お嫁に参りました、旦那さま~山鬼と供物の娘~
山鬼とは、背がとんでもなく高く、頭に角を生やし、とんでもなく力持ちの妖だそうだ。
だそうだ、とは、此度の騒動が起こるまでは誰も見たことがなかったからである。
小鬼を殺されたと激怒して村に襲いかかった山鬼に、女はみな隠れ、村の男衆はひたすら地に頭を擦り付けるしかなかったそうだ。
「此度は、男衆がとんだご無礼を致しまして…!
どうしようもない詫びですが、金や銀、作物でお許し願えませんでしょうか…!」
村長の必死の声にも、山鬼は反応しない。
どころか、さらに怒りを乗せ、目を細めるだけだ。
これならば全滅もありうるーと、切羽詰まった村長はこう言った。
「では、女は、女は如何でしょう!
村の外れに、小雪という、十八になる娘がおります!
両親は、非礼を働いた娘でありますれば、どうか、その恨みを八つ裂きにでもして晴らしてくださらぬか!」
酷い話である。
両親の罪を、村の男衆の罪を、何の罪穢れもない娘ひとりに背負わせようというのだ。
しかし…山鬼は、僅かに反応した。
それで良いとは決して言わなかった。
だが、確かに反応したのだと、後に小雪の家を蹴破るようにして訪れた村長は言った。
そうして、白無垢という名の死装束を着せられてー、あとは、承知の通り。
小雪は、その時決意したのだ。
供物とは、言い換えれば山鬼の花嫁である。
貰い手のなかった自分が嫁ぐのだと思えば…そう、喰われこの身が果てるその時まで、誠心誠意お仕えしようと。
笑って、喰らわれてやろうと。
決して村から差し出された哀れな供物ではない。
夫の腕の中…かは分からないが、夫のために果てようと。
「……目は覚めましたか?」
どうやら、長い夢を見ていたらしい。
目を開けようとするも、瞼は重たく開かない。
手足も、鉛のように重い。
それでも、何とかうっすらと目を開ける。
見慣れぬ天井、慣れぬ布団の感覚、匂い。
全てが小雪の知っているものとは遠い。
天井を見遣る小雪を遮るように、ぬうっと顔を出してきたのは、どこの男だろう。
「体はどうです?全く、こんこんと眠り続けるとは、不出来な供物ですね」
寝起きの小雪の頭は、ぼんやりと…しかし確実に単語を拾い、理解していく。
眠り続け……不出来な……供物…。
小雪は、自らの状況がどうなっているか混乱し、大声をあげようとした。
「…ひゅ……ぅ……」
「ああ、喋らないでください。
まだ馴染んでいないのです。まして貴女は人間…治りは遥かに遅い」
漏れ出た掠れた声に、男が眉を寄せる。
理解できないことは多いが…男は、この山を支配する山鬼だろうか?
ならば何故、小雪を喰らわぬのだろう。
今ならなにも抵抗されず、じっくりとこの身を味わえるというのに。
その自身の考えに、じっとりと嫌な汗をかく。
小刻みに震える小雪を見て、男はうっそりと笑った。
「まるで獣を前にした小動物のような…安心なさい、今はまだ、取って喰おうなんざ思いませんよ」
それは私の流儀に反するんですと言った男に、疑問は尽きないが…とりあえずは、今のところ喰らわれることはないらしい。
……それに安心して良いのかは分からないが。
「さて、では体を清めましょうか」
え?
そう思う間もなく、彼女の着物は脱がされていく。
白無垢ではない…これは、男が用意したのだろうか?
いや、そもそも清めるとは一体…!?
頬をほんのり色づかせる小雪を、お湯で絞った布で拭き清めていく。
男は全く小雪の顔も見ず、淡々と拭き清め、新しい着物に取り替えていく。
男の絶妙な力加減に、ほうっと息をつき、心地良さに身を任せ、ついうつらうつらとしてしまうほど。
肩口に触れそうになった時、ふいに男が言った。
「…貴女、獣が怖くなかったのですか」
ぼんやりとした頭で考えるも、思考はまとまらない。
獣…狼のことだろうか。
「彼等が言っていましたよ。
『馬鹿な女子だ。その身を食いちぎってやればよかった』とね」
狼は喋らない…まさか、村の男衆達のことだろうか?
小雪の健を切るだけでは飽き足らず、山鬼に差し出したその身全てを屠ろうとしていたのか。
男は肩口に塗り薬…なのだろうか、独特の臭いがするそれを塗りつけていく。
痛みは感じない…確かに、その身に牙をと深く埋められたいうのに。
まだ毒を受けて、幾許も?経っていないのだろうか。
そうこうしていると、同じように足の腱にも塗り薬が塗り込められていく。
本能的な恐怖からか、震えたが…男は気にした様子もなく、手馴れた様子で終えた。
「さて。食事…と言いたいところですが、今食べても戻してしまうでしょうし。どうしたものか…」
何やら思案する男に、小雪は小さく、本当に小さく首を横に振った。
そこまでしてもらう訳にはいかない。
村では獲物もとれず、田畑を何者かに荒らされ、丸四日、何も食べない時もあったのだ。
どれくらい経っているか分からないし、幸いなことに腹は空いていない。
最も、空腹を感じなくなって久しいが…捧げられなければ、どの道飢えて死んでいた身だ。
男にそこまでしてもらうわけにはいかない。
そんな小雪の思考を読めるはずもないが…小雪の拒否をどう受けとったのか、男は口角を上げた…目は笑っていない。
「いいですか、小雪。人間は食べねば死にます。貴女はどうも、死に急いでいるように見受けられますが…ここに来た以上、否やはありません」
ゆっくりと顔を近づけられ、吐息のかかる距離で囁かれる。
「いまは食事は無理でしょうから…気をあげましょう。
素直に受け取りなさい」
そっと触れた唇に、小雪は羞恥を感じたが、それも一瞬のこと。
流れ込んでくる甘いこれは…“気”というものだろうか?
甘く、あたたかく、心地よいそれに、殆どの思考が持っていかれる。
ただ与えられるままに受け入れれば、ようやく離れた時にはまた、眠ろうと瞳が閉じかかっていた。
「さあ、眠りなさい。回復にはまだまだ時間がかかりますからねー」
その声は、小雪には届いていない。
そしてまた、男が自身の唇を舐め、満足そうな笑みを浮かべていることにも、小雪は気づいていないのだろう。