たり前だ」、という風に、個々の親の内面性や人徳の問題につなげていきます。
つまり、向いてるベクトルが、左翼と真性保守では全然違う。
しかし弱者優遇の左翼教育と政策で、そんな風に国が子供の命だけ守ろうとして、子供が家庭から出て行って施設の子が激増すれば、施設で虐待が急増するだけでしょう。
個人の虐待は表に出ても、国の施設での虐待は、もはや表に出てこなくなります。
ソ連や旧東欧の共産主義諸国の児童収容施設・・・どれだけ恐ろしいものだったかぐらい想像つくでしょ?
多くの日本人は、既に左翼の“命”信仰洗脳に、骨の髄まで染まっているのです。
小さな命、命を失うことに過敏になりすぎてます。
命にこだわりすぎてはいけないと思います。
弱者?がデカイ面して、「弱者差別だ!」、「人権だー!」
おかしいでしょ。
ヘナチョコ男とパッパラパー女に日本が占拠されるくらいなら、切り捨てようという意見があってもいいはずです。
せめて、そういうスタンスぐらい見せないと、ヘナチョコ男とパッパラパー女の改心なんて、絶対に望めません。
昔なら生活保護受給者なんて、日本人の価値観として、本人自身が「恥だ!」と思ってたはずで、だからこそ日本人の自尊心が高かったことも幸いし、生活保護者は戦後まもない1950年代をピークに以後、80年代までどんどん減りました。
しかし今は、恥どころか、健常者でも「私たちは弱者だー!」、「人権だー!」とデカイ面して、より手厚い手当を求めてくる。彼らは感謝の気持ちすら持たない、恥知らずの厚かましい連中にすぎません。
ヘナチョコ男、パッパラパー女
ほっとけばいいんです。
昔は、命は尊く儚いものであると、自然と教える番組がたくさんありました。
すべての命を救うことなんてできない。
その種の虐待絡みの事件があったからといって、「国は何やってる!」、「近所の奴は何やってた!」なんて、今さら周りを責めてもしょうがありません。
自然界の動物でも、親がダラしなければ、子は死にます。
社会が腐敗してダラシナイ人間が増えれば、そんな死に方する子が増えるのは当然。自然の淘汰です。
人は死ぬのです。
粛清された者の子供たちで組織されたチャウシェスクの親衛隊
よくテレビドラマで、殺されそうになった親が、子供だけは助けてくれと嘆願するシーンがありますよね。
各ドラマ内容にもよりますが、あれは、本来の日本人の精神に合わないと思います。
きっと昔の日本人だって、あんな風なこと言いません。
自分だったら、子供と一緒に、迷わず死ぬでしょう。
命だけは惜しい、子供だけ生かしておいてくれれば、きっと後は何とかなるなんて、自分は思いません。
もちろん、今はそこまでの状況にありません。こんなのは、ホントに極限の究極的状況に陥った時の話ですよ。
旧ルーマニアで、反体制派の処刑者たちの子供が、その後、独裁者チャウシェスクの息子たちとして育てられ、東欧共産圏崩壊時も、実は親の仇であるチャウシェスクを最後まで守ろうとしていたのが、彼らだったそうです。
私の子供が奴隷同然、人間の尊厳が奪い去られ、そんな風に育てられるなんて、まっぴらご免です。
もちろん命がどれだけ大切か、小さな子供の尊さ、腐った左翼の連中なんかより、私の方がよっぽどわかってます。
私にとって、日本史上で最も胸が詰まり、涙がこぼれるシーン。
壇ノ浦で追い詰められて滅亡する平家、残された女と子供たちが入水するシーン。
平家が擁立した、8歳だった安徳天皇も・・・
--- 『平家物語』 「先帝身投」より --- (詳しくは右画像クリック)
最期を覚悟した安徳天皇は、祖母二位尼に抱き上げられ、
「尼よ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」
と問いかける。二位尼は涙をおさえて、
「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世はつらくいとわしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」
