夫・子供のため無償で働くのは嫌でも、カネさえ貰えるなら売春だってやる
~ 拝金主義に侵された女とは
(2012.2.21)
本来、女は子供だって安心して産める20代前半までの大して仕事なんかしないうち結婚するのが一番いい。女が長いこと労働者やってると完全に脳ミソが拝金主義に侵されて、大概がカネをもらえない家事なんて到底出来なくなってしまいます。左翼はそれを狙ってるわけ。
猿にしろイルカにしろ、芸を仕込まれる時の動物はエサ欲しさにインストラクターたちに従うわけですが、当然、こいつらは餌をくれなきゃ従いません。
でも、食い物にしろお金にしろ、ちょっとずつ小出しにされてるだけで、何か大きな収穫が得られるというわけでは決してない。
要するに拝金主義に脳ミソが侵されてるというのは、女がこういう餌付けされた状態と全く同じということなんです(もちろん今じゃ似たような男もたくさんいる)。洗脳、飼い慣らされてるわけ。
目先の食い物やお金にはすぐ食いつくけど、お金にならない子育てや家事、家族への奉仕の大切さなんてまるで見えない。
子育てなんか特にわかりやすいと思うけど、目先のお金にならなくても、本当はもっと大きな収穫・実りが得られるものの価値が見えなくなってしまってるわけ。あるいは子育てに力を入れてるつもりでも、力を注ぐべきベクトルが間違ってたりとか・・・
奴らは自由だの人権だのいろんな言葉使ってたぶらかしてくるわけですが、多くの女がお金もらえない家事や子育てが出来なくなってしまったのと同じように、これからは子供たちがおカネもらえないと頑張らない、親のいうことを聞かない・・・洗脳された女が「DVだ~!」「セクハラだ~!」って騒ぎだしたように、既に子供たちも「人権侵害だ~!」「虐待された~!」って、すぐ騒ぐようなってきますからね。
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(2011.8.9)
本来、日本においては、“ダンナ”という言葉はカネ絡みの関係を指すことが多いが、“主人”とは神聖な関係を指すので、正統派保守系 女性が外の人に対して夫のことを話す場合、“主人”と呼ぶべきと前に書いてます。
案の定、こういうこと書くと、決まってフェミが騒ぎ出します。
「夫を主人と呼ぶのは、女である自分が奴隷だと認めたも同じ」だなんて騒いでる奴らがいますが、そんなのフェミ左翼の策略ですからね。
元々、日本には奴隷制度なんてないし、奴隷がその持ち主を“主人”と呼んだりすること、これまで日本では100%ありませんでした。
妄想オタク向け漫画に出てくる奴隷的なメイドの女が、男を「ご主人様」なんて呼んでる話、これも日本人をパッパラパー化するのに加え、“主人”という言葉を貶める左翼の策略が混じってると思ってます。
本当は女中(メイド)が雇い主を呼ぶ時の呼称こそが「ダンナさま」だったんですからね。女中は「ご主人様」なんて絶対呼んでませんでした。
同じように、男が妻のことを“カミさん”と呼んだからといって、それで夫が妻の下僕だと認めたなんてことにも、全然つながりません。
対して“ダンナ”という言葉は、以下のように女が男をモノにしてからのカネによる付き合い、経済的支援をしてくれる男の意味合いが、昔から非常に強いです。
『京都 舞妓と芸妓の奥座敷』(相原恭子 著、文芸春秋)より
【旦那】
舞妓や芸妓の話をすると、なぜかすぐに旦那のことを思い浮かべる人が多いようで、「旦那さんかぁ。お金があれば、そりゃなりたいなぁ!」とか、「余命いくばくもない、となったらしてみたいことの五指には入る」などという男の人もいる。花街における旦那とは、基本的に芸妓の経済的スポンサーということになるのだが、本来の意味では単にそれだけの存在ではない。大げさに聞こえるかもしれないが、旦那衆といえば花街の人たちとともに花街文化を作ってきた人たちでもある。
旦那はお茶屋で粋に遊ぶことがで出来て、お茶屋のおかあさんたちから信頼されるような人間関係をきちんと築いて、花街内で旦那であることを公にすることができなければならない。こそこそと特定の芸妓とおつきあいするのでは旦那と認められないどころか、花街のルールに違反することになるのである・・・
