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日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う

真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ⑤
第二十六 菊池武光

(2017.3.31)  (戻る)
大楠公、小楠公、新田義貞、北畠顕家……吉野朝廷の忠臣たちの利欲にとらわれない美しすぎる生きざま。これが戦前の人々の尊敬を集め、その模範となった生き方です。
けれども親子またいで武将たちが奮戦する中、吉野側の勢力は次第に衰えてしまいます。そんな中、最後まで素晴らしい働きをし、勢いあったのがこの菊池氏一門。だけど菊池武光にいたっても、今の学校ではまるで教えられていませんよね。

【「尋常小学 国史より」シリーズ 目次はコチラ】

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尋常小学 国史より ⑤ 第二十六 菊池武光(きくちたけみつ)

肥後の菊池氏
朝廷では、たのみにしていた正行(まさつら)や親房(ちかふさ)のような忠臣がつぎつぎに亡くなったばかりでなく、国々の官軍もまた、たいてい衰えたが、ひとり九州では、官軍の勢いがなお盛であった。先に弘安の役に武勇の誉をあげた菊池武房(たけふさ)の孫の武時(たけとき)は、元弘3年、国々に勤王の軍が起こった時、早くも義兵を肥後に起し、わづかな兵を率いて博多の賊を討ち、はなばなしい戦死をとげた。これが九州で起った勤王の軍のさきがけで、その後、武時の子らも、皆よく父の志を受けついて忠義を尽くした。
武光が懐良親王をお迎え申した
時に、後村上天皇の御弟 懐良(かねなが)親王は、西国の官軍を統(す)べられるために、九州へお下りになった。武時の子の武光は、これを肥後にお迎え申し、親王をいただいて、たびたび賊軍と戦い、その勢がおいおい盛になった。尊氏はそのなりゆきを心配して、自ら武光を討とうとしたが、まだ出かけない中に、病にかかってにわかに死んだ。

筑後川の戦
菊池氏の勢いはいよいよ強くなり、武光は親王をいただいて兵を筑後に進め、賊の大将 少弐頼尚(しょうによりひさ)の軍と筑後川をはさんで陣を取った。武光は川を渡って戦をしかけたが、頼尚は陣を堅うして、なかなか戦おうとしなかった。そこで、武光は、さっそく兵を分けて攻めることとし、自分は親王といっしょに、敵の中堅(ちゅうけん)をめざして突き進んだ。この戦は大変激しく、親王は御身に三箇所までも傷を負われたほどであった。武光は、馬が傷ついた上に、冑(かぶと)がさけたので、敵を斬ってその馬と冑を奪い、死を決してめざましく戦った。そのため、さすがの敵もささえきれずに敗れ退き、頼尚は本国筑前に逃げ帰った。世にこれを筑後川の戦というのである。
子孫つぎつぎに朝廷の御ためにつくした
武光は、なおも親王をいただいて筑前に進み、頼尚を走らせて大宰府に入り、さらに京都へ向かおうとしていたが、その後まもなく、亡くなった。せっかく勢づいてきた九州の官軍は、これからだんだん衰えていった。けれども、武光の子孫はなお長い間朝廷の御ために力を尽くした。肥後の菊池神社は、この菊池氏一族の忠臣をまつったお社(やしろ)である。
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(続き)◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ⑥ 第二十七 足利氏の僣上

(戻る)◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ④ 第二十五 北畠親房と楠木正行

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ③ 第二十四 新田義貞

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ② 第二十三 楠木正成

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ① 第二十二 後醍醐天皇

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ⑦ 第二十八 足利氏の衰微

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ⑥ 仁徳天皇と雄略天皇 顕宗 仁賢 両天皇

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前の日本史教科書準拠 参考書より ① 神代 皇基の遼遠

◆大東亜戦争(太平洋戦争)の起こったわけ (完答)

◆仏教も乗っ取る、反日・フェミ・同和・在日朝鮮人 キチガイ勢力の猛威~ 部落差別につながるからと、廃止が進められる“お清めの塩”