と言い聞かせる。
安徳天皇は小さな手を合わせて念仏を唱えると、二位尼は、
「波の下にも都がございます」
と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じ、安徳天皇は歴代最年少の8歳で崩御した。

(上画像は小学館の学習漫画『源義経』より(詳しくは画像クリック)。平家物語については『耳なし芳一』の話もご参照ください)
もしも、これと同じ状況になってしまったというなら、私は幼いわが子に「一緒に天国に行こう」、そういって涙を流して説き伏せます。子供だって安徳天皇のように、きっとすぐ理解してくれるでしょう。
ヘナチョコ男、パッパラパー女・・・
甘やかしちゃダメです。そういう腐った親がどんどん増殖します。
もちろん自分の周りで、明らかに虐待・遺棄されてる子を見つければ、私だって通報すると思います。
身内の関係なら、手元に引き取って何とかできないか考えるでしょう。
近所に遺児がいたら、昔のように地域の人々で何とかしてあげようとするのが本来あるべき姿。
それでも、すべての命を救うなんて到底できません。
本来、子育ては、親の自己責任です。
家庭内の虐待なんて、他の誰の責任でもありません。もちろん、そんな親を増やした社会に遠因があっても、母親なり、その親が悪いんです。
義理の親であれ実の親であれ、その家庭でそうなってしまうのは必然。その者のこれまでの生き様が反映された結果、自然の摂理。
国だって、そんなことの全責任なんて、負う必要ありません。子供は親が育てねばなりません。「子供は社会で育てよう」なんてのは左翼の常套句。
家庭内の虐待は、社会にも責任ある貧困の問題とは全く異なります。
少なくとも、このサイトが好きで読まれている親御さんなら、自分の子供を虐待や遺棄で死なすなんてありえないことでしょう。
とにかく自分の子供だけは、絶対にそんなバカ親になってしまわないよう、最善を尽くしましょう。
そんなこと意識しなくとも、普通に親としての愛情を常に子供へ示していれば、自分の子供が致命的な虐待するようなバカ親になることはありえないと思います。
けれど保育園の今の親を見てますと、こんな奴らと絶対ウチの子を関わらせたくないってのが、結構いたりします。
日本人は、“死に方”に最も重きを置いた民族でした
小さな命にこだわって、腐った人間が増えれば、それだけ、みなさんのご子息だって鬼畜のような連中に巻き込まれる可能性が高まるということ。
つまり、ソドムとゴモラのように行く末は全滅。
自分でまともに子供も育てられないような人間たちと関わってはいけません。
そんな連中を甘やかしてはダメ。
健常者のくせに働こうともしない生活保護の連中なんかは、牧場のような広い敷地に箱物でも作って、そこに家畜のように飼って、1日2回ぐらい食い物だけ与えて放っとけばいいんです。
それでまっとうに働く気になって、尊厳ある人間としてやっていこうって気になった人だけ、出してあげればよい。
大体、結婚もせずやりまくって、ポコポコ子供作ったり、
たとえ結婚しても、すぐ離婚して後になって困ったり・・・
自分の子をそんな風にしてしまわないため、夫婦仲むつまじく、
あるいは、たとえ一人親でも、
自ら立派な子に育てあげましょう。
教育勅語、修身の精神でもしっかり叩き込み、それを国として国民全体の価値観として共有させ、自己責任で子育てできるよう仕込んでいけば、すべて解決するはずです。
昔の日本人が最も大切にしていたもの、それは命ではなく、“死に様”です。
如何に人として立派な死に方をするか、それを常に考えて生きてきたのが日本人なのです。
そのために恥じない生き方をする。
私は、生きる屍にされるのは、ご免こうむります。
映画 『 ジョニーは戦場へ行った 』 Johnny Got His Gun (1971) より
