ノンフィクション本として異例の10万部を刊行しているブレイディさんの本。
イギリスを舞台に描かれる差別や貧困などの分断は、日本社会にも通じるものがあると多くの読者をひきつけています。
三省堂書店文芸書担当 早野佳純さん
「出版された時には30~40代の女性が多かったんですけれど、今はどんどん世代が広がっているなという印象がありまして、男性の方ですとか、高齢の方にも手に取っていただいています。」
本の主人公は、ブレイディさんとアイルランド人の夫との間に生まれた中学生の息子。
地元の中学校に通う息子が、人種差別や、貧富の差からくるいじめなどに巻き込まれながら、悩み、成長していく姿が描かれています。
本では、家庭が貧しく、すり切れた制服を着ている友人・ティムに、新しい制服をあげようと考える場面が描かれています。
どう渡せばティムを傷つけないか、息子さんは悩んだ末にある言葉を掛けます。
息子
「ティム、これ持って帰る?」
ティム
「何、これ?」
息子
「母ちゃんが繕ったやつ。
ちょうど僕たちのサイズがあったからくすねちゃったんだけど。
ティムもいる?」
ティムはじっと息子の顔を見ていた。
ティム
「持って帰って、いいの?」
息子
「もちろん。」
ティム
「でも、どうして僕にくれるの?」
息子
「友だちだから。
君はぼくの友だちだからだよ。」
「貧しい友人を助ける理由が『だって君は僕の友達だから』、なかなか言えないですよね。」
ブレイディみかこさん
「それはあなたが貧しいからよとは、そういうことをにおわせられないじゃないですか。
それもあるし、私がほかに考えていたのは、制服を買えない子とか、短くなったセーターを着ている子がたくさんいるのに、どうしてこの子にだけ、あげようとしているのかなと。
たまたま自分の息子の友達だからといって、これはフェアじゃないというか。
身内主義じゃないけど、いけないんじゃないかとか、いろんなことを考えて、(制服を)渡さないほうが、結局いいんじゃないかとか、そういうこともよぎったりするのに、息子が、スッて取って『君は僕の友だちだからだよ』って、でもそれって大事ですよね。
大人は本当にいろんなことを考えすぎていて、一番の基本の部分を忘れているんですよ。」
多様化が進むイギリスで、ブレイディさんの息子は「エンパシー」という言葉を学校で教わります。
エンパシーとは、共感や同情などを示すシンパシーではなく、他人の感情を想像し、分かち合う能力のこと。
いま、この言葉が多くの読者の反響を呼んでいます。
都内に住む30代の女性です。
本の中で、「エンパシーとは何か?」と問われた息子さんが出した答えに、ハッとさせられたと言います。
その答えは「誰かの靴を履いてみること」。
相手の立場に立ってものごとを考える大切さを言い表しました。
本を読んだ女性
「答えが分からない、どう考えていいか分からないようなことがたくさん続いていて。
例えば周りの環境だったり、SNS上で見る発言だったり、差別的なことだったり政治のことだったり。
『誰かの靴を履いてみること』っていうのがすごく大事なことなんじゃないかなって思って。」
「誰かの靴を履いてみるということ、つまり違う立場や考え方の人の考えを想像することってなかなかできないからこそ、衝突や分断が起きますよね?」
ブレイディみかこさん
「履きたくない臭い靴とかもあるじゃないですか。
絶対嫌な靴とかもあるから。
でもそれでも、履いて歩くことまでは、しなくていいけど、とりあえず履いて、どうなんだろうなと想像してみるのは、ひと頑張りがいりますよね。
結局、この人はこうだから、ああだからこういう考え方だからと、どんどん切っていったら誰もいなくなるじゃないですか。
今、世の中、シンパシーは、みんな“いいねボタン”を押しているけど、自分が好きなものとか、自分が共鳴できるものには。
エンパシーというのがいまいち、想像力を働かせることをやめているんじゃないかな。
子どもたちを見ているとできているわけだから、私たちにできないはずはないので、自分で経験しながら迷いながら学んでいくことじゃないですか。」