◆親次第で自虐史観なんてどうにでもなる ~ 日本のおかげでアジア諸国の独立が早まった・・・そんなことで喜んでるのも自虐史観の亜種にすぎない

◆『昔の日本はアメリカと同じくらい広かった!』~ 日本人としての自信を持たせた祖母の言葉
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三船敏郎、チャールズ・ブロンソン、アラン・ドロン 往年の豪華キャスト
~ 侍の武士道の美徳が満開! 映画『レッド・サン』を見ました

(2012.11.26)
昨日の女性版 武士道の忠義の話に続いて、今日は男の武士道絡みのネタ。
家のDVD棚で、サムライ姿の三船敏郎が載った『レッド・サン』 (詳しくは右画像クリック)を見つけた子供に「見たい見たい」と前からせがまれてて、ちょっと早いかなと思ったのですが先日、子供も交えて見ました。
うちの子は、こういうのにホントめざとい ^▽^) 恐らくうちの子にとって、初めての大人の映画になったと思います。

舞台は幕府から朝廷へ政権移行直後の1870年の設定、ミカドの貢物をもって米国へ遣わされた日本人使節のお話。
チャールズ・ブロンソン、アラン・ドロン、三船敏郎など、当時としては信じられないほど豪華な大スターが揃って出演、日本でも大変な話題作となりました。

私の子供の頃はTVで何度か見たことあるし、私より上の世代ではお馴染みの映画でしょうが、きっと今では地上波で放送してること、まずないのではないでしょうか。

改めて見て気づいたことは、当時の白人たち製作者や脚本家らがこれだけ日本人の価値観をよく理解して作ったというのに、今の無知でいい加減な日本人スタッフでは、これだけよくわかった作り込みは、まず出来ないのではないかとさえ思えることです。
日本人と白人らの立ち居振る舞いの違いが際立ってるし、今の役者ではこういう日本人的な動きも、非常に難しいでしょう。

この映画のアイデアは三船プロで、海外のプロデューサーに提案したものが実現されたということらしいので、三船プロのサポートがシッカリしていたからだったのかもしれませんね。ハリウッド映画でなかったのもよかったかも。

内容的にはここでご紹介の『アマゾネス』と同じ、007のテレンス・ヤング監督ということで、アクションや暴力シーン、そして子供に見せるにはきわどいお決まりのお色気シーンもあるのですが、第一級のエンターテインメント作品としてまとめられてるし、とにかくこの映画で表現される、日本人の美意識や価値観が、本当に素晴らしく描かれてるんです。
強盗に奪われた、日本人の心である大事な刀を取り返すため、命を賭けた頑固な忠義心で振舞い続ける三船敏郎、そしてチャールズ・ブロンソン演ずる強盗、2人の間に不思議な友情が生まれ、三船の立派な態度は強盗だったブロンソンにも尊敬を抱かれ・・・

見られたことない方、特に若い世代の方には、当時の豪華俳優陣や男気溢れる三船敏郎の中年期の雄姿を拝見される上でも、ぜひご覧いただきたい作品です。

映画 『レッド・サン』 (1971) より 「侍の最後のご奉公」
Soliel Rouge  (フランス・イタリア・スペイン共作)
監督:テレンス・ヤング
出演:三船敏郎チャールズ・ブロンソンアラン・ドロン 他

やっぱり三船敏郎は最高です。その存在感、完全にブロンソンやドロンを圧倒してます。戦後の技術発達の中で、日本文化・日本人の燦然とした一瞬の輝きを残してくれたこと、神様に感謝。
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◆映画『Sayonara』 愛を貫いて死を恐れない、ヤマトナデシコ~ 変れば変るもの。日本人の美意識

◆本家ディズニーも顔負け! 日本人なら初期の東映アニメは見ておきたい

◆天皇陛下万歳! 大日本帝国万歳! ~ 愛国者なら大ヒット作『明治天皇と日露大戦争』は必見!

◆特攻隊の青春群像 映画『決戦の大空へ 』と、フィリピンの神風記念碑

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天皇陛下万歳! 大日本帝国万歳!
~ 愛国者なら大ヒット作『明治天皇と日露大戦争』は必見!