ドルトン・トランボが1939年に発表した小説で、原作者自身の監督・脚本で1971年に映画公開(詳しくは右画像クリック)。太平洋戦争や朝鮮戦争など戦争が起きる度に発禁とされ、強烈な反戦小説とされているが、映画を見ると反戦というよりも、人間の尊厳を真っ向から捉えた作品に思えてならない。
目、鼻、口、耳、すべての感覚を失い、手足まで失った、ただの肉塊にされてしまった兵士。思考能力も失ってると思われていたが、看護婦が彼の胸に“Merry Christmas”と文字を描いたのを読み取って、初めてコミュニケーションをとることに成功(動画はこのシーン)。
その後、彼は頭を動かし、「殺してくれ!」とモールス信号を送り続けるが・・・
今の左翼なら、こういうのも身障者差別だといって騒ぐべき内容じゃないの? 実はもう騒いでて、なぜかDVDが増版されてないのは、これを騒ぐ左翼の圧力のせいではないかという気がする。本人は「早く殺してくれ!」と叫んでるけど、今の弱者利権左翼はそれじゃ困るんだろ? こんな人たちにも、「私たちだって生きる権利がある!」と叫んでもらわなきゃ困るんだろ? 死んでもらってはカネがもらえなくなって、元もこもなくなるからね。
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本来の保守と左翼の違い。
保守なら独立自尊、自己責任が大前提。
左翼は、国が生活の面倒まで見るべき、というのが大前提。
だから痛々しい児童虐待事件とかあると、左翼は「児童相談所は何やってた!」、「もっと国はきちんと介入してよく見ろ!」とか、国に責任を求めてきます。
左翼かぶれの保守も、同じこと言ってきます。
しかしまっとうな保守なら、「それはちょっと違うだろ、今の教育だとそんな親がどんどん増えてくのは当たり前だ」、という風に、個々の親の内面性や人徳の問題につなげていきます。
つまり、向いてるベクトルが、左翼と真性保守では全然違う。
しかし弱者優遇の左翼教育と政策で、そんな風に国が子供の命だけ守ろうとして、子供が家庭から出て行って施設の子が激増すれば、施設で虐待が急増するだけでしょう。
個人の虐待は表に出ても、国の施設での虐待は、もはや表に出てこなくなります。
ソ連や旧東欧の共産主義諸国の児童収容施設・・・どれだけ恐ろしいものだったかぐらい想像つくでしょ?
多くの日本人は、既に左翼の“命”信仰洗脳に、骨の髄まで染まっているのです。
小さな命、命を失うことに過敏になりすぎてます。
命にこだわりすぎてはいけないと思います。
弱者?がデカイ面して、「弱者差別だ!」、「人権だー!」
おかしいでしょ。
ヘナチョコ男とパッパラパー女に日本が占拠されるくらいなら、切り捨てようという意見があってもいいはずです。
せめて、そういうスタンスぐらい見せないと、ヘナチョコ男とパッパラパー女の改心なんて、絶対に望めません。
昔なら生活保護受給者なんて、日本人の価値観として、本人自身が「恥だ!」と思ってたはずで、だからこそ日本人の自尊心が高かったことも幸いし、生活保護者は戦後まもない1950年代をピークに以後、80年代までどんどん減りました。
しかし今は、恥どころか、健常者でも「私たちは弱者だー!」、「人権だー!」とデカイ面して、より手厚い手当を求めてくる。彼らは感謝の気持ちすら持たない、恥知らずの厚かましい連中にすぎません。
ヘナチョコ男、パッパラパー女
ほっとけばいいんです。
昔は、命は尊く儚いものであると、自然と教える番組がたくさんありました。
すべての命を救うことなんてできない。
その種の虐待絡みの事件があったからといって、「国は何やってる!」、「近所の奴は何やってた!」なんて、今さら周りを責めてもしょうがありません。
自然界の動物でも、親がダラしなければ、子は死にます。
社会が腐敗してダラシナイ人間が増えれば、そんな死に方する子が増えるのは当然。自然の淘汰です。
人は死ぬのです。
粛清された者の子供たちで組織されたチャウシェスクの親衛隊
