ホモ監督の制作で左翼が大好き、名作とされる映画『二十四の瞳』について
(2018.5.19)
男が若い女へ当たり前に好意を持ったら犯罪者にされ、加えてホモレズ同性愛が推奨、保護される。つまり、畜生ホモ・異常性癖者を批判する正常感覚持った者が犯罪者として処罰される恐ろしい時代になったのですよ。「LGBTへの差別がー」なんてのは、要するに変態アナルSEXクズを批判する者を徹底弾圧するためのものですからね。わかってる? 既に「セクハラー」と騒がれればそうなるのと同じように、これからは鬼畜同性愛を批判する者に対し「LGBT差別がー」と騒ぐだけでその人のすべてを奪い去ることが出来るようになるわけ。
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(2017.6.19)
現代日本では、男が女子高生とつきあったら犯罪者とされてしまいますが、1990年頃までは男が女子高生とつきあっても何のお咎めもなく犯罪じゃなかったんですよ。これが犯罪にされたのは、すべて都道府県で条例が作られてしまった以後から。教え子と生徒で関係を持つようなら不適切ではあっても、それだけで犯罪者にしてしまうのはあんまり。現代の価値観に洗脳されてはいけません。女子高生は子供も産める立派な大人の体なんですよ。男が女子高生に好意を持つというのは全くもって正常な感覚であり、これが犯罪になるなら、若い娘はすべて犯罪者発生誘因兵器と化すし、どんどんつけ上がっていきます。だから女は男に常に狙われてることを意識して自ら身持ちを固くしておかなければいけないわけ。そのやり方が「私に手を出すのは犯罪なんだからねー!」なんて、女をつけ上がらせるようではいけない。女子高生に興味持ってるだけで、「淫行男」なんてレッテル貼る……若いうちに結婚させない、子供を生ませないよう日本人滅亡企む暗黒勢力によるデタラメ価値観押しつけプロパガンダにダマされんなよ~。対して男同士・女同士で淫らな行為する畜生・クズどもを優遇、保護する狂った日本、今の日本ではキチガイ・悪魔が政治をやってます!
『デリシャス』 シャンプー (1995)
Delicious - Shampoo
なつかしの新宿で撮影のシャンプーPV。当時のガールズカルチャーも垣間見れますよ^▽^)
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(2012.9.1)
『二十四の瞳』の左翼色も強烈ですが、その同年(1954)、同じ木下の『女の園』(詳しくは右画像クリック)という作品も公開されてます。
ちなみに、映画『女の園』の内容
・封建的規律で知られる名門女子大を舞台に学生の自由と学園の理想とが対立する悲劇をリアルに描いた問題作。
・良妻賢母型の女子教育を信条とする京都の名門・正倫女子大学は、厳しい規則と指導で生徒たちを常に縛りつけていた。しかし男女交際は無論のこと、外出や勉強時間まで規制される寮生活の中で、次第に生徒たちの学園の民主化運動の意識が高まっていくのだが……
要するに「女に自由を!」、「なんで良妻賢母でなきゃなんないのよ!」といった主張のフェミ女が炸裂、その草分け的な映画。
1954年は木下惠介のこの2作と、黒澤明の『七人の侍』も上映されている。
そして「キネマ旬報ベストテン」では、何と『七人の侍』を抑えて、1位と2位を木下の『二十四の瞳』と『女の園』が独占。反戦とフェミのセットで、ホモだった木下は完全にあっちの工作員だったとしか思えない。しかも木下は日本初のカラー映画である『カルメン故郷に帰る』(1951・詳しくは右画像クリック)も撮っているのですが、これも『二十四の瞳』と同じく高峰秀子の主演で、しかもその主役ヒロインはストリッパーなんですよ。ここまで露骨だと、さすがに今にして思うと、わかりやすすぎませんか?