(2017.11.3)
このごろの陛下の自虐反日的な発言とかを知ってくることで、正直、陛下に対する崇敬の念を失ってしまってきてます。英霊に敬意を持たず、靖国参拝をないがしろにする陛下を尊敬することは今の私には出来ません。
本日、『明治節』を歌いました。子供も紅白まんじゅうを食しました。邪な武士政権から国を奪い返し、後鳥羽上皇、後醍醐帝らの長年の悲願を成し遂げ、欧米列強からも独立を保ち、欧米化による日本人の精神的崩壊をも防ぐため教育勅語まで発布された明治帝こそ、本物の大帝。『明治節』でも「おおみかど」と歌われている。ロシアのピョートル大帝やプロシアのフリードリヒ大王なんてどうでもいいのですが、「明治天皇」ではなく「明治大帝」と教科書でも教えるべき日本史上屈指の偉大なミカド、時代を超えて崇拝すべき明治の大帝なのです。
現代の邪な武士政権こそ日本人のパッパラパー化、売国推進する民主主義政権。加えて選挙権は18歳からと、カルト民主主義洗脳の年齢まで早められてしまった。真の保守が目指すべきは大政奉還、今の俗悪な民主主義政権は陛下の勅命で討つべきなのです。ただし今の(ままの)陛下ではダメです。相応しいお方が皇位にはお即きになるべきです。それに今の皇室は完全に孤立してます。宮内庁の人事すら手を付けられない陛下、スパイ、反日分子だらけ、皇族乗っ取り、今の宮内庁には陛下が心から懇意に出来るような方というのはおそらくいないのではないでしょうか。滅亡寸前のご皇族を守るためにも、歴史ある公家制度の復活も必要
陛下の覚醒が待たれます(今のままでは陛下といえ、洗脳、飼い慣らされてるも同然なのです)。中大兄皇子を覚醒させた藤原鎌足のようなお方の登場が待望されます。
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(2016.7.14)
ここの映画ハイライト動画の、明治天皇が民衆の前に登場するシーンでも使用されている唱歌『明治節』、うちの子に歌ってもらったものと伴奏譜をコチラに掲載してますので、まだ未見の方はぜひご覧になってくださいね ^▽^)
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(2011.5.26)
昨日の日露戦争ネタに続きます。映画『明治天皇と日露大戦争』(1957年・昭和32年。詳しくは右画像クリック)は、史上空前 2000万人もの観客動員を達成した大ヒット作。日本映画史上、初めて近代の天皇を役者が演じた画期的な作品でもありました。
なのに現在、この映画を知ってる人が殆どいないことからして、左翼マスコミが如何に毛嫌いしているかがわかります。完全に無視されてます。40年以上も観客動員記録で史上最高を保ち続け、後に『千と千尋の神隠し』(2001)で破られますが、あれはこの映画の記録を打ち消すための、創価系のジブリによる意図的に作られたインチキ・ヒットにすぎません。

この映画は本当に素晴らしい。出てくるのは役者でも史実にのっとってるし、国民を悲劇に巻き込まないよう最後まで戦争回避の道を探ろうとした陛下の国民を思う気持ち、天皇親政の素晴らしさ、当時の軍人たちの勇猛果敢な精神性や忠誠心もシッカリ演出され、何より当時の俳優たちが凛々しく、男らしく、かっこいい。
戦後わずか12年しか経っていない頃の、出てくる日本人たちの美しい風貌、身のこなしなど見れば、今のドラマなんてすべて茶番にしか見えません。本当に泣けますよ。

後に軍神とされた乃木希典将軍は、この戦争で息子二人、つまりすべての子を失いました。映画には出てきませんが、後に明治天皇は、自身の子を亡くした乃木に子供をたくさん授けてやろうと言い、学習院の校長に任じたエピソードがあります。さらに明治天皇崩御に当たり、乃木氏は夫婦揃って自刃しました。乃木夫妻の忠誠心は日本中、そして世界中からの尊敬を集め、今も乃木神社に祀られてます。
乃木将軍夫妻の生きざま、死にざまを考えれば、私は今、生きてることが恥ずかしくなってしまいます。

