台湾の街を歩けばすぐに話し掛けられる。その人気は侍ジャパンのコーチの中では群を抜いている。
「選手と同じくらいサインをお願いされるんですよね」。照れ笑いで答えたのは、井端弘和内野守備走塁コーチだ。人気の理由はわかっている。2013年3月8日。台湾の野球ファンに井端の名を刻み込んだ日だ。第3回WBCの2次ラウンド・台湾戦(東京ドーム)。1点を追う9回、2死一塁で打席が回ってきた。侍の歴史に輝く「井端の同点打」である。
初球のど真ん中のストレートを、井端は見送った。走者の鳥谷がスタートを切ったからだ。
「そうそう。走ったのが見えたから振るのをやめたんです」。あと1人。自分とは別にドローンからの映像があるかのように、井端は球場を俯瞰(ふかん)していた。走ったことだけでなく「たぶんセーフになる」と見切った上で1ストライクを捨てた。ボールをはさんで3球目を空振り。「あと1球」に追い込まれながら、井端は手応えを感じていた。
「あの3球目、引っ張りにいっちゃったから。あれで思い出せたんですよ。もっと内角に壁をつくらなきゃって」。4球目を冷静に見送って、カウントを整える。運命の5球目。井端は打つ方向だけでなく、落とす位置まで決めていた。
「外野が前進守備だったから、普通にレフトやライトに打ったんじゃ(鳥谷が)かえってこられないなと。少し詰まり気味で、センターの横あたりにと。まあ、集中していたんでしょうね」
起死回生の同点打を、中堅左に落とした。ベストナイン(DH)に選ばれた大会は、準決勝でプエルトリコに敗れ、3連覇を逃した。
「あのときが台湾からプエルトリコで、今回が逆。不思議な感じがしますけど、今のチームの雰囲気は日に日によくなっていますよ」
選手としては果たせなかった世界一の夢を…。コーチになった今も、侍の誇りを胸に宿している。