当時から、以下にフェミ・民主主義教・フシダラ化の勢力がマスコミにおいて強大であったかが伺えます。こんな頃から左翼の激しいプロパガンダ工作がとっくに始まっていたんですね。高校が舞台で男女恋愛を賛美、女権主張のフェミ系女教師と守旧派女性の対立を描き、民主主義洗脳に大きな影響を与えた映画『青い山脈』(1949年。原作:石坂洋次郎・1947年から朝日新聞で連載)と共に、『二十四の瞳』は左翼プロパガンダ映画の筆頭といえましょう。
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(2010.12.8)
小さな子がいることもあって、子供が出る映画を最近よく見ます。名作として知られる『二十四の瞳』(1954年、原作 壺井栄・女性。詳しくは右画像クリック)ですが、この映画は戦後左翼の典型的な反戦プロパガンダ映画です。
私は最初、これほど平和や平等を主張する左翼的な映画と全く知らずに見てしまいましたが。
この映画では大局的に全体を見ないで、ひたすら教え子が死んでいったことしか描かれておらず、とにかく戦争とは悲惨、可哀そうな人たちをたくさん生むばかりとしか訴えない。
もちろん、何で日本が戦争していかざるを得なくなったかとか、そういう説明も一切ありません。
戦争シーンとかは出てきません。単に学校から巣立った子供たちが、戦争が終わったら皆死んでいて、生き残った男の子たちはわずかというシナリオ。
生活面から見た戦争による変化だけしか描かれておらず、ひたすら、いわば家庭内の女としての視点のみ。
戦って亡くなった方への敬意も全く感じられず、これだけ見れば、戦争は悪としか洗脳されません。
戦時教育に憂いを持ったヒロイン 大石先生(高峰秀子)は、教え子たちの卒業とともに教職を辞します。
ヒロインはとっても個人主義的で、日本の美意識たる自己犠牲精神というものはカケラも感じられません。
イデオロギーを象徴するのが、始まりでは違っていたのに、戦争が終わって小学校の教師に復帰したヒロインが、ラストシーンで“さん”づけで子供の名前を呼んでいたこと。
同じ子供がそのまま大人になっていくような成長過程を描いたのは、なかなかスゴかったです。全国から幼児・小学生~大人まで、それぞれの出演者で似た顔の人を集めて録っていったそうです。最初は実際に成長するまで、何年もかけて撮影したのかと思ったくらい似てました。
個人的にこの映画は、たとえ今のような保守イデオロギーになる前の昔に見ていたとしても、恐らく何の感動もしなかったと思います。
変に戦争のツラさや、悲惨さだけを強調したものは、以前から嫌いでした。
ただ反戦じゃなく、『プラトーン』のような人間の本質を描くような演出がないとちょっとね・・・
単に名作として知られていたので、左翼的な作品だと知らずに見たものの一つですが、これほど著名な作品で、ストレートに反戦、平和、左翼的なイデオロギーを表したものは他にないかもしれません。予告編のキャッチ、木下監督の言葉からも明らかですが、左翼反戦プロパガンダの典型です。(映画『二十四の瞳』予告編)
また、監督 木下惠介はホモで有名であり、「木下の助監督はすべて美青年であった」と脚本家の白坂依志夫は回顧エッセイで記述、言葉遣いもとても女性的だったそうです(恩地日出夫「砧撮影所とぼくの青春」などより)。
戦中にごく短い結婚生活を経験しているが入籍せず、新婚旅行で性的関係もないまま離別したという相手女性の証言もあります(長部日出雄「天才監督木下恵介」)。男でありながら女性に全く興味を持たない、典型的な“おんな形”のゲイだったのでしょう。
ウチにはたくさんの児童書・絵本があって、内容をよく知らずに将来、有名作なので子供にでも読ませようかと、原作本も持ってましたが、この映画を見た途端、古本屋に売っちゃいました。
1954年、黒澤明の代表作『七人の侍』と同時期の映画ですが、『二十四の瞳』の方が当時の映画賞をたくさん受賞。戦後まもない頃でもあり、当時の米国や左翼・マスコミの政治的思惑も強烈に働いていたのでしょう。
戦前の生き生きとした子供たちを見るには、実在の施設を元に、社会に受け入れられない問題児たちの教育に向かい合う教師たちと、子供たちが集団労働に新しい喜びを見出すまでを力強く描いた、清水 宏 監督の映画『みかへりの塔』(1941年)とかの方が、よりリアルに描かれてます。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
【投票参照】 伊首相 「ロリコンはホモよりマシ」 (2010.11.4 ロイター)
伊首相ベルスコーニ氏が「美しい少女を好きなのは同性愛者であるよりましだ」と発言。
