おととい「発達障害は治りますか?」増刷出来。
の同日「芋づる式に治そう!」の増刷決定。
その他在庫を見ていたら黄色本こと「自閉っ子の心身をラクにしよう!」が連休もつか微妙。
増刷。増刷。増刷。
明らかにペースが速くなっているこの頃の花風社。
これは皆様のご愛顧とアンチの昼夜を問わない熱心な活動のおかげだな、と思ってお礼でも言ってこようかなと思ってながしのところ行ったら・・・
そうかあ。ながしは二ヶ月前に開院したクリニックだか病院だかのたぶん責任ある立場で、そして患者がこなくて、心配で不眠になる日々を送っていたのか。
ヒマで仕方ないから花風社の営業やってたんだな。ご苦労さん。
季節変動なんていうのはきっとどの商売にもあると思う。
一巡二巡したら手の打ち方も見えてくる。
でも今の段階で、ながしは患者がこないのを自分のせいではないかと恐れているんだな。
ちっちゃい。
世の中自分のせいじゃないことなんていっぱいある。たとえば本が売れなかったら客に見る目がないのかもしれないし誰かが妨害しているのかもしれない。でもとりあえず「うまくいってないときは自分のせい。うまくいったときは他人のおかげ」と考えておいた方が結果的に手が打てますね。
ギョーカイの掲げる青いお札。これはそのとおりなんだとしても「あれ、なんか自分が改めるべきところがあるのではないか?」って考えた親御さんの方がお子さんは生きやすいですね。青いお札を掲げてギョーカイ活動したりSNSで傷口をなめ合っていてもお子さんは生きやすくなりません。
そもそもちゅん平さんの名言があるね。
「降りかかってきたことは、たとえ自分のせいじゃなくても、自分で乗り越えなきゃいけない」。
そう、アスペルガーに生まれたのは100パーセントちゅん平さんのせいじゃない。
でも乗り越えるか乗り越えないか決めるのは自分だし、乗り越えることができるのも自分。色々な人に支えながらでも本人が乗り越えなきゃ誰も乗り越えられないの。
このような花風社周辺の仲間を見ていると、ながしのように「患者が来ないのは自分のせいではないと思いたい」ってほんとちっちぇえ。
でもまじめに考えてみると、今後、発達の世界で凡医が生きる道は官しかないのではないかなあ、と思う。
ADHDは栄養療法で相当治っちゃうでしょ。
だから藤川先生を初めとする栄養療法の人たちの本と家庭での取り組みがあれば凡医は不要。
ましてや一応は勉強してから否定するのならともかく、はなっから勉強しようとしない凡医になんて用はない。
そして感覚過敏、びびりや、学習障害的要素、なんかは身体アプローチで相当治っていく。
なんとか治したい人は、医者でもそういうものを一応読んでから是非を決めるわけで、最初からトンデモ扱いしている医者に用はない。
IQは全身の問題だから、IQ高めることを目指さなくても、全身が健康になれば上がっていく。
ところがこの凡医はIQを上げるのはカンタンだけどそれを目指さないとかわけのわからんこと行ってる。
いや目指さなくても上がりますけどね。上がっちゃいますけど。
そして神田橋先生の言葉を借りるならば「知性は一番汎用性の高い能力」だから、そこが上がっていくとQOLと将来の自由な生活に直結するんですよ。上げられるものなら上げといた方がいいし最初からそれを目指さないという医者に誰がかかろうとするのかね。
ともかく今後は
・少数の大先生たちの本(神田橋先生や藤川先生など大御所クラス)
・(全身を知っている)徒手系の人たちの知見(栗本さんとか。何しろNEUROだから。発達障害は頭蓋骨から解放されているから全身の知見を持っている人は役に立つ)
・家庭での取り組み(栄養運動方面のコンディショニング)
があれば凡医はいらなくなる。
凡医不要の時代が来ているのですよ。
治りたい人にとってはね。
治りたくない人にとってはまだ「療育」とか「薬」とか「診断書」とかが大事だから、そういう人には凡医が必要。
でもその凡医は官にいればよくて、民にわざわざ行く人は基本治りたい人じゃないの?
それにしても「発達をみる児童精神科医」というだけで客が来る時代は終わったようですな。
ある意味これは一般書の力だと思う。
論文ガ~の人は取り残されていくかもね。
気持ちは悪いけど、そこで頑張ってる人たちを揶揄するイヤミったらしさがよく効いた表現になっていた。
他人を見下すことが好きで堪らないながし。
その本性が親御さん、子供の前で切り替えられるわけがない。
他人を見下すことを止めない限り閑古鳥は続くだろう。
そしてながしは「ボクちゃんエライ、他人バカ」をいつまでも止めることはできないだろう。