やっと始まった衆院予算委員会で、またもや安倍晋三が自席から野党議員を指さしながらヤジを飛ばして紛糾し、審議が一時中断するハプニングが起こった。6日に問題になって謝罪したと思ったら、8日にもまたやった。国権の最高機関であるとか、憲政とはいったい何か? 等等を真面目に考えるのもバカらしくなるほど、この7年で国会審議は幼稚さと低俗の度を深めたものである。現役の総理大臣が気に入らない質問をされたり痛いことを指摘されると、挙動不審になりながらムキになって相手を指さしてヤジを飛ばしている光景など、安倍晋三以前には見たことも聞いたこともない。しかし、それが既に慣れっこになってしまい、「痛いとこ突かれると、いつもキョド(挙動不審)ってるよね」などと思ってしまうのである。アワアワと何をいっているのかわからないその後の答弁も含めて、「すっごく動揺してるよね」などと思ってしまうのである。あるいは、「日教組!」「共産党!」などと叫ぶことによって、なにかしら相手をおとしめている心象になる知性の持ち主なのだろう。
モリカケは忘れ去りたい疑惑のようだが、やましいことがないのであれば、まず落ち着いて事訳をつまびらかに真摯かつ丁寧に説明し、真実を明らかにすることによって疑惑を払拭するほかない。ところが「丁寧に説明する」というだけでなにも丁寧に説明せずに逃げ回ったり、黒塗りの文書ばかり出てきたり、真相解明にさいして財務省職員が自殺したり、首相をかばった財務省の某局長は出世したり、「ちょっと待て」と思うようなことの連続だ。こうしてなにもかもが未解明なまま、闇に葬ろうとする力だけが働き、世間が飽きて忘れてくれるのを待っているかのような雰囲気すら漂っている。「まだモリカケを問題にするのか?」と--。しまりもなく、ケジメのない政治である。
それこそ世間はモリカケについて、首相が発した野党議員へのヤジをひっくり返して「あなた(安倍晋三や昭恵)がつくったんじゃないんですか?」を問題にしてきた。森友学園の国有地払い下げ問題に関しては、先日5600枚以上にも及ぶ公文書が出てきたものの、ほぼ黒塗りの状態だったという。「ほぼ黒塗り」だったことが物語っているのは、見られては困る文言だらけで、消しているうちに真っ黒になった。つまり、それだけ本件は「真っ黒である」と自己暴露しているようなものである。問題がないのであれば、真っ白な状態にして、世間に納得してもらうことが近道なのに、ますます真っ黒感を出してくるあたりに、やはり「真っ白ではないんだね」と重ね重ね思ってしまうのである。
逃げ回り、誤魔化し続ける態度から、私たちはいつも黒黒としたオトモダチの私物化を思ってしまう。だって、白い文書も白を証明する説明も何もなく、自殺とか黒の文書とか、「男たちの悪巧み」の写真とか、首相夫人付きの谷査恵子さんの大活躍とか、黒ばかりを思わせるのだから。そしてなにより、首相本人が丁寧な説明をするどころか、ヤジを飛ばしているあたりに人間性であったり不誠実な態度があらわれているのである。 吉田充春