レア 1
新暦12年。人類は地球の重力という枷から解き放たれる前に、肉体という枷から逃げ出すほうに注力していた。
ヴァーチャル・リアリティ技術の発展。
かつて仮想現実として定義され、その名を今も冠する技術は、今となってはもう一つの現実と言って過言ではない領域にまで進歩していた。
医療をはじめ、娯楽はもちろん、教育分野、各種インフラ事業、製造業、サービス業、土木、建築、不動産、金融…ありとあらゆる分野で活用され、社会に貢献していた。
多くのサラリーマンはVR空間内の社屋へ出社する。そこで事務仕事や会議が行われ、製造業務もVR上から工場のロボットを管理・操作する。
金銭のやり取りもインターネットバンキングや仮想通貨を用いてVRを通じて行い、各種契約時のサインや押印もVRで。融資を受けたその足でVRカジノに直行もできる。
夕飯の買い物だってVR上の巨大マートに行けば、生鮮食品も手にとって確認できる。もちろん最新のフルスキャン技術によって倉庫の中の商品が寸分たがわず再現されている。
購入した商品は即座にラッピングされ、地下輸送網を通じてあなたの自宅に届けられる。1時間もかからない。
マートの倉庫に届く食品は大規模農場で生育されている。VR空間に完全再現された畑の状態を見ながら、農業技術者がロボットに指示を出し、そのとおりにロボットが畑を耕し、水をやり、収穫をする。
スポーツの観戦もVRだ。
スタジアムでプレイする選手たちの一挙手一投足はリアルタイムでスキャニングされ、VR空間で好きな角度から楽しめる。
サポーター仲間たちと盛り上がりたければ専用のルームを作ってそこで観戦することもできる。パブリックスペースに行って見ず知らずの人たちと贔屓のチームについて意気投合するのもいい。
体調が悪ければ、VR診療所に行くといい。あなたの状態は常にVR機器によってスキャンされ、担当医にリアルタイムの状態が届けられる。
対面で診察をうけ、薬が処方されればその日のうちに自宅に届く。
問診で解決しない重篤な症状なら、さすがに医療施設に足を運ぶ必要はある。ただしそこに医者はいない。医療技術者の指示に従って専用ベッドに横たわれば、医療ロボットがあなたを治療する。もちろん、資格を持った医者がVR空間で処置するとおりに。
仮想現実は、もう一つの現実。
VR空間が現実に近づいたという意味ももちろんある。
しかし同時に、現実社会の方がVRに近づいてきたからこそ、言われるようになった言葉だ。
『Boot hour,shoot curse』
そんな現代にまた新たなゲームが発表された。
特に斬新というわけでもなく、オーソドックスなファンタジー系のMMORPGだが、これまで数々のミリオンタイトルを世に出してきたメーカーの新作だ。ファンや業界の期待度は高い。
いくつかのクローズドαテスト、クローズドβテストをこなし、ついに大々的にオープンβテストの告知があった。
今回のオープンβは、最終テストという役割ももちろんあるが、実際にはこれまでのテストでほとんどの問題点やバグは潰してあり、どちらかというとアーリーアクセスの意味合いが強い。本サービスと同じアカウントを要求され、キャラクターデータも本サービスにそのまま移行されることが公表されている。
一応βテストという体をとっているので本サービス開始までは無料だが、突発的なメンテナンスなどもある可能性があるとうたわれている。
オープンβを目前に控えて、広く公開されている情報はゲームの仕様の一部のみだ。
これまでのクローズドテストの際は、テストの内容について口外しないよう契約書が交わされていたし、動画の撮影やスクリーンショットなどもシステムによって制限されていた。
とはいえ人の口には戸は立てられず、ゲームの仕様については匿名SNSなどで嘘か真かわからないような情報が錯綜していた。
いずれにしても、情報の真偽はすぐにはっきりする。
――基本的な仕様はクローズドテストの時と変わっていないみたいだな。
キャラクタークリエイトモードで専用のウィンドウをながめ、表示されているデータから前回のテストを思い出す。
このゲームにはレベルの概念がない。定型的な職業の概念もない。
レベルの概念はないが、経験値は存在しており、取得した経験値を消費してキャラクターのパラメータを強化したり、キャラクターにスキルという特殊能力を覚えさせたりなどして成長していく。
