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【国際】「勝利」の民主主義、危機 ベルリンの壁崩壊30年◆元仏外相に聞くベルリンの壁が崩壊した当時、フランスのミッテラン大統領の側近で、後に外相も務めたユベール・ベドリヌ氏に、壁崩壊と冷戦終結が現代史にもたらした意義などを聞いた。 -民主主義と自由経済の勝利が吹聴された。 「西側諸国は自分たちが勝ったと思った。だがロシア人は敗北とは考えなかった。負けたのは共産主義体制であり、ロシアではないと。この解釈の違いが、後に重大な帰結をもたらしたと思う。極めて国家主義的な形で復活したロシアによる(二〇一四年の)クリミア併合とウクライナ紛争だ」 -壁崩壊直後は(一党独裁の)中国の民主化も期待された。 「あまりに無邪気であり幻想だった。中国は現在、極めて複雑な問題を提起している。中南米でもアフリカでも『中国の(権威主義的)システムは、より良く機能する』との考えが広がっている。これは理念上の脅威だ。日本や欧米の民主主義も効率性を示す必要があるということだ」 -この三十年の欧州統合の歩みを振り返ると。 「(ユーロ誕生など)歴史的成果もあったが、さらなる統合深化はないとみている。一方で欧州連合(EU)の解体もない。人々はユーロを守りたいと思っている。つまりは安定化だ」 「英国のEU離脱はポピュリズムの奔流を示した。ただ離脱後の英国が大変な危機に見舞われたとしても、他のEU諸国は英国を反面教師に、エリート層と大衆層の歩み寄りを再構築する契機にすべきだ」 -冷戦後、唯一の超大国だった米国は今、相対的地位が低下している。 「想像を絶する大統領がおり混乱状態にあるが、弱体化はしていない。軍事機構は依然巨大であり、経済のグローバル化に伴い、どんな相手にも制裁を科すことができる。その力は二十年前よりも大きい。各国に民主主義を押し付けるため出向くことをやめたが、これは孤立主義ではない。エゴイズムであり、単独行動主義だ」 -壁崩壊当時、各国で歓迎された民主主義が今変調を来している。 「確かに民主主義は、あらゆる国で危機に陥っている。大衆層や中間層が不満を募らせ、反発を示している。彼らはもはやグローバル化を信用していない。日本も欧米諸国も、なぜこうなったか自問する必要がある」 (共同) <HUBERT・VEDRINE> 1947年フランス中部クルーズ県生まれ。ミッテラン政権の88~91年大統領府報道官、91~95年同事務局長、97~2002年外相。 ◆「自由と寛容 確認したい」市民の思い交錯【ベルリン=共同】ベルリンでは、よみがえる当時の興奮の記憶と、東西の経済格差が残る現状への失望の思いが交錯する。三十年前に生まれたドイツ人の若者は「自由と寛容の精神を見詰め直したい」と思いを込めた。 東西の分断と統一の象徴であるベルリン中心部のブランデンブルク門。吐く息は白く、朝から小雨交じり。壁崩壊の約一カ月前に生まれたエンジニア、アレクサンダー・ルピパーさん(30)は西部エッセンから訪れた。「私にとって壁の崩壊は歴史の中の出来事だが、ここに来れば自由を勝ち取った経験を追想できる」。欧州ではポピュリスト勢力が台頭するが「欧州市民として自由と寛容を改めて確認したい」と語った。 夜に大規模な記念コンサートが行われるブランデンブルク門の一帯は警察による厳戒態勢が敷かれ、門を間近で見られず、残念そうな表情の観光客もいた。 歴史的な日の雰囲気を味わいに来たスザンネ・ツァンダーさん(53)は「とても興奮している。あの日のことを昨日のように思い出す」と感慨深げ。夫のミヒャエルさん(66)は「東西の経済格差が依然あり、複雑な思いだ」と語った。 壁の一部が残されている市内のベルナウアー通りでは、メルケル首相が献花。「メルケルは去れ」と連呼する声も上がり、一体となれないドイツの現状をうかがわせた。 多くの市民が、壁を越えて東ベルリンから西に逃れようとして亡くなった人々を追悼するため、献花したりキャンドルをともしたりした。 PR情報
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