みるさんが花風社の著者、主として身体アプローチ関連の講座まとめサイトを作ってくれました。
これは便利です。
まとめサイト作ろうと思うんですけど、と言われたので「あったら便利」と答えたら早速。
なるほどTogetterを活用するのですね。
そして私は思い出しました。
第一次猿烏賊騒動のとき、今やNHKできれい事いっぱい言っている吉川徹先生とか今はどっかに消えたベムとかが、せっせせっせと私の(悪い)印象操作に励み、いいようにきりとったツイートをtogetterにしてバラまいていたこと。
とにかく花風社を、浅見を、潰そうと彼らは集団でヒステリーを起こして大騒ぎしたこと。
あれは「集団いじめ」にほかならなかったこと。
今、「治る」を享受している人たち
そして「浅見さんなんであんなにきついんだろ」と思っている人たちに頭の片隅においておいてほしいんです。
あっち側はそれくらい卑劣なやり方をしてきた。そこに負けなかったから今があるんだと。そこに負けなかったから支持してくれた人たちもいて、支持してくれる人の層がある程度あるからこそいいものを持っている無名のおっさんたちの本も赤字を出す心配なく出版でき、それが売れて、治る人が増えて、そして全国的な広がりを見せているんだと。
こういう経緯もあって私は、どれだけ親しくしていても「もっとみんなとうまくやれ」とか「戦うな」という人とはその瞬間につながりを切ります。
神田橋先生くらい洞察力があると、そこがわかっている。
最近14日の読書会のために赤本こと『自閉っ子、こういう風にできてます!』と『10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!』を読み直していて気づいたことがあります。
ニキさんの「遊ぶ金ほしさに働く」という言葉。私はこれはいい言葉だなあ、と思いますし遊ぶ金ほしさに働く人が増えてほしいですが、私自身が働く目的は断じて遊ぶ金ほしさではありません。
そしてニキさんが「遊ぶ時間がなくなるほど仕事したくない」と言っているのも思い出しました。これも私はかなり考えが違います。ニキさんは省エネに熱心ですが私はエネルギーは使えば使うほど沸いてくるものだと体感しています。
私が「治そう」と言い出したのは金のためではありません。
むしろ「治そう」が支持されないのなら撤退していたでしょう。
私が「治そう」と言い始めたのは真剣に共存を考えたからです。
治そうとしないギョーカイが社会的使命を果たしていないと思ったからです。
私は誰かの顔色を伺ってメジャーな方におもねるために意見を変えるような人間ではありません。
そんなことしなくても物心ともに幸せな毎日が送れる絶対的な自信が私にはあるのです。
根拠はとくにないかもしれません。でも私は言うべきことを言っていたら絶対にサバイバルしていける自信がほぼアプリオリにあるのです。
だから金のために意見は変えません。
「正しいことは通る」という信念が私には備わっているのです。だから怖くないのです。
私は遊ぶ金ほしさのために働いてはいません。
でも自分のささやかな遊び欲を満たすお金には生涯困らないという自信があります。
だから自分の正しいと思う本を出して行きます。
あと二冊、の意味を皆さんどこまで把握しているかわかりませんが
あと二冊と限ったのは、あと二冊出したら治ってしまうだけの企画を私は今進行しているからです。
そして私の目的は「ギョーカイを潰す」であったり「支援の断捨離」(@南雲さん)であったりするので、
そして書籍を流通させる機能を持っているのは花風社の財産なので
ギョーカイを潰せるような本が出せるのならこれからも出します。
ありきたりな当事者の自伝には一切興味ありませんが、ギョーカイを弾劾する本なら検討します。
そして皆さんにブログを書いてくれ、と言ったのは、治った人のプロセスを集めて書籍化できたらもっと「治るんだ」ということが広がるからです。希望を広げられるからです。
それと今、アンチが一番力いれているのはネット書店のレビューですから
そんなに毎日ツイッター等で花風社に感謝してくださるのなら本を読んで助かったというその素直な気持ちをレビューにしてほしいです。
それが花風社への応援なのです。
治る人を増やすことなのです。
出版は在庫商売ですから、過去の仕事が未来の収入になります。
私は遊ぶ金ほしさのためではなく、未来にさらなる仕事をするために仕事をするのです。
社会正義を実現するために仕事をするのです。
結果的にそれは遊ぶ金をもたらし、私は南の島に出かけたりします。
なんのためかというと、さらに仕事をするために遊ぶのです。
誰も興味ないかもしれないけど、それが私の仕事観でありお金観です。
これは便利です。
まとめサイト作ろうと思うんですけど、と言われたので「あったら便利」と答えたら早速。
