桜田前五輪相が自民党参議院議員のパティーで「結婚しなくていいという女の人が増えている。お子さん、お孫さんには子供を最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」と挨拶の中で発言した。
これを受けて野党の、特に女性議員は差別だなどとして大騒ぎしている。
議員辞職だなどと言う野党議員やコメンテーターもいる始末である。
実際、これは失言なのであろうか。
桜田氏に関しては復興相でありながら、復興より議員の方が大切というリップサービスとしても不適切極まりない発言で更迭された。
この点を考えると注意して発言すべきとは思うが、少子高齢化が加速し年金不足、労働者不足で国民の将来、国の未来は極めて危うい状況である。
多くの日本人がたくさん子供を作ってもらわなければならないことは明白である。
これの何が問題なのか。
確かに結婚しない女性という文言から子供3人に移っているため、女性は結婚し子供を作るべきという旧来の考え方の押し付け、それが女性差別につながるという主張も分からないではない。
しかし女性しか子供を産めないことは紛れもない事実であり、いくら男性の協力があっても出産で大変な思いをするのは女性である。
だからお願いしている。
これの何がいけないのか皆目分からない。
もちろん出産、そして子育てを女性のみに押し付ける男性が未だ多く、それを当然と思っている社会ではある。
そしてその負担軽減を求める活動自体は賛成する。
しかしながら、子供をたくさん作って欲しい、産んで欲しいと希望する発言すらが差別とはいささか過剰すぎやしないか。
女性議員やコメンテーターはすぐに女性は子供を産む道具ではない、女性も結婚しない自由、子供を産まない自由があるというが、前日TVに出ていた田嶋陽子氏に他のゲスト女性が「子どもを作って家庭に入りたいという女性もいるのにそれがいけないのか」と反論すると、一顧だにせず「そんな考えだから女性が差別されるんだ」と憤慨していた。
この田嶋氏の姿勢こそ差別ではないのか。
もちろん人間の生き方は自由であり、結婚も出産も強制されるものではない。
しかし、一方で誰も子供を作らなければ、その民族、いや生物は消滅する。
それでも良いとは誰も思っていないだろう。
繰り返すが、桜田氏は失言で大臣を更迭されているから気を付けるべきではあった。
しかし、この発言を鬼の首を取ったようにわめき立てるしたり顔の議員や評論家の方が、私には到底理解できない。