こういうの読んだだけで、そもそも日本における“旦那”という言葉には、極めて金銭、経済的な関係に深いつながりがあることおわかりでしょう。
しかし、“主人”という言葉はカネではない神聖なつながりを示し、文字通り、主とは神のことも指すし、男が妻のことを“カミさん”(神)と呼ぶのと同じようなものでしょう。
芸妓の世界なら、別にカネによる関係、スポンサーであるからといって汚らわしい間柄というわけでなく、当たり前の関係でもあるわけですが、芸妓と旦那の関係は明らかに夫婦のような神聖な関係ではありません。
いずれにしろ“旦那”という言葉は非常に俗っぽいし、むしろ芸妓や売春宿のような世界でよく使われていた。また、日教組系の団体が主婦に対して、夫を“主人”と呼ばないようにという運動を起こしてたりで、近年、夫を“ダンナ”(あるいはそのまま“夫”)と呼ぶのが普及してしまったのには、夫婦関係をそういう非常に軽いものにしようという奴ら左翼の意図が隠れていると見て間違いない。本来、神聖であるべき夫婦の関係を俗っぽいものにせしめようという、フェミや左翼の思惑が働いてるわけ。
それに“主人”という言葉が神からの由来であるなら、“主人”との関係において終りはありません。たとえ死んでも主人は主人です。それに対して“旦那”は、コロコロ変えることができるもの。
(また最近では男でも女でもどっちでも使えるものとして“パートナー”という言葉がマスコミによって普及されてしまい、今じゃ“パートナー”という言葉を意識せず使ってる人も多いですが、“パートナー”というのも元々はジェンダーフリー系の左翼・フェミ用語であり、これも意図的な仕込みなのです。加えて、パートナーというのはとっかえひっかえ出来そうなイメージもありますしね。2017.7.15追記)
タダで使われる結婚なんかイヤだと言って売春宿に戻ってくる女を描いた『赤線地帯』
一度、身についた垢はなかなか落ちない
黒澤明や小津安二郎と並ぶ名監督 溝口健二の遺作に『赤線地帯』という映画があります(詳しくは右画像クリック)。舞台は赤線廃止が間近の売春宿。そこの売春婦が結婚を夢見て嫁いでいったが、ただでコキ使われる結婚なんて冗談じゃないと言い、即刻、逃げ出して「働いたら働いただけ自分のお金になる、こっちの方がいい」と言って再び売春宿に戻ってきます。
でも、これって売春宿の話だけじゃありませんよね? こういうの見て、「ハッ」とするような方なら、まだ救いがあります。左翼の洗脳で拝金主義に侵されきった脳ミソ、これまでの価値観をすべて見直しましょう。特に「仕事はお金がもらえるから頑張りがいあるけど、家事なんていくらやっても、お金もらえないし、やりがいもないから」なんて言ってた覚えある人、これまでのすべてが間違っていたこと、早く気づいてくださいね。
嫁に行って逃げ出してきた女の言葉、「一日中 仕事、ご飯、洗濯・・・(そんなのイヤ)」、それに対して「嫁に行ったんだから、そのぐらい当たり前じゃない! 身についた垢って、なかなか落ちないものね」と言って、逃げ出してきた女を諭そうとする仲間の言葉が心象に残ります。
そういう生活を耐えて家族で頑張っていってこそ、きっと後で、いいこともたくさんあるのにね。目先だけ。ちょっとやって、すぐに逃げ出してくるようでは・・・男にもそんな風な人、今じゃたくさんいるんでしょうけどね。
もともと溝口健二はこのサイトでも絶賛している『雨月物語』や『山椒太夫』のような戦後の世界的な名作を生む前、戦前は『祇園の姉妹』などで身売りされる女、男から使い捨てにされる芸者姉妹を描いたりで、女の悲哀、女の人生の理不尽さを訴えた監督として、左翼も好むタイプのようです。しかし遺作となった、この『赤線地帯』ではむしろ、拝金主義に陥った女や、育てた子供が大人になってから見捨てられる女(母親=シングルマザー)を描いてたりで、女性の自由や自立を主張したフェミニズムを暗に批判していることが伺えます。恐らくこれは、戦前はトップ美人女優で戦後は化け猫女優として復活した入江たか子が代表を務める入江プロに溝口が所属し、一時は入江とデキていたが険悪な間柄となって激しい確執が生まれたりで、フェミ的な女の最たるものともいえる入江のような女優の生きざまに嫌悪感を覚えたりとか、そういうのが何か大きな影響を与えたように感じます。きっと溝口も、フェミニズムによる暗澹たる未来、女の不幸、日本の行く末(要するに現代)を見てしまったのであり、それが晩年の作品作りに表れたのでしょう。