石原都知事 「同性愛者はやっぱり足りない感じ」、「テレビなんかでも同性愛者の連中が出てきて平気でやるでしょ。日本は野放図になり過ぎている」(2010.12.7 毎日新聞)
『 ヴィヴァ・ラ・メガベイブス 』 シャンプー (1995)
viva la megababes - shampoo
シャンプーは英国のガールズデュオ。その後の1999年のロシアのガールズデュオ t.A.T.u.(タトゥ)になると、レズビアン・ゲイ色が丸出しになる(少女同士でキス t.A.T.u.の『オール・ザ・シングス・シー・セッド - All the things she said』Live)。どちらも世界的なセンセーションを引き起こしたが、シャンプー(詳しくは右画像クリック)の方がまだ正当派で断然カワイー。
イタリアのベルルスコーニ首相が「ロリコンはホモよりマシ」と言い、石原慎太郎都知事も「テレビなんかでも同性愛者の連中が出てきて平気でやるでしょ。日本は野放図になり過ぎている」と言ったそうだが、私も全く同意。左翼やマスコミが、オカマやゲイまで日本破壊工作に政治利用するのであれば、対抗策として私は、子供にゲイやオカマなんて最低だと教えるのみ! 彼らがオモテに出ず、ヒッソリやっていたなら、別に差別意識なんてなかったし、ゲイやオカマをこれほど敵視すべしとも、言わずに済んだのにね。それでも結果として子供がゲイになってしまうなら仕方なし。
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◆日本にはもう、強い男がいなくなるの!? ~ 文化に愚鈍な保守が多すぎる!
◆フェミと変態オカマを煽るマスコミ ~ “男の娘”凌辱ものまで
◆早期セックスを青少年に煽るマスコミ・左翼なのに、仕事持つ健全な男性が女子高生と交際したら犯罪者にされるというダブルスタンダード
◆白昼から子供向けにポルノを垂れ流す変態TV局ども!
◆“オタク” が違和感持たれなくなってしまった時代、そしてこの先は、“オカマ” が違和感持たれなく ・・・
◆“恥の文化”から“恥知らずの文化”に成り下がった日本
◆萌えキャラに熱を上げる男の子たちってのは・・・マスコミの白痴化政策に注意!
◆女の子には“赤い靴” ~ 親不孝娘を描いたアンデルセン童話のダイナミズム
◆ヘナチョコ男とパッパラパー女はいらない ~ 命とは尊く儚いもの
◆プリキュア洗脳されたパッパラパー母娘たち ~ こんなのが今の女性の目標!?
◆特攻隊の青春群像 映画『決戦の大空へ 』と、フィリピンの神風記念碑
◆今の宮崎駿/ジブリ作品は本当に日本のアニメなのか!?~ ディズニーだって、創価の配下?
男が若い女へ当たり前に好意を持ったら犯罪者にされ、加えてホモレズ同性愛が推奨、保護される。つまり、畜生ホモ・異常性癖者を批判する正常感覚持った者が犯罪者として処罰される恐ろしい時代になったのですよ。「LGBTへの差別がー」なんてのは、要するに変態アナルSEXクズを批判する者を徹底弾圧するためのものですからね。わかってる? 既に「セクハラー」と騒がれればそうなるのと同じように、これからは鬼畜同性愛を批判する者に対し「LGBT差別がー」と騒ぐだけでその人のすべてを奪い去ることが出来るようになるわけ。
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(2017.6.19)
現代日本では、男が女子高生とつきあったら犯罪者とされてしまいますが、1990年頃までは男が女子高生とつきあっても何のお咎めもなく犯罪じゃなかったんですよ。これが犯罪にされたのは、すべて都道府県で条例が作られてしまった以後から。教え子と生徒で関係を持つようなら不適切ではあっても、それだけで犯罪者にしてしまうのはあんまり。現代の価値観に洗脳されてはいけません。女子高生は子供も産める立派な大人の体なんですよ。男が女子高生に好意を持つというのは全くもって正常な感覚であり、これが犯罪になるなら、若い娘はすべて犯罪者発生誘因兵器と化すし、どんどんつけ上がっていきます。だから女は男に常に狙われてることを意識して自ら身持ちを固くしておかなければいけないわけ。そのやり方が「私に手を出すのは犯罪なんだからねー!」なんて、女をつけ上がらせるようではいけない。女子高生に興味持ってるだけで、「淫行男」なんてレッテル貼る……若いうちに結婚させない、子供を生ませないよう日本人滅亡企む暗黒勢力によるデタラメ価値観押しつけプロパガンダにダマされんなよ~。対して男同士・女同士で淫らな行為する畜生・クズどもを優遇、保護する狂った日本、今の日本ではキチガイ・悪魔が政治をやってます!