なるほどTogetterを活用するのですね。
そして私は思い出しました。
第一次猿烏賊騒動のとき、今やNHKできれい事いっぱい言っている吉川徹先生とか今はどっかに消えたベムとかが、せっせせっせと私の(悪い)印象操作に励み、いいようにきりとったツイートをtogetterにしてバラまいていたこと。
とにかく花風社を、浅見を、潰そうと彼らは集団でヒステリーを起こして大騒ぎしたこと。
あれは「集団いじめ」にほかならなかったこと。
今、「治る」を享受している人たち
そして「浅見さんなんであんなにきついんだろ」と思っている人たちに頭の片隅においておいてほしいんです。
あっち側はそれくらい卑劣なやり方をしてきた。そこに負けなかったから今があるんだと。そこに負けなかったから支持してくれた人たちもいて、支持してくれる人の層がある程度あるからこそいいものを持っている無名のおっさんたちの本も赤字を出す心配なく出版でき、それが売れて、治る人が増えて、そして全国的な広がりを見せているんだと。
こういう経緯もあって私は、どれだけ親しくしていても「もっとみんなとうまくやれ」とか「戦うな」という人とはその瞬間につながりを切ります。
神田橋先生くらい洞察力があると、そこがわかっている。
最近14日の読書会のために赤本こと『自閉っ子、こういう風にできてます!』と『10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!』を読み直していて気づいたことがあります。
ニキさんの「遊ぶ金ほしさに働く」という言葉。私はこれはいい言葉だなあ、と思いますし遊ぶ金ほしさに働く人が増えてほしいですが、私自身が働く目的は断じて遊ぶ金ほしさではありません。
そしてニキさんが「遊ぶ時間がなくなるほど仕事したくない」と言っているのも思い出しました。これも私はかなり考えが違います。ニキさんは省エネに熱心ですが私はエネルギーは使えば使うほど沸いてくるものだと体感しています。
私が「治そう」と言い出したのは金のためではありません。
むしろ「治そう」が支持されないのなら撤退していたでしょう。
私が「治そう」と言い始めたのは真剣に共存を考えたからです。
治そうとしないギョーカイが社会的使命を果たしていないと思ったからです。
私は誰かの顔色を伺ってメジャーな方におもねるために意見を変えるような人間ではありません。
そんなことしなくても物心ともに幸せな毎日が送れる絶対的な自信が私にはあるのです。
根拠はとくにないかもしれません。でも私は言うべきことを言っていたら絶対にサバイバルしていける自信がほぼアプリオリにあるのです。
だから金のために意見は変えません。
「正しいことは通る」という信念が私には備わっているのです。だから怖くないのです。
私は遊ぶ金ほしさのために働いてはいません。
でも自分のささやかな遊び欲を満たすお金には生涯困らないという自信があります。
だから自分の正しいと思う本を出して行きます。
あと二冊、の意味を皆さんどこまで把握しているかわかりませんが
あと二冊と限ったのは、あと二冊出したら治ってしまうだけの企画を私は今進行しているからです。
そして私の目的は「ギョーカイを潰す」であったり「支援の断捨離」(@南雲さん)であったりするので、
そして書籍を流通させる機能を持っているのは花風社の財産なので
ギョーカイを潰せるような本が出せるのならこれからも出します。
ありきたりな当事者の自伝には一切興味ありませんが、ギョーカイを弾劾する本なら検討します。
そして皆さんにブログを書いてくれ、と言ったのは、治った人のプロセスを集めて書籍化できたらもっと「治るんだ」ということが広がるからです。希望を広げられるからです。
それと今、アンチが一番力いれているのはネット書店のレビューですから
そんなに毎日ツイッター等で花風社に感謝してくださるのなら本を読んで助かったというその素直な気持ちをレビューにしてほしいです。
それが花風社への応援なのです。
治る人を増やすことなのです。
出版は在庫商売ですから、過去の仕事が未来の収入になります。
私は遊ぶ金ほしさのためではなく、未来にさらなる仕事をするために仕事をするのです。
社会正義を実現するために仕事をするのです。
結果的にそれは遊ぶ金をもたらし、私は南の島に出かけたりします。
なんのためかというと、さらに仕事をするために遊ぶのです。
誰も興味ないかもしれないけど、それが私の仕事観でありお金観です。
まず、出会えるかどうかという運みたいなものもあると思います。
教えてくださった方には感謝しています。
浅見社長は丈夫な身体なので、人の心配する前に自分自身の体調を心配しておきます。
浅見さん、いつもありがとうございます!