『藤家寛子の沖縄記』編集途上ですが、あとがきby浅見をプレ公開します。
沖縄への出張のことを書いて、となぜ私が言ったか。
「だんだん治る、どんどん治る」ってどういうことか、知っていただきたいです。
このあとがきを藤家さんに送り、もらったメールのお返事も公開します。
「自閉症でなくなったらうちの子でなくなってしまう」とかおバカなこと言っている人、本人はこういう気持ちですよ~。おたくのお子さんも、こう思っているかもしれませんよ~。
この本編集している途上に先日テレビでバブル期のジュエリーのことやっていて思い出したんですけど、あの頃私は遊びまくっていた上に週に何度かドイツ語習いに行って朝になるとしれっと会社行って仕事していました。まさに24時間楽しんでいた。でも、あのイケイケの時代でも、それができない人っていましたね。つまり、遊びと仕事+自己研鑽を両立する体力がない人たち。
不便そうだなあと思いましたね。
私と藤家さんが前回沖縄に呼んでいただいたのは2010年。そのころでも赤本の頃に比べると治っていたんです。何しろ一人で飛んでこられたのだから(赤本の頃は支援者がついていないと旅ができませんでした)。あのころも私は、これでめでたしめでたしと思っていました。何度も言いますが、あのまま藤家さんが65歳まで福祉就労していても私は満足していたでしょう。それくらい、以前の藤家さんは弱かったから。
福祉就労じゃなくて本物の就労をしたい、と望んだのは周りではありません。藤家さんご自身です。
そして2011年に就労し、2018年の旅ではさらなる発達を見せたのです。
仕事をこなして精一杯という段階から、見知らぬ土地を楽しみ、見知らぬ味を楽しみ、出会いを楽しめる人になっていた。若き日の私のように。
まさに「だんだん治る。どんどん治る」。
治るとは動的なプロセスです。
それじゃあいやだ。明日にでもきっぱりと健常児にならないと治ったことにはならない。だって誰かケチつける人がいるもん。だから「うちの子健常児でござい」とどや顔できなければ治ったとは言えない、と治る手段に乗り出さない親たちは子どもが少しでもラクになるより、親が新奇なことに挑戦する勇気を要求されないことの方が大事なのでしょう。あくまでも親の怖がりが正当化されることと親の面子が大事なのでしょう。
それはそれで一つの選択です。
藤家さんが「福祉就労じゃいやだ」と思ったように主体的な選択です。
だからその選択を大事にして、その結果、立派なめんどりになった我が子を支援ギョーカイの人身御供に差し出せばいいだけの話ですね。
さてあとがきと、藤家さんのメールです。
お楽しみくださいませ。
=====
だんだん治る。どんどん治る。 あとがきに代えて 浅見淳子
藤家寛子さんと最初に沖縄に出かけたのは2010年2月です。沖縄に着き、パスタを食べに行き(藤家さんは半分以上残していました)、翌日講演をして藤家さんはすぐに佐賀に帰りました。
2004年の11月、後にベストセラーとなる『自閉っ子、こういう風にできてます!』でニキさん、藤家さんと共同作業をしたころに比べると、藤家さんは2010年の時点でも相当「治って」いました。週に五日作業所に通っていましたが、その体力は以前と比べると驚異的でした。佐賀から福岡に出て、福岡から一人で飛行機に乗って那覇までやってきて、講演をこなして、次の日に帰れるのが治った何よりの証拠。私はめでたしめでたしと思っていました。
ところがその翌年、2011年に最初の企業就労を果たした藤家さん。さらに快進撃は続き、2018年暮れの現在、職場では有資格者としてリーダーシップも発揮しているようです。治ったというのは静的な状態像ではなく動的なプロセスであり、まさに「だんだん治る。どんどん治る」んだなあと藤家さんを見ていて思います。
そして2018年5月、またもや二人で沖縄に行くことになりました。その数日前から、沖縄が梅雨入りするかどうかを藤家さんは異様に気にしていました。いったいなぜなのか、私にはわかりませんでした。梅雨は毎年日本列島に来ます。だいたい沖縄や奄美が出発点になります。そして梅雨であろうとなかろうと沖縄はつねに湿気があり温暖な地。かつてのひ弱だった藤家さんなら耐えられなかったでしょうが、今は大丈夫なはず。なのになぜ「梅雨入りするかどうか」のボーダーラインにこれほどこだわるのだろう。この辺は治っても自閉脳だなあ、と思っていました。そしてこの文章を読んで初めて、なんでそれほど梅雨入りするかどうかにこだわったのかやっとわかりました。
那覇空港からまっすぐ焼き物の街に向かい妹さんとお母さんへのお土産を自分で稼いだお金で買った藤家さん。白湯しか飲めなかったのに「サロンパスの味がする飲み物」に挑戦したいと自分から言った藤家さん。雨が降ってきても痛くない藤家さん。やっと見つけた夕食の店でカラオケが鳴っていても平気な藤家さん。その後思いがけない展開になり注文したものと違うものが出てきても平気な藤家さん。かつてはレタスの湯がいたのしか食べられなかったのに、豚の足も耳も食べてみた藤家さん。
同じ沖縄の体験でも、感覚過敏や極端な怖がりなどが治ったらこれほどビビッドに人生を謳歌できるのがよくわかります。
我が子に発達上の特性があり、治っている人がいる。治す手段があるらしい。そのときに「治ったら我が子ではないのではないか」などと悩む人もいるらしいですが、藤家さんの二回の旅を比べてください。
講演の仕事をもらって、不安に思いながら出かけ、現地を楽しむ余裕もなくなんとかこなす人。一方で講演で出かけた目新しい地で地元にはない楽しみをたくさんみつけ、自分の稼いだお金で家族にお土産を買い、大きな実りを得て、大事な思い出を持って帰る人。
自分なら、どっちがいいか。
我が子にどっちの道を歩んでほしいか。
一人一人が自分の頭で考えてみましょう。
=====
あとがき、ありがとうございます!