よくテレビドラマで、殺されそうになった親が、子供だけは助けてくれと嘆願するシーンがありますよね。
各ドラマ内容にもよりますが、あれは、本来の日本人の精神に合わないと思います。
きっと昔の日本人だって、あんな風なこと言いません。
自分だったら、子供と一緒に、迷わず死ぬでしょう。
命だけは惜しい、子供だけ生かしておいてくれれば、きっと後は何とかなるなんて、自分は思いません。
もちろん、今はそこまでの状況にありません。こんなのは、ホントに極限の究極的状況に陥った時の話ですよ。
旧ルーマニアで、反体制派の処刑者たちの子供が、その後、独裁者チャウシェスクの息子たちとして育てられ、東欧共産圏崩壊時も、実は親の仇であるチャウシェスクを最後まで守ろうとしていたのが、彼らだったそうです。
私の子供が奴隷同然、人間の尊厳が奪い去られ、そんな風に育てられるなんて、まっぴらご免です。
もちろん命がどれだけ大切か、小さな子供の尊さ、腐った左翼の連中なんかより、私の方がよっぽどわかってます。
私にとって、日本史上で最も胸が詰まり、涙がこぼれるシーン。
壇ノ浦で追い詰められて滅亡する平家、残された女と子供たちが入水するシーン。
平家が擁立した、8歳だった安徳天皇も・・・
最期を覚悟した安徳天皇は、祖母二位尼に抱き上げられ、
「尼よ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」
と問いかける。二位尼は涙をおさえて、
「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世はつらくいとわしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」
と言い聞かせる。
安徳天皇は小さな手を合わせて念仏を唱えると、二位尼は、
「波の下にも都がございます」
と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じ、安徳天皇は歴代最年少の8歳で崩御した。
(上画像は小学館の学習漫画『源義経』より(詳しくは画像クリック)。平家物語については『耳なし芳一』の話もご参照ください)
もしも、これと同じ状況になってしまったというなら、私は幼いわが子に「一緒に天国に行こう」、そういって涙を流して説き伏せます。子供だって安徳天皇のように、きっとすぐ理解してくれるでしょう。
ヘナチョコ男、パッパラパー女・・・
甘やかしちゃダメです。そういう腐った親がどんどん増殖します。
もちろん自分の周りで、明らかに虐待・遺棄されてる子を見つければ、私だって通報すると思います。
身内の関係なら、手元に引き取って何とかできないか考えるでしょう。
近所に遺児がいたら、昔のように地域の人々で何とかしてあげようとするのが本来あるべき姿。
それでも、すべての命を救うなんて到底できません。
本来、子育ては、親の自己責任です。
家庭内の虐待なんて、他の誰の責任でもありません。もちろん、そんな親を増やした社会に遠因があっても、母親なり、その親が悪いんです。
義理の親であれ実の親であれ、その家庭でそうなってしまうのは必然。その者のこれまでの生き様が反映された結果、自然の摂理。
国だって、そんなことの全責任なんて、負う必要ありません。子供は親が育てねばなりません。「子供は社会で育てよう」なんてのは左翼の常套句。
家庭内の虐待は、社会にも責任ある貧困の問題とは全く異なります。
少なくとも、このサイトが好きで読まれている親御さんなら、自分の子供を虐待や遺棄で死なすなんてありえないことでしょう。
とにかく自分の子供だけは、絶対にそんなバカ親になってしまわないよう、最善を尽くしましょう。
そんなこと意識しなくとも、普通に親としての愛情を常に子供へ示していれば、自分の子供が致命的な虐待するようなバカ親になることはありえないと思います。
けれど保育園の今の親を見てますと、こんな奴らと絶対ウチの子を関わらせたくないってのが、結構いたりします。