映画 『 赤線地帯 』 (1956) より 「身についた垢は落ちない」
監督:溝口健二 出演:若尾文子、京マチ子 他
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(2012.6.28)
映画『赤線地帯』では、売春宿の店主が赤線禁止に反対し、売春婦たちに「本当におまえたちのことを考えてるのは私だけだ」なんて言ってたけど、そんなの明らかにウソであること、さすがにおわかりでしょう。
ただの運命共同体にすぎず、店主なんて売春婦たちや客を食い物にしていたにすぎないわけですから。
要するに当時、赤線禁止に反対していた人たちと同じパターンで、「表現の自由、子供たち個人の嗜好の自由を守れ!」なんて言って、青少年に対するエロ規制にエロ系右翼は反対していたわけですが、あの時、率先して規制に反対先導していたのは、エロを利権に金儲けしていた漫画・アニメ・ゲームなどマスメディア業界筋にすぎなかったということ。それにつられてたのが奴らに飼い慣らされた、オタクやエロ好きな愛好家たち。
しかも、青少年エロ規制は子供が見るものへの規制であったのに、さも大人が見るものまで規制されるかのよう、あの時猛反対していた筋は大騒ぎしてました。
業界の連中は、運命共同体とも言える、手駒である作家や制作スタッフたちと、飼い慣らしたエロ好きな青少年少女たちに、「規制されれば、おまえたちの自由(人権)や生活が侵害されるぞ! 本当におまえたちの生活、自由な趣味・嗜好を守ってやってるのはオレたちだけだ」なんてそそのかして、金儲けを続けたいがためやっていただけ。
つまり、青少年エロ規制の時の反対者たちのつながりというのは、当時の赤線廃止を巡っての反対者たちの構図にそっくり当てはまります。
売春宿 = エロ漫画・アニメ・ゲーム利権業者・筋
売春婦 = 作家・制作者
売春宿の客 = オタク、エロ漫画・アニメ・ゲーム愛好家
と言う風に、非常にわかりやすいです。
ただし、私は赤線を廃止したのがいいか悪いかといえば、別にあってもよかったのではないかと思ってるし、当時の廃止論者の一番の主張は左翼的で、女性の人権が侵害されてるからっていうのが頭にあったわけで、だったら寧ろ廃止しないで残しておくべきだったと思います。
それに今では性風俗産業の繁栄が成り代わってるだけだし。
でも、赤線に子供も行っていいなんてなってれば論外だし、そうなれば私が猛反対するのは当たり前。
エロは、別に大人が密かに楽しんでる分については概ね構わないのですが、ただし足を入れすぎると嵌って抜け出せなくなり、正常な男女のつきあいや子育てが出来なくなってしまう人々が増産されます。大人の分まで規制する必要はありませんが、大人でも嵌ったら大いにリスクのあること、ここでは警告し続けてるわけです。
違法ダウンロード刑罰化は、子供に対してのみ規制するのでなく、エロに限らずすべての情報発信が妨害されることになりうるわけで、重大な問題を孕んでます。早く廃止させねば・・・
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◆現代は中世ヨーロッパ暗黒時代にも匹敵する文化不毛カルトの時代② ~ アラビアンナイトに見る豊かな心を持った自由な奴隷
◆女が仕える価値ある男、男が守るべき価値ある女 ~ 今の“男女平等”社会のままで目指せると思いますか?
◆“奥さん”と“ダンナ” 乱れる日本語 ~ 正統派なら“主人”と“家内”
◆個性の追求、結婚できない無縁社会の到来 ~ 漱石に見るネコの意味するもの
◆70年代後半から男を呼び捨て子供番組による男女平等精神侵略 ~ 日本人なら、女が男を呼び捨てにしてはいけません
◆本当に男女平等、男女差別をなくせというなら、男女別の競技なんて廃すべき
◆『子育て幽霊』 小泉八雲が書き残した日本の昔話 ~ ドラマ『日本の面影』より②
◆アバズレ主婦増産のため、左翼マスコミからの贈り物
◆ド底辺!? 援交アバズレ年増女の増殖
◆フェミ二ズム批判するなら、女が見に来て女に「そうか!」と思わせるような内容にしなきゃダメ!