もともとこの映画は日本人の5人に一人が見た大ヒット作。これを見てない日本人が右翼や保守を称してるなら、もはやモグリと言っていいくらいですが、今や殆どの日本人が映画の存在すら知りません。
素晴らしい作品です。ぜひご覧ください。

朝日新聞の酷評をものともせず空前絶後の大ヒット! 
映画 『 明治天皇と日露大戦争 』
    (2011.5.26 以下、Wikiより)

近代の天皇を俳優(嵐寛寿郎=アラカン)が演じることに対し「不謹慎ではないか」という批判や、試写会後にも「敗戦後10年少々しか経っていない今、50年も前の勝ち戦さを描く企画に無理がある」という朝日新聞の映画評もあったが、公開されるや空前絶後の記録的な大ヒットとなった。

製作した新東宝の上映館は数が少なかったため、松竹映配に依頼して上映館を増やしたが、都内では新宿オデヲン座、池袋・文芸座、目黒ライオン劇場といった2流、3流の映画館ばかりでの上映だった。それが映画興行史上の大記録を打ち立てたのである。上映した全ての映画館はスシ詰めの超満員となった。客席ぐるりをラッシュアワー並の立ち見客が囲み、中央通路や最前列前の通路まで隙間無く床に座る観客、ロビーにまで人があふれ、上映が始まってもドアが閉められないほどだった。

観客動員数は2000万人、「日本人の5人に1人が見た」と言われ、日本の映画興行史上の大記録を打ち立てた。同記録は、44年後の2001年、『千と千尋の神隠し』の2300万人に 1位の座を明け渡した・・
日本語版のまま封切られた台湾でも、同地で公開された日本映画史上最大の観客動員数を記録・・・

まだまだ敗戦の哀しみを引きずっていた時代である。観客は、総天然色・シネスコ大画面いっぱいに映し出された、子供の頃教科書や絵本で見た日露戦争の大パノラマに涙すると同時に、世界の大国に勝利した日本人の誇りと自信を取り戻していった。

映画に、アラカン演じる明治天皇が登場すると思わず手を合わせる人も多かったという。その結果、姉妹篇である『天皇・皇后と日清戦争』(新東宝、1958年)や『明治大帝と乃木将軍』(新東宝、1959年)のほか、事実上その総集編である『明治大帝御一代記』(大蔵映画、1964年)まで作られた。嵐寛寿郎は、『日本ロマンス旅行』(新東宝、1959年)で仁徳天皇を、『皇室と戦争とわが民族』(新東宝、1960年)で神武天皇を演じている


映画『明治天皇と日露大戦争』(1957) ハイライト
監督:渡辺邦男  出演:嵐寛寿郎、阿部九洲男、高田稔、他

役者たちの素晴らしさはもとより、旭日旗、日章旗、美しくなびく数々の日の丸が美しい・・・ 荘厳な「君が代」に続いて登場する明治天皇、感動ものです。
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(2012.1.3)
新年早々、遅ればせながらですが、花うさぎ様への哀悼の意を表すとともに、唯一、師のコメントが残るこのエントリーを上げさせていただきます。お祈り申し上げます。
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(2014.9.17)
『明治天皇と日露大戦争』の大ヒットを受けて、続いて製作された、同じく嵐寛寿郎が明治天皇を演じる映画『天皇・皇后と日清戦争』の全編が何とアップされてるようです。私なんか、ここの『明治天皇と日露大戦争』の抜粋映像さえYouTubeで削除されたのに……

映画『天皇・皇后と日清戦争』 (1958)
翌1959年の『明治大帝と乃木将軍』と併せて、新東宝の明治天皇三部作とされます(詳しくは右画像クリック)。ただ、『明治天皇と日露大戦争』 に比べると他の二作はちょっと落ちますが……
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◆大日本帝国の唱歌を歌い継ごう! ② ~11月3日は明治節。明治天皇の遺徳を子供たちと共に祝おう!~『明治節』を9歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました!

