お嫁に参りました、旦那さま~山鬼と供物の娘~

1.捧げられる

まさか、自分が白無垢を着る日が来るとは思わなかった。

村長(むらおさ)の家、女中達によって身を清められ、白無垢を人形のように着せられる娘ー小雪は、心の中でため息をついた。

村の娘は、みな十六になると同時に村の若い衆同士や、近隣の村に嫁いでいく。

しかし、今年でもう十八にもなる小雪には縁談は一つとして舞い込んではこない。

それはそうだ、幼いうちに両親共に山鬼に喰われ、天涯孤独の身。

いくら名の通りー、雪のように白い肌に、日に透ければ淡く光る亜麻色の髪、心の内を見透かすような大きな瞳に、紅など引かずとも色づく唇ー、ここら一帯いちの器量良しだとしても、禁を破って山犬に喰らわれた両親を持てば、恐れて小雪を嫁になど貰うものか。

いや、一人いた。
小雪を嫁にと望むものが。

村長の次男だ。
いつも小雪を見れば、下卑た笑みを浮かべ、二人きりになろうとする。

ひっそりと村の外れに居を構え、誰の迷惑にもならずに生きてきたというのに…男が構うようになってから、村人達はより一層、小雪を虐げるようになった。

僅かばかりの野菜や魚を分けて貰えなくなり、村に入ろうものなら冷たい目で睨まれる。

それがどれだけ小雪にとって苦痛だったか…今回、あの男から離れられることは不幸中の幸いともいえる。

いや、しかし、そもそも次男と若い衆が山に入り、小鬼の獲物を横取りした挙句、その小鬼を殺めてしまったのが原因で、小雪は捧げられるのだ。

心の内で悪態をつこうと、そのくらいは些細なものだろう。

着付けが終われば、仕上げとばかりに生まれて初めての紅を薄く引かれる。

鏡で確認をする前に、すぐに神輿に乗せられ、村長と重鎮たちを先導に若い衆が担ぎあげる。

神輿の中から外は見えず、どれ程進んだのだろう。

やがて辿り着いた山奥深くのその場所は、特に何も無く。


「夢々、逃げようなどと思うでないぞ。
ここまで養ってやったのだ。
村のために死せることを、せいぜい誇りに思いながら食いちぎられるが良い」


お前の両親のようにと村長が言えば、その場にいる男どもに笑いが広がっていく。

しかし、小雪は何の反応も返さなかった。

怯え、震え、泣き叫べども、目の前の男たちを喜ばせるだけだと分かっているから。

それに、この程度のことはもう慣れている。

今更どうということはない。

しかし、村長達はそんな小雪の反応が面白くなかったのか。


「…フン、つまらんな。
足の腱を切ってしまおうか」


僅かに、小雪の瞳が揺れる。


「それが良かろう、逃げ出されでもしたらかなわん」


「山鬼様も、大人しゅうほうが手間取らずに済むだろうえ」


その僅かばかりの反応も見逃さなかった重鎮達がが愉快そうに目を細め、次々に賛同の意を示す。

それを受けた若い衆が、帯刀している刀を抜き、小雪に突きつける。


「どうしたどうした、逃げぬのか?」


「…逃げたりなど、致しません。
小雪の全てはもう、山鬼様のものです…ッああああ!?」


刹那、小雪の目の前に赤が舞う。


「伊助ッおまえ、何をしておる!」


「腱を切るんだろうが。
何をまどろっこしい真似を。
供物も動かぬ方が、山鬼様も喜ばれるだろうよ」


なあ、と仄暗い笑みを浮かべ、小雪の左足の腱を躊躇いなく切ったのは、村長の次男たる伊助だった。

いくら切ろうかと脅せど、真実そうするつもりはなかった。

小雪の言ったとおり、その身はもう山鬼のもの。

我らが矮小な人間が、供物に傷をつけて寄越したとなれば……伊助以外の全員が青ざめる。

…しかし、ここは山鬼の住まう山の奥深く。


グルルルル……


そこに住まうのは、なにも山鬼だけではない。