このゲームはそういうシステムだった。
初期のキャラクタークリエイトの時点からこのシステムは導入されており、まずはじめにプレイヤーには経験値100ポイントが与えられる。
選べる種族はヒューマン、エルフ、ドワーフ、獣人、ゴブリン、スケルトン、ホムンクルスの7種類。
選んだ種族によって経験値が消費され、例えばヒューマンならば消費なしだが、エルフならば20ポイントの消費、逆にゴブリンならば120ポイントの還元がある。
パラメータの上昇は1ポイントにつき経験値10、スキルの習得は今習得できるもので言えば消費経験値10から40くらいでばらついている。
ここまではクローズドテストの時と同じだ。それぞれのスキルの習得に必要なコストの差をみる限り、おそらくスキルの仕様も同じだろう。
スキルには取得条件が設定されているものもあったので、今表示されているスキルが全てではないはずだ。
それよりも気になるのは特徴という項目だ。これはクローズドテストの時にはなかった仕様だ。
どうやらキャラクターの先天的な特徴をあらわしているようで、最初に自身をフルスキャンして仮アバターを作成した時点で、すでにひとつ自動で取得されていた。
ヘルプを見ると、先天的な特徴というだけあって、種族と同様基本的にキャラクターのクリエイト時にしかいじれない項目のようだ。これにも経験値が消費・還元されるようで、自動で取得された特徴によって経験値が勝手に減っていた。
その特徴を削除すれば経験値は戻されるようだが、それだけでアバターの容姿がずいぶん変わった。
先天的な特徴:美形
消費経験値 :20
あなたは生まれながらにして美しい。
NPCからの好感度にプラス補正(中)
――いつだったかにVR図書館で見かけた骨董品のゲームブックに、そんなシステムがあった気がする…
経験値20は惜しいが、容姿をあまりいじるのも負けた気がするのでそのままにしておくことにした。
このゲームはレベルアップというタイミングがなく、取得している経験値を消費してキャラクターを強化するというシステム上、その作業自体は基本的にいつでも行えるようになっている。
つまり、このキャラクタークリエイトで与えられた100ポイントという経験値も、別に今ここで使い切らなくてもゲーム開始後にいつでも使えるということだ。すでに100ポイントより減っているが。
種族をエルフに決め、さらに20ポイントの経験値を消費する。
そして特徴で「アルビニズム」を取得した。
先天的な特徴:アルビニズム
消費経験値 :-20
あなたは生まれながら髪が白く、肌が白く、眼が赤い。
長時間陽射しを浴びると軽度の火傷を負う
※火傷…重症度に応じて治癒されるまで継続ダメージ
なるべく容姿を弄らずにポイントをとりもどそうとした結果である。
ゲーム内で夜の間にログイン時間が長くなるよう生活を調整すれば、さほどデメリットはないと判断した。
ゲームの設定上、夜間のほうがフィールドのエネミーは強くなる傾向にあるのはクローズドテストの際にわかってはいたが、主観的な感覚では大した差はなかった。
加えてエルフはもともと色素が薄い種族で、アルビニズムだったところで外見的にはさほど目立つまい、という思惑もあった。
ここまでやるなら、できればエルフの種族選択で引かれた20ポイントも取り返したい。
先天的な特徴:視力が弱い
消費経験値 :-30
あなたは視力が弱い。
遠くに狙いをつけることができない。
中距離の目標に対する命中・精度にマイナス補正(中)
遠距離以上の目標に対して攻撃の対象にできない。
ペナルティが重い。が、中・遠距離攻撃をするつもりがないなら実質デメリットはない。
いずれメガネのようなアイテムを入手するか、魔法的な何かでカバーできれば取り戻せる程度のハンデだ。
そう考えることにして、キャラクタークリエイトを終えた。
キャラクター名は「レア」
こうした文字数の少ない名前が使用できるのも、βテスターやアーリーアクセスの有利な点である。
現在の経験値は110ポイント。
先天的な特徴のおかげで、能力値的に優位な種族にもかかわらずプラス収支でゲームスタートができる。
これは非常に大きなアドバンテージだ。
経験値取得の仕様がクローズドテストと同様であれば、だが。