◆日本神話が題材のスペクタクル巨編 映画 『 日本誕生 』について

◆子供向け 安心できる特撮ドラマ おすすめセレクション

◆『 ぞうのババール 』 ~ 王様の権威と必要性を理解させる児童向け作品

◆見ておきたい戦争映画の名作

◆失われた日本人の精神性と天皇の祈り① ~ 信仰とは信条を持つこと。神を信じる否かは関係ない ~ 母と子が父の無事を祈る『里の秋』

◆プリキュア洗脳されたパッパラパー母娘たち ~ こんなのが今の女性の目標!?

◆戦争を煽って日本を破滅に追いやった朝日新聞 ~戦後は日本弱体化扇動の急先鋒

◆階級社会なくして日本は存立し得ない ~ 古来から存在した皇室

◆反日左翼 民主党共産政権なら2千万人虐殺! ~ 天皇処刑!

◆現代は中世ヨーロッパ暗黒時代にも匹敵する文化不毛カルトの時代② ~ アラビアンナイトに見る豊かな心を持った自由な奴隷

◆敗者の名誉を重んじた日本人 ~ 日本で切腹が存在した意味

◆父子のパッパラパー化を狙った“イクメン”なんて目指すな ~ 往年の父子が描かれた『逝きし世の面影』と『子連れ狼』より
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真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ④
第二十五 北畠親房と楠木正行

(2017.3.29)  北畠親房の『神皇正統記』(詳しくは右画像クリック)は世界に名だたる名著であり、ドイツの學者 ハウスホーファーはダンテの『神曲』と並ぶ東西の偉大な書物と評してます。
尚、楠公夫人が正行をさとしたエピソードは有名で、楠木正成の首が足利尊氏から送られてきて、ショックを受けた子の正行が父の後を追って自決しようとしていたところ、お母様の楠公夫人に、今、死するのでなく、父への忠義をまっとうするよう戒められた場面になります。

【「尋常小学 国史より」シリーズ 目次はコチラ】

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尋常小学国史 第二十五 北畠親房と楠木正行

北畠顕家が戦死した
新田義貞が戦死する少し前に、北畠顕家(きたばたけあきいえ)もまた戦死した。さきに、顕家は、尊氏を九州に走らせてから後、ふたたび義良(のりよし)親王をいただいて陸奥に下り、霊山城(りょうぜんじょう)にたてこもっていたが、天皇が吉野に行幸をなさったことを知ると、また親王をいただいて京都へ向かい、所々で戦って敵を破った。けれども、その兵は、たびたびの戦にたいへん疲れて、都に攻め入ることが出来ず、顕家は和泉(いづみ)の石津(いしづ)で戦死したのである。時に、年ようやく二十一であった。
親房らが海路で東国へ向かった
こういうように、顕家や義貞らの忠臣がつぎつぎに戦死したが、後醍醐天皇は、御志いよいよ堅く、顕家の父 親房(ちかふさ)らにいいつけて、また義良親王をいただいて陸奥に下らせ、官軍の勢を取り戻させようとおはかりになった。親房らは、伊勢から海路で東へ向ったが、途中で大風にあい、親房の船は常陸に着き、親王の御船は伊勢に吹き戻されたので、親王はそのまま吉野へお帰りになった。
後醍醐天皇がおかくれになった
たまたま、天皇は御病におかかりになった。この時、まだ国々に朝敵がはびこって、世の中が騒がしいので、これをたいそう残念にお思いになりながら、とうとう行宮でおかくれになった。そこで、義良親王が御位をおうけつぎになった。第97代 後村上天皇と申し上げる。
親房が神皇正統記をあらわした
その頃、東国の武士はたいてい賊に味方していたので、親房は陸奥に進むことが出来ず、常陸の関城(せきじょう)で賊兵に囲まれた。親房は、昼夜 賊を討つ謀をめぐらしながら、そのひまひまに、神皇正統記(じんのうしょうとうき)をあらわし、「天照大神から後村上天皇に至るまでの御血統の由来を述べて、君臣の大義を明らかにした。そのうち、まもなく城も落ち着いたので、親房はのがれて吉野に帰り、これから楠木正行らと力を合わせて、ともどもに天皇をお助け申し上げた。
楠木正行が四條畷(しじょうなわて)で戦死した
正行(まさつら)は、さきに十一歳の時、桜井の駅で父に別れ、国に帰ってからは、よく父の遺言を守って、つねづね朝敵を滅ぼそうと心がけて、一生懸命に励んだ。ようやく成人してから後村上天皇にお仕えして、たびたび賊軍と戦って、これをうち破った。取分け、摂津の瓜生野(うりゅうの)の戦では、賊兵が大いに敗れ、先を争って逃げる時、あわてて川に落ちて流れるものが五百人余りもあった。正行は、これを見てたいへん気の毒に思い、部下の者にいいつけて、これを救わせ、一々親切にいたわって送りかえした。こういう有様で、官軍の勢はますます強くなって、今にも京都へ迫ろうとした。尊氏は大いに恐れ、高師直(こうのもろなお)にいいつけて、急ぎ大兵を率いて正行に当らせた。そこで、正行は、ただちに一族 百四十人ばかりを連れて、吉野にまいって天皇に拝謁し、また後醍醐天皇の御陵に参拝して御暇乞(いとまごい)を申し、如意輪堂(にょいりんどう)の壁板に一族の名を書きつらねて、その末に、