◆わが子の育て方、しつけの仕方 ~ 母親のための人間学 家庭教育の心得
◆反シナ・反朝鮮というだけの短絡的なネトウヨがマンセーする、日本における拝金主義・フェミニズムの権化 福澤諭吉について ①
◆女が自分のため好き勝手やりだしたら、男にとって守るべきものも守るべき国もなくなってしまいます!
本来、女は子供だって安心して産める20代前半までの大して仕事なんかしないうち結婚するのが一番いい。女が長いこと労働者やってると完全に脳ミソが拝金主義に侵されて、大概がカネをもらえない家事なんて到底出来なくなってしまいます。左翼はそれを狙ってるわけ。
猿にしろイルカにしろ、芸を仕込まれる時の動物はエサ欲しさにインストラクターたちに従うわけですが、当然、こいつらは餌をくれなきゃ従いません。
でも、食い物にしろお金にしろ、ちょっとずつ小出しにされてるだけで、何か大きな収穫が得られるというわけでは決してない。
要するに拝金主義に脳ミソが侵されてるというのは、女がこういう餌付けされた状態と全く同じということなんです(もちろん今じゃ似たような男もたくさんいる)。洗脳、飼い慣らされてるわけ。
目先の食い物やお金にはすぐ食いつくけど、お金にならない子育てや家事、家族への奉仕の大切さなんてまるで見えない。
子育てなんか特にわかりやすいと思うけど、目先のお金にならなくても、本当はもっと大きな収穫・実りが得られるものの価値が見えなくなってしまってるわけ。あるいは子育てに力を入れてるつもりでも、力を注ぐべきベクトルが間違ってたりとか・・・
奴らは自由だの人権だのいろんな言葉使ってたぶらかしてくるわけですが、多くの女がお金もらえない家事や子育てが出来なくなってしまったのと同じように、これからは子供たちがおカネもらえないと頑張らない、親のいうことを聞かない・・・洗脳された女が「DVだ~!」「セクハラだ~!」って騒ぎだしたように、既に子供たちも「人権侵害だ~!」「虐待された~!」って、すぐ騒ぐようなってきますからね。
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(2011.8.9)
本来、日本においては、“ダンナ”という言葉はカネ絡みの関係を指すことが多いが、“主人”とは神聖な関係を指すので、正統派保守系 女性が外の人に対して夫のことを話す場合、“主人”と呼ぶべきと前に書いてます。
案の定、こういうこと書くと、決まってフェミが騒ぎ出します。
「夫を主人と呼ぶのは、女である自分が奴隷だと認めたも同じ」だなんて騒いでる奴らがいますが、そんなのフェミ左翼の策略ですからね。
元々、日本には奴隷制度なんてないし、奴隷がその持ち主を“主人”と呼んだりすること、これまで日本では100%ありませんでした。
妄想オタク向け漫画に出てくる奴隷的なメイドの女が、男を「ご主人様」なんて呼んでる話、これも日本人をパッパラパー化するのに加え、“主人”という言葉を貶める左翼の策略が混じってると思ってます。
本当は女中(メイド)が雇い主を呼ぶ時の呼称こそが「ダンナさま」だったんですからね。女中は「ご主人様」なんて絶対呼んでませんでした。
同じように、男が妻のことを“カミさん”と呼んだからといって、それで夫が妻の下僕だと認めたなんてことにも、全然つながりません。
対して“ダンナ”という言葉は、以下のように女が男をモノにしてからのカネによる付き合い、経済的支援をしてくれる男の意味合いが、昔から非常に強いです。
『京都 舞妓と芸妓の奥座敷』(相原恭子 著、文芸春秋)より
【旦那】
舞妓や芸妓の話をすると、なぜかすぐに旦那のことを思い浮かべる人が多いようで、「旦那さんかぁ。お金があれば、そりゃなりたいなぁ!」とか、「余命いくばくもない、となったらしてみたいことの五指には入る」などという男の人もいる。花街における旦那とは、基本的に芸妓の経済的スポンサーということになるのだが、本来の意味では単にそれだけの存在ではない。大げさに聞こえるかもしれないが、旦那衆といえば花街の人たちとともに花街文化を作ってきた人たちでもある。
旦那はお茶屋で粋に遊ぶことがで出来て、お茶屋のおかあさんたちから信頼されるような人間関係をきちんと築いて、花街内で旦那であることを公にすることができなければならない。こそこそと特定の芸妓とおつきあいするのでは旦那と認められないどころか、花街のルールに違反することになるのである・・・
