法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

美しい駐屯地の娘

コピペ内容をそのまま事実と受け取っているわけでもないのに、コピペで描かれた出来事を前提に「証明」されても困る。ちくいち反論していっても無駄そうなので、二つだけ。
女の戯言なんぞに混乱して「絶望」などするのは単なるバカであるwwww - 消毒しましょ!

実態はどうあれ救われたと感じる個人がいて、救いと無関係な論点において擁護する感情が発露された時、どのように応答することが正しいだろうか。

「救いと無関係な論点」と言うからには、当然それは自衛隊違憲とする方の「論点」だろう。従って「感情」を「発露」していたのは当の「市民団体」ということになるが、

ならない。

事の要諦は「美しい少女の涙」なんかに「撤退」してしまう情けなさにある。そんなものは単なる「感情」論に過ぎず、仮にむせえネトウヨのオヤジが「災害救助に貢献した自衛隊」を持ち出したのであれば、そんなものに心動かされることはなかったろう。それがこのテキスト(件のコピペ)が含有する問題点である。

仮に「むせえネトウヨのオヤジ」が当事者として涙を流してうったえれば、その感情は少なくとも「少女」と同じようにくみとるべきではないか*1、というような話をしたのだ*2
AntiSeptic氏は「徹底的に排除すべきに決まっとるwww」というが、「少女」も「オヤジ」も区別せず徹底的に排除するなら、それはそれで一貫性があるだろう。

*1:http://togetter.com/li/46479にあるように、「ネトウヨ」に応対する者は主張の妥当性とは切り分けて「ちゃんと信じてた」りするものなのだ。

*2:もちろん、それ以外の話もしているが。

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  • id:BigHopeClasic

    >仮に「むせえネトウヨのオヤジ」が当事者として涙を流してうったえれば、その感情は少なくとも「少女」と同じようにくみとるべき

    でもそれってブーメランになりかねませんか?

    実際問題、「それはそれ、これはこれ」をちゃんと使えるほっけさんが、

    >救われた個々人に肯定の感情を生みうる

    ことは誰もが同意する事実だとしても、そこは「違憲違法の組織に救われた生きる価値のない生」として少女の生を否定することが「正しい応答」なのではないのでしょうか。

    自分にもし、北朝鮮拉致被害者の家族会に「あなたの家族は死んだと告げるのが国益に叶う」と言い切る覚悟があるなら、そこはやはり違憲違法の軍隊にまつわる一切を否定し去る覚悟も決めます。

  • id:hokke-ookami

    >でもそれってブーメランになりかねませんか?

    はい、いわゆるブーメランです。
    もともと良作と思った作品でも、被害者を美化したり聖性を求めるような作家の手つきに、違和感を持つことがあります。

    http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080325/1206485918
    >恋愛描写で精神病者に聖性を求めるかのような展開があったり、モデルとおぼしき現実の事件との区切りが弱かったり、感動できる物語性が現実との距離を美化で失いかねなかったりと、疑問点もないではない。
    http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100402/1270161435
    >ただし、たとえば戦争の被害を表現する時、少女のいたいけさに仮託するなどということは真面目なドキュメンタリーやノンフィクションでも少なくないですよね。どちらかといえば、この映画だけの問題ではなく、表現物につきまとう一般的な問題だと私は思います。

    むしろ私自身も享受している作品に対しての問題意識が先行して存在し、今回のコピペにも同様の問題を見いだした、という順序なのです。少し前から使っている“自らに突き刺さらんがため全力で投げるべきブーメラン”というわけです。

    そして被害者感情をくみとりたいということと、論理で否定するということは少し違います。パターナリズムにならないよう注意する必要もありますが。

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