小雪の血の匂いを嗅ぎつけたか、声に呼び寄せられたか。

いつの間にやら小雪たちの周りには、取り囲むように狼の群れが取り囲んでいた。


「ひ……っひいいいいいい!!!」


「うわああああ!」


「あ…やめて!」


男どもの成そう所業に気づいた小雪の制止も聞かず、男どもは一頭の子狼を仕留めた隙をついて、一目散に山を駆け下りる。

小雪にはもう、用はないとばかりに。

そして目の前の狼も、数頭は男どもを追っていったが、あとは動けぬ小雪を食らう方が、都合が良いとばかりに、じりじりと距離を詰めてくる。

ああ、自分はここで狼に喰らわれるのだろう。

山鬼だろうが、狼だろうが、その身を食いちぎられることには変わりない。

未だ鋭く痛む足を引き摺りながら、四つ這いで子狼のもとへと急ぐ。

大人の狼が数頭、目と鼻の先で鋭く威嚇する。


「何も、しない…できません。
お願い、そこの子の、矢を抜いて止血を…させて?
貴方たちより、この手の方が向いていますから」


威嚇されど、目の前の狼の目を逸らさない。

どうせ死ぬのならば、村の衆達の罰くらい、自分が受けねばならない。

罪に罪を重ねた村の衆達を許してくれとは、あまりにもおこがましいけれど。

それが、自分がここに来た意味だから。


「手当が、終われば…食べてもらって構いません。
あの矢と違い、あの刀には毒が仕込まれていますから、逃げたりもできません」


あれは、小競り合いに備えて毒を塗ってあるのだ。

村の被害を最小限に抑えられるようにとの毒刀が、元とはいえ仲間に、しかも供物に突きつけようとは。

どのくらい、意図が伝わるだろうか。

小雪は未だ威嚇を続ける狼の横を通り過ぎ、白無垢の裾を切り裂く。


「ごめんなさい…少し、痛みます」


子狼の前足に刺さった矢を引き抜けば、痛みに耐えかねた子狼が、小雪の肩口に噛み付く。

狼も落ち着きなく、今にも飛びかかってそうだ。

子狼は、更に深く牙を沈めていく。

しかして、毒に痛覚をやられ、周りを見る余裕もない小雪は怯むどころか、布を子狼に巻き付けていった。


「よく、頑張りましたね…」


そっと、未だ肩口に噛み付く子狼の頭を撫でてやる。


「良いですよ、山鬼様に捧げられたのです…それは、山に住まう全てのものたちに捧げられたも同然です」


お食べと言えば、何故か子狼の牙が離れていく。

後ずさる子狼に、体重を預けていた小雪は、為す術なくその場に倒れ伏す。

ああ、自分は村の女の中でも肉付きは良くない。

きっと子狼も、こんな自分を食べても腹は膨れないと分かっているのだろう。

どうせなら、生き物の血肉となり、な自然の一部とりたかったものだが…こればかりはどうしようもない。

ああ、お世辞にも良い人生とはいえなかった…。

感覚は既にもうない、あるのは、取り留めのない思考だけ。

それすらも靄がかかったように、遠のいていく。


「…困りますねぇ、勝手に死なれては」


そこに、ふと、凛とし音が響いた。


「……?」


はて、こんな山奥深くに人などいただろうか。

男どもは一目散に逃げていき、後に残ったのは小雪と狼の群れだけ。

仮に人がいたとしても、狼の群れの前に姿など出せまい。

ならばーこれは毒の見せる幻聴か。

目を空ければ、血染めの視界に、一人の男が立っていた。


「なにを勝手に死のうとしているんです。
貴女は私の供物でしょうー小雪」


なぜ、名を。

ああ、だめだ、目が霞む、何も見えない。

それでも理解したー「私の供物」

きっとこの人が、この山の……


ふつりと、小雪の意識はそこで途切れた。


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