こういうの読んだだけで、そもそも日本における“旦那”という言葉には、極めて金銭、経済的な関係に深いつながりがあることおわかりでしょう。
しかし、“主人”という言葉はカネではない神聖なつながりを示し、文字通り、主とは神のことも指すし、男が妻のことを“カミさん”(神)と呼ぶのと同じようなものでしょう。
芸妓の世界なら、別にカネによる関係、スポンサーであるからといって汚らわしい間柄というわけでなく、当たり前の関係でもあるわけですが、芸妓と旦那の関係は明らかに夫婦のような神聖な関係ではありません。
いずれにしろ“旦那”という言葉は非常に俗っぽいし、むしろ芸妓や売春宿のような世界でよく使われていた。また、日教組系の団体が主婦に対して、夫を“主人”と呼ばないようにという運動を起こしてたりで、近年、夫を“ダンナ”(あるいはそのまま“夫”)と呼ぶのが普及してしまったのには、夫婦関係をそういう非常に軽いものにしようという奴ら左翼の意図が隠れていると見て間違いない。本来、神聖であるべき夫婦の関係を俗っぽいものにせしめようという、フェミや左翼の思惑が働いてるわけ。
それに“主人”という言葉が神からの由来であるなら、“主人”との関係において終りはありません。たとえ死んでも主人は主人です。それに対して“旦那”は、コロコロ変えることができるもの。
(また最近では男でも女でもどっちでも使えるものとして“パートナー”という言葉がマスコミによって普及されてしまい、今じゃ“パートナー”という言葉を意識せず使ってる人も多いですが、“パートナー”というのも元々はジェンダーフリー系の左翼・フェミ用語であり、これも意図的な仕込みなのです。加えて、パートナーというのはとっかえひっかえ出来そうなイメージもありますしね。2017.7.15追記)
タダで使われる結婚なんかイヤだと言って売春宿に戻ってくる女を描いた『赤線地帯』
一度、身についた垢はなかなか落ちない
でも、これって売春宿の話だけじゃありませんよね? こういうの見て、「ハッ」とするような方なら、まだ救いがあります。左翼の洗脳で拝金主義に侵されきった脳ミソ、これまでの価値観をすべて見直しましょう。特に「仕事はお金がもらえるから頑張りがいあるけど、家事なんていくらやっても、お金もらえないし、やりがいもないから」なんて言ってた覚えある人、これまでのすべてが間違っていたこと、早く気づいてくださいね。
嫁に行って逃げ出してきた女の言葉、「一日中 仕事、ご飯、洗濯・・・(そんなのイヤ)」、それに対して「嫁に行ったんだから、そのぐらい当たり前じゃない! 身についた垢って、なかなか落ちないものね」と言って、逃げ出してきた女を諭そうとする仲間の言葉が心象に残ります。
そういう生活を耐えて家族で頑張っていってこそ、きっと後で、いいこともたくさんあるのにね。目先だけ。ちょっとやって、すぐに逃げ出してくるようでは・・・男にもそんな風な人、今じゃたくさんいるんでしょうけどね。
もともと溝口健二はこのサイトでも絶賛している『雨月物語』や『山椒太夫』のような戦後の世界的な名作を生む前、戦前は『祇園の姉妹』などで身売りされる女、男から使い捨てにされる芸者姉妹を描いたりで、女の悲哀、女の人生の理不尽さを訴えた監督として、左翼も好むタイプのようです。しかし遺作となった、この『赤線地帯』ではむしろ、拝金主義に陥った女や、育てた子供が大人になってから見捨てられる女(母親=シングルマザー)を描いてたりで、女性の自由や自立を主張したフェミニズムを暗に批判していることが伺えます。恐らくこれは、戦前はトップ美人女優で戦後は化け猫女優として復活した入江たか子が代表を務める入江プロに溝口が所属し、一時は入江とデキていたが険悪な間柄となって激しい確執が生まれたりで、フェミ的な女の最たるものともいえる入江のような女優の生きざまに嫌悪感を覚えたりとか、そういうのが何か大きな影響を与えたように感じます。きっと溝口も、フェミニズムによる暗澹たる未来、女の不幸、日本の行く末(要するに現代)を見てしまったのであり、それが晩年の作品作りに表れたのでしょう。
映画 『 赤線地帯 』 (1956) より 「身についた垢は落ちない」