そうでしたね。
私、沖縄1回目のパスタは、結構残したんですよね。
あの頃は、ずいぶん健康になってましたが、自分ではあまり余裕はなく、体力ギリギリで旅を終えました。
でも、今回はとにかく楽しむ余裕があって、本当に、心から旅を満喫しました。
仕事と遊びの両立ができるのも、治った証拠ですね。
とにかく楽しい。
その一言に尽きます。
治ったら我が子ではない、なんて考えは、その人自身が健康ではないから浮かんでくるのだと思いますね。
というか、あまり意味がわかりません。
治ったら我が子ではないのではないか。
いや、あんたの子ですけど、って言っちゃいますね、私。
産んだの忘れたの?と真顔で聞きそうです。
どんな気持ちが渦巻いてそういう発言になるのか理解できません。
私は治ったから、すべての母さんたちへ、が書けた。
あの朗読で涙してくれる方は、我が子にもそう感じて欲しい、と思っているから泣くのですよね?
じゃあ、治らなきゃ。
治してあげなきゃ。
治っても、治らなくても、子供を愛するのに、条件つけてはダメだと思います。
私は、治った立場から、治ったらこんなにいいことたくさんあるよ、ってことを伝えられたらいいな、と思いました。
藤家寛子
沖縄への出張のことを書いて、となぜ私が言ったか。
「だんだん治る、どんどん治る」ってどういうことか、知っていただきたいです。
このあとがきを藤家さんに送り、もらったメールのお返事も公開します。
「自閉症でなくなったらうちの子でなくなってしまう」とかおバカなこと言っている人、本人はこういう気持ちですよ~。おたくのお子さんも、こう思っているかもしれませんよ~。
この本編集している途上に先日テレビでバブル期のジュエリーのことやっていて思い出したんですけど、あの頃私は遊びまくっていた上に週に何度かドイツ語習いに行って朝になるとしれっと会社行って仕事していました。まさに24時間楽しんでいた。でも、あのイケイケの時代でも、それができない人っていましたね。つまり、遊びと仕事+自己研鑽を両立する体力がない人たち。
不便そうだなあと思いましたね。
私と藤家さんが前回沖縄に呼んでいただいたのは2010年。そのころでも赤本の頃に比べると治っていたんです。何しろ一人で飛んでこられたのだから(赤本の頃は支援者がついていないと旅ができませんでした)。あのころも私は、これでめでたしめでたしと思っていました。何度も言いますが、あのまま藤家さんが65歳まで福祉就労していても私は満足していたでしょう。それくらい、以前の藤家さんは弱かったから。
福祉就労じゃなくて本物の就労をしたい、と望んだのは周りではありません。藤家さんご自身です。
そして2011年に就労し、2018年の旅ではさらなる発達を見せたのです。
仕事をこなして精一杯という段階から、見知らぬ土地を楽しみ、見知らぬ味を楽しみ、出会いを楽しめる人になっていた。若き日の私のように。
まさに「だんだん治る。どんどん治る」。
治るとは動的なプロセスです。
それじゃあいやだ。明日にでもきっぱりと健常児にならないと治ったことにはならない。だって誰かケチつける人がいるもん。だから「うちの子健常児でござい」とどや顔できなければ治ったとは言えない、と治る手段に乗り出さない親たちは子どもが少しでもラクになるより、親が新奇なことに挑戦する勇気を要求されないことの方が大事なのでしょう。あくまでも親の怖がりが正当化されることと親の面子が大事なのでしょう。
それはそれで一つの選択です。
藤家さんが「福祉就労じゃいやだ」と思ったように主体的な選択です。
だからその選択を大事にして、その結果、立派なめんどりになった我が子を支援ギョーカイの人身御供に差し出せばいいだけの話ですね。
さてあとがきと、藤家さんのメールです。
お楽しみくださいませ。
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だんだん治る。どんどん治る。 あとがきに代えて 浅見淳子
藤家寛子さんと最初に沖縄に出かけたのは2010年2月です。沖縄に着き、パスタを食べに行き(藤家さんは半分以上残していました)、翌日講演をして藤家さんはすぐに佐賀に帰りました。
2004年の11月、後にベストセラーとなる『自閉っ子、こういう風にできてます!』でニキさん、藤家さんと共同作業をしたころに比べると、藤家さんは2010年の時点でも相当「治って」いました。週に五日作業所に通っていましたが、その体力は以前と比べると驚異的でした。佐賀から福岡に出て、福岡から一人で飛行機に乗って那覇までやってきて、講演をこなして、次の日に帰れるのが治った何よりの証拠。私はめでたしめでたしと思っていました。