かへらじと かねて思へば梓弓、なき数にいる 名をぞとどむる。

という歌をしるし、死を決して河内に帰り、賊軍と大いに四條畷で戦った。この時、正行はどうかして師直を討ち取ろうと考え、たびたびその陣に迫ったが、身に多くの矢きずを受け、力もつきはてたので、とうとう弟の正時と刺しちがえて死んだ。時に、正行は年ようやく二十三であった。
正行の忠孝両全(両全とは、君主への忠義と両親への孝行をどちらも果たすこと)
前年、正行に救われた賊兵は、深くその恩に感じ、正行に従ってこの戦でことごとく討死した。実に正行のような人こそ、勇も仁もある立派な武士で、忠孝の道を全うした人といわねばならぬ。こうして、楠木氏は正行の死んだ後も、その一族は、皆、真心こめて長い間、朝廷の御ためにはたらいた。今は、四條畷神社に正行をまつってある。

親房がなくなった
この後は、親房がひとり官軍の中心となって、大いに忠義を尽くしたが、まもなく病にかかってなくなったので、これから官軍の勢はいよいよ衰えるようになった。摂津の安倍野神社や岩代の霊山神社に、親房父子をまつってある。
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(戻る)◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ③ 第二十四 新田義貞

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ② 第二十三 楠木正成

◆忠臣の象徴 楠木正成公を称える唱歌『青葉茂れる桜井の』(櫻井の訣別)を10歳の子供にピアノ弾き語りで歌ってもらいました!

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ① 第二十二 後醍醐天皇

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ⑥ 第二十七 足利氏の僣上

◆真実の日本の歴史 ~ 戦前教科書 尋常小学 国史より ⑦ 第二十八 足利氏の衰微

◆昨年の国内旅行から ~ 奈良、京都、宮島、姫路、萩……

◆本物の“大和撫子”入門 ③ ~ 我の否定、徹底した自己犠牲精神 新渡戸稲造『武士道』より

◆日本女性の魅力を引き出す、着物での美しい所作、歩き方 ~ 映画『忠臣蔵』より

◆日本が好きな親なら子供には教育勅語! ~ 小学生以上なら暗唱できるよう覚えさせてみませんか?

◆霞ヶ浦 特攻隊のふるさと 土浦(阿見) 予科練跡巡り
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朝日新聞の売国職員の処刑にはどれがいい?
済州島での従軍慰安婦強制連行はなかったと、ついに認めた朝日新聞。国民への裏切り、売国行為で、国と日本人への計り知れない損失を与え続けた朝日新聞の売国職員の処刑方法はどれがいいですか? (参考) 日本の面影 » 朝…





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