監督:溝口健二 出演:若尾文子、京マチ子 他
(2012.6.28)
映画『赤線地帯』では、売春宿の店主が赤線禁止に反対し、売春婦たちに「本当におまえたちのことを考えてるのは私だけだ」なんて言ってたけど、そんなの明らかにウソであること、さすがにおわかりでしょう。
ただの運命共同体にすぎず、店主なんて売春婦たちや客を食い物にしていたにすぎないわけですから。
要するに当時、赤線禁止に反対していた人たちと同じパターンで、「表現の自由、子供たち個人の嗜好の自由を守れ!」なんて言って、青少年に対するエロ規制にエロ系右翼は反対していたわけですが、あの時、率先して規制に反対先導していたのは、エロを利権に金儲けしていた漫画・アニメ・ゲームなどマスメディア業界筋にすぎなかったということ。それにつられてたのが奴らに飼い慣らされた、オタクやエロ好きな愛好家たち。
しかも、青少年エロ規制は子供が見るものへの規制であったのに、さも大人が見るものまで規制されるかのよう、あの時猛反対していた筋は大騒ぎしてました。
業界の連中は、運命共同体とも言える、手駒である作家や制作スタッフたちと、飼い慣らしたエロ好きな青少年少女たちに、「規制されれば、おまえたちの自由(人権)や生活が侵害されるぞ! 本当におまえたちの生活、自由な趣味・嗜好を守ってやってるのはオレたちだけだ」なんてそそのかして、金儲けを続けたいがためやっていただけ。
つまり、青少年エロ規制の時の反対者たちのつながりというのは、当時の赤線廃止を巡っての反対者たちの構図にそっくり当てはまります。
売春宿 = エロ漫画・アニメ・ゲーム利権業者・筋
売春婦 = 作家・制作者
売春宿の客 = オタク、エロ漫画・アニメ・ゲーム愛好家
と言う風に、非常にわかりやすいです。
ただし、私は赤線を廃止したのがいいか悪いかといえば、別にあってもよかったのではないかと思ってるし、当時の廃止論者の一番の主張は左翼的で、女性の人権が侵害されてるからっていうのが頭にあったわけで、だったら寧ろ廃止しないで残しておくべきだったと思います。
それに今では性風俗産業の繁栄が成り代わってるだけだし。
でも、赤線に子供も行っていいなんてなってれば論外だし、そうなれば私が猛反対するのは当たり前。
エロは、別に大人が密かに楽しんでる分については概ね構わないのですが、ただし足を入れすぎると嵌って抜け出せなくなり、正常な男女のつきあいや子育てが出来なくなってしまう人々が増産されます。大人の分まで規制する必要はありませんが、大人でも嵌ったら大いにリスクのあること、ここでは警告し続けてるわけです。
違法ダウンロード刑罰化は、子供に対してのみ規制するのでなく、エロに限らずすべての情報発信が妨害されることになりうるわけで、重大な問題を孕んでます。早く廃止させねば・・・
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◆現代は中世ヨーロッパ暗黒時代にも匹敵する文化不毛カルトの時代② ~ アラビアンナイトに見る豊かな心を持った自由な奴隷
◆女が仕える価値ある男、男が守るべき価値ある女 ~ 今の“男女平等”社会のままで目指せると思いますか?
◆“奥さん”と“ダンナ” 乱れる日本語 ~ 正統派なら“主人”と“家内”
◆個性の追求、結婚できない無縁社会の到来 ~ 漱石に見るネコの意味するもの
◆70年代後半から男を呼び捨て子供番組による男女平等精神侵略 ~ 日本人なら、女が男を呼び捨てにしてはいけません
◆本当に男女平等、男女差別をなくせというなら、男女別の競技なんて廃すべき
◆『子育て幽霊』 小泉八雲が書き残した日本の昔話 ~ ドラマ『日本の面影』より②
◆アバズレ主婦増産のため、左翼マスコミからの贈り物
◆ド底辺!? 援交アバズレ年増女の増殖
◆フェミ二ズム批判するなら、女が見に来て女に「そうか!」と思わせるような内容にしなきゃダメ!
◆わが子の育て方、しつけの仕方 ~ 母親のための人間学 家庭教育の心得
◆反シナ・反朝鮮というだけの短絡的なネトウヨがマンセーする、日本における拝金主義・フェミニズムの権化 福澤諭吉について ①
◆女が自分のため好き勝手やりだしたら、男にとって守るべきものも守るべき国もなくなってしまいます!