ところがその翌年、2011年に最初の企業就労を果たした藤家さん。さらに快進撃は続き、2018年暮れの現在、職場では有資格者としてリーダーシップも発揮しているようです。治ったというのは静的な状態像ではなく動的なプロセスであり、まさに「だんだん治る。どんどん治る」んだなあと藤家さんを見ていて思います。
そして2018年5月、またもや二人で沖縄に行くことになりました。その数日前から、沖縄が梅雨入りするかどうかを藤家さんは異様に気にしていました。いったいなぜなのか、私にはわかりませんでした。梅雨は毎年日本列島に来ます。だいたい沖縄や奄美が出発点になります。そして梅雨であろうとなかろうと沖縄はつねに湿気があり温暖な地。かつてのひ弱だった藤家さんなら耐えられなかったでしょうが、今は大丈夫なはず。なのになぜ「梅雨入りするかどうか」のボーダーラインにこれほどこだわるのだろう。この辺は治っても自閉脳だなあ、と思っていました。そしてこの文章を読んで初めて、なんでそれほど梅雨入りするかどうかにこだわったのかやっとわかりました。
那覇空港からまっすぐ焼き物の街に向かい妹さんとお母さんへのお土産を自分で稼いだお金で買った藤家さん。白湯しか飲めなかったのに「サロンパスの味がする飲み物」に挑戦したいと自分から言った藤家さん。雨が降ってきても痛くない藤家さん。やっと見つけた夕食の店でカラオケが鳴っていても平気な藤家さん。その後思いがけない展開になり注文したものと違うものが出てきても平気な藤家さん。かつてはレタスの湯がいたのしか食べられなかったのに、豚の足も耳も食べてみた藤家さん。
同じ沖縄の体験でも、感覚過敏や極端な怖がりなどが治ったらこれほどビビッドに人生を謳歌できるのがよくわかります。
我が子に発達上の特性があり、治っている人がいる。治す手段があるらしい。そのときに「治ったら我が子ではないのではないか」などと悩む人もいるらしいですが、藤家さんの二回の旅を比べてください。
講演の仕事をもらって、不安に思いながら出かけ、現地を楽しむ余裕もなくなんとかこなす人。一方で講演で出かけた目新しい地で地元にはない楽しみをたくさんみつけ、自分の稼いだお金で家族にお土産を買い、大きな実りを得て、大事な思い出を持って帰る人。
自分なら、どっちがいいか。
我が子にどっちの道を歩んでほしいか。
一人一人が自分の頭で考えてみましょう。
=====
あとがき、ありがとうございます!
そうでしたね。
私、沖縄1回目のパスタは、結構残したんですよね。
あの頃は、ずいぶん健康になってましたが、自分ではあまり余裕はなく、体力ギリギリで旅を終えました。
でも、今回はとにかく楽しむ余裕があって、本当に、心から旅を満喫しました。
仕事と遊びの両立ができるのも、治った証拠ですね。
とにかく楽しい。
その一言に尽きます。
治ったら我が子ではない、なんて考えは、その人自身が健康ではないから浮かんでくるのだと思いますね。
というか、あまり意味がわかりません。
治ったら我が子ではないのではないか。
いや、あんたの子ですけど、って言っちゃいますね、私。
産んだの忘れたの?と真顔で聞きそうです。
どんな気持ちが渦巻いてそういう発言になるのか理解できません。
私は治ったから、すべての母さんたちへ、が書けた。
あの朗読で涙してくれる方は、我が子にもそう感じて欲しい、と思っているから泣くのですよね?
じゃあ、治らなきゃ。
治してあげなきゃ。
治っても、治らなくても、子供を愛するのに、条件つけてはダメだと思います。
私は、治った立場から、治ったらこんなにいいことたくさんあるよ、ってことを伝えられたらいいな、と思いました。
藤家寛子
世界を過敏に捉え反射的に適応しているレベルの方は、脳の省力化が最優先課題となりますから、動的にものごとを捉えることはできず、我が子ですら静止画でしか捉えられないわけです。
さらに、「どうなるかわからない」状態は「悪い」状態よりもストレスがかかり、特に恐怖麻痺反射レベルの方にとっては期待して待つことは不可能となります。
思考停止の背景には、こうした過敏に基づく脳の空き容量のなさがあると考えています。正解があることは、それが適切かどうかでなく単に楽なこと、なんですよね。
やはり、弛むところから始めて、だんだん、どんどん、ですね。