寅さん新作盟友に捧ぐ 山田監督会津訪問へ
元参院議員で全国農業共済協会副会長を務めた添田増太郎(そえた・ますたろう)氏は六日午前八時、急性心筋梗塞のため鏡石町北町三三八の自宅で死去した。九十一歳。通夜は九日午後五時から、告別式は十日正午からともに矢吹町井戸尻のひらが斎苑で。喪主は長男幹夫(みきお)氏。
鏡石町出身。岩瀬農高、東京農大通信教育部農業科で学んだ。鏡石町議を経て、一九六八(昭和四十三)年から県議を五期務めた。自民党県連政調会長、同党県連幹事長、県議会議長などの要職を担った。一九八五年の参院補選福島県選挙区で当選し、国政に転身した。一期を務めた間に、竹下内閣時代に法務政務次官を務めた。
一九九一(平成三)年五月、岩瀬地方農業共済組合長に就任した。石川地方農業共済組合との合併後のいわせ石川農業共済組合でも二〇一二年五月まで組合長を務めた。一九九一年六月から二〇〇九年五月まで県農業共済組合連合会長として地域の営農を支えた。一九九九年七月から二〇〇二年六月まで全国農業共済協会副会長を務めた。
県養蚕農業協同組合連合会長、全国養蚕農業協同組合連合会長などを歴任した。二〇〇九年春に旭日中綬章を受章した。