『デリシャス』 シャンプー (1995)
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なつかしの新宿で撮影のシャンプーPV。当時のガールズカルチャーも垣間見れますよ^▽^)
(2012.9.1)
『二十四の瞳』の左翼色も強烈ですが、その同年(1954)、同じ木下の『女の園』(詳しくは右画像クリック)という作品も公開されてます。
ちなみに、映画『女の園』の内容
・封建的規律で知られる名門女子大を舞台に学生の自由と学園の理想とが対立する悲劇をリアルに描いた問題作。
・良妻賢母型の女子教育を信条とする京都の名門・正倫女子大学は、厳しい規則と指導で生徒たちを常に縛りつけていた。しかし男女交際は無論のこと、外出や勉強時間まで規制される寮生活の中で、次第に生徒たちの学園の民主化運動の意識が高まっていくのだが……
要するに「女に自由を!」、「なんで良妻賢母でなきゃなんないのよ!」といった主張のフェミ女が炸裂、その草分け的な映画。
1954年は木下惠介のこの2作と、黒澤明の『七人の侍』も上映されている。
当時から、以下にフェミ・民主主義教・フシダラ化の勢力がマスコミにおいて強大であったかが伺えます。こんな頃から左翼の激しいプロパガンダ工作がとっくに始まっていたんですね。高校が舞台で男女恋愛を賛美、女権主張のフェミ系女教師と守旧派女性の対立を描き、民主主義洗脳に大きな影響を与えた映画『青い山脈』(1949年。原作:石坂洋次郎・1947年から朝日新聞で連載)と共に、『二十四の瞳』は左翼プロパガンダ映画の筆頭といえましょう。
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(2010.12.8)
小さな子がいることもあって、子供が出る映画を最近よく見ます。名作として知られる『二十四の瞳』(1954年、原作 壺井栄・女性。詳しくは右画像クリック)ですが、この映画は戦後左翼の典型的な反戦プロパガンダ映画です。
私は最初、これほど平和や平等を主張する左翼的な映画と全く知らずに見てしまいましたが。
この映画では大局的に全体を見ないで、ひたすら教え子が死んでいったことしか描かれておらず、とにかく戦争とは悲惨、可哀そうな人たちをたくさん生むばかりとしか訴えない。
もちろん、何で日本が戦争していかざるを得なくなったかとか、そういう説明も一切ありません。
戦争シーンとかは出てきません。単に学校から巣立った子供たちが、戦争が終わったら皆死んでいて、生き残った男の子たちはわずかというシナリオ。
生活面から見た戦争による変化だけしか描かれておらず、ひたすら、いわば家庭内の女としての視点のみ。
戦って亡くなった方への敬意も全く感じられず、これだけ見れば、戦争は悪としか洗脳されません。
戦時教育に憂いを持ったヒロイン 大石先生(高峰秀子)は、教え子たちの卒業とともに教職を辞します。
ヒロインはとっても個人主義的で、日本の美意識たる自己犠牲精神というものはカケラも感じられません。
イデオロギーを象徴するのが、始まりでは違っていたのに、戦争が終わって小学校の教師に復帰したヒロインが、ラストシーンで“さん”づけで子供の名前を呼んでいたこと。
同じ子供がそのまま大人になっていくような成長過程を描いたのは、なかなかスゴかったです。全国から幼児・小学生~大人まで、それぞれの出演者で似た顔の人を集めて録っていったそうです。最初は実際に成長するまで、何年もかけて撮影したのかと思ったくらい似てました。
個人的にこの映画は、たとえ今のような保守イデオロギーになる前の昔に見ていたとしても、恐らく何の感動もしなかったと思います。
変に戦争のツラさや、悲惨さだけを強調したものは、以前から嫌いでした。
ただ反戦じゃなく、『プラトーン』のような人間の本質を描くような演出がないとちょっとね・・・
単に名作として知られていたので、左翼的な作品だと知らずに見たものの一つですが、これほど著名な作品で、ストレートに反戦、平和、左翼的なイデオロギーを表したものは他にないかもしれません。予告編のキャッチ、木下監督の言葉からも明らかですが、左翼反戦プロパガンダの典型です。(映画『二十四の瞳』予告編)