日本人は、“死に方”に最も重きを置いた民族でした
小さな命にこだわって、腐った人間が増えれば、それだけ、みなさんのご子息だって鬼畜のような連中に巻き込まれる可能性が高まるということ。
つまり、ソドムとゴモラのように行く末は全滅。
自分でまともに子供も育てられないような人間たちと関わってはいけません。
そんな連中を甘やかしてはダメ。
健常者のくせに働こうともしない生活保護の連中なんかは、牧場のような広い敷地に箱物でも作って、そこに家畜のように飼って、1日2回ぐらい食い物だけ与えて放っとけばいいんです。
それでまっとうに働く気になって、尊厳ある人間としてやっていこうって気になった人だけ、出してあげればよい。
大体、結婚もせずやりまくって、ポコポコ子供作ったり、
たとえ結婚しても、すぐ離婚して後になって困ったり・・・
自分の子をそんな風にしてしまわないため、夫婦仲むつまじく、
あるいは、たとえ一人親でも、
自ら立派な子に育てあげましょう。
教育勅語、修身の精神でもしっかり叩き込み、それを国として国民全体の価値観として共有させ、自己責任で子育てできるよう仕込んでいけば、すべて解決するはずです。
昔の日本人が最も大切にしていたもの、それは命ではなく、“死に様”です。
如何に人として立派な死に方をするか、それを常に考えて生きてきたのが日本人なのです。
そのために恥じない生き方をする。
私は、生きる屍にされるのは、ご免こうむります。
映画 『 ジョニーは戦場へ行った 』 Johnny Got His Gun (1971) より
目、鼻、口、耳、すべての感覚を失い、手足まで失った、ただの肉塊にされてしまった兵士。思考能力も失ってると思われていたが、看護婦が彼の胸に“Merry Christmas”と文字を描いたのを読み取って、初めてコミュニケーションをとることに成功(動画はこのシーン)。
その後、彼は頭を動かし、「殺してくれ!」とモールス信号を送り続けるが・・・
今の左翼なら、こういうのも身障者差別だといって騒ぐべき内容じゃないの? 実はもう騒いでて、なぜかDVDが増版されてないのは、これを騒ぐ左翼の圧力のせいではないかという気がする。本人は「早く殺してくれ!」と叫んでるけど、今の弱者利権左翼はそれじゃ困るんだろ? こんな人たちにも、「私たちだって生きる権利がある!」と叫んでもらわなきゃ困るんだろ? 死んでもらってはカネがもらえなくなって、元もこもなくなるからね。
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◆プリキュア洗脳されたパッパラパー母娘たち ~ こんなのが今の女性の目標!?
◆本物の“大和撫子”入門 ③ ~ 我の否定、徹底した自己犠牲精神 新渡戸稲造『武士道』より
◆子育て、死生観が変わる。読んでおきたい日本の古典 ~ 『土佐日記』と、一茶の俳句
◆映画『Sayonara』 愛を貫いて死を恐れない、ヤマトナデシコ~ 変れば変るもの。日本人の美意識
◆子育てに失敗しないために ~ ある保守系教育機関より - PART 1
◆『 耳なし芳一 』 安徳天皇の短い生涯にむせび泣く平家の亡霊 ~ ドラマ『日本の面影』より⑤(終)
◆スラム化するところが出てきて、日本も階層が完全に別れるかも ~ インモラル・ピープルには冷たい社会を
◆生活保護予算は既に3兆円!? バラ撒き民主党政権で3倍か!? ~ 母子家庭生活保護 実質年収は500万円に匹敵!?
◆反日左翼 民主党共産政権なら2千万人虐殺! ~ 天皇処刑!
◆命より大切なもの、それが “人間の尊厳”~『 母に捧げるバラード 』に見る、日本のおっかさん 真の保守精神 ~ スポットが当てられる幼児遺棄事件、もっと広く深く見て!
◆消されたウィンピーとキチガイ博士 ~ なんでもかんでも差別! 言葉狩り? 殺されるイメージ表現
◆子供をフヌケ化 宮崎アニメの左翼性 ~ 強烈な反日・共産主義イデオロギー