また、監督 木下惠介はホモで有名であり、「木下の助監督はすべて美青年であった」と脚本家の白坂依志夫は回顧エッセイで記述、言葉遣いもとても女性的だったそうです(恩地日出夫「砧撮影所とぼくの青春」などより)。
戦中にごく短い結婚生活を経験しているが入籍せず、新婚旅行で性的関係もないまま離別したという相手女性の証言もあります(長部日出雄「天才監督木下恵介」)。男でありながら女性に全く興味を持たない、典型的な“おんな形”のゲイだったのでしょう。
ウチにはたくさんの児童書・絵本があって、内容をよく知らずに将来、有名作なので子供にでも読ませようかと、原作本も持ってましたが、この映画を見た途端、古本屋に売っちゃいました。
1954年、黒澤明の代表作『七人の侍』と同時期の映画ですが、『二十四の瞳』の方が当時の映画賞をたくさん受賞。戦後まもない頃でもあり、当時の米国や左翼・マスコミの政治的思惑も強烈に働いていたのでしょう。
戦前の生き生きとした子供たちを見るには、実在の施設を元に、社会に受け入れられない問題児たちの教育に向かい合う教師たちと、子供たちが集団労働に新しい喜びを見出すまでを力強く描いた、清水 宏 監督の映画『みかへりの塔』(1941年)とかの方が、よりリアルに描かれてます。
【投票参照】 伊首相 「ロリコンはホモよりマシ」 (2010.11.4 ロイター)
伊首相ベルスコーニ氏が「美しい少女を好きなのは同性愛者であるよりましだ」と発言。
石原都知事 「同性愛者はやっぱり足りない感じ」、「テレビなんかでも同性愛者の連中が出てきて平気でやるでしょ。日本は野放図になり過ぎている」(2010.12.7 毎日新聞)
viva la megababes - shampoo
シャンプーは英国のガールズデュオ。その後の1999年のロシアのガールズデュオ t.A.T.u.(タトゥ)になると、レズビアン・ゲイ色が丸出しになる(少女同士でキス t.A.T.u.の『オール・ザ・シングス・シー・セッド - All the things she said』Live)。どちらも世界的なセンセーションを引き起こしたが、シャンプー(詳しくは右画像クリック)の方がまだ正当派で断然カワイー。
イタリアのベルルスコーニ首相が「ロリコンはホモよりマシ」と言い、石原慎太郎都知事も「テレビなんかでも同性愛者の連中が出てきて平気でやるでしょ。日本は野放図になり過ぎている」と言ったそうだが、私も全く同意。左翼やマスコミが、オカマやゲイまで日本破壊工作に政治利用するのであれば、対抗策として私は、子供にゲイやオカマなんて最低だと教えるのみ! 彼らがオモテに出ず、ヒッソリやっていたなら、別に差別意識なんてなかったし、ゲイやオカマをこれほど敵視すべしとも、言わずに済んだのにね。それでも結果として子供がゲイになってしまうなら仕方なし。
◆日本にはもう、強い男がいなくなるの!? ~ 文化に愚鈍な保守が多すぎる!
◆フェミと変態オカマを煽るマスコミ ~ “男の娘”凌辱ものまで
◆早期セックスを青少年に煽るマスコミ・左翼なのに、仕事持つ健全な男性が女子高生と交際したら犯罪者にされるというダブルスタンダード
◆白昼から子供向けにポルノを垂れ流す変態TV局ども!
◆“オタク” が違和感持たれなくなってしまった時代、そしてこの先は、“オカマ” が違和感持たれなく ・・・
◆“恥の文化”から“恥知らずの文化”に成り下がった日本
◆萌えキャラに熱を上げる男の子たちってのは・・・マスコミの白痴化政策に注意!
◆女の子には“赤い靴” ~ 親不孝娘を描いたアンデルセン童話のダイナミズム
◆ヘナチョコ男とパッパラパー女はいらない ~ 命とは尊く儚いもの
◆プリキュア洗脳されたパッパラパー母娘たち ~ こんなのが今の女性の目標!?
◆特攻隊の青春群像 映画『決戦の大空へ 』と、フィリピンの神風記念碑
◆今の宮崎駿/ジブリ作品は本当に日本のアニメなのか!?~ ディズニーだって、創価の配下?