「はじめの一歩」の難しさ
「作曲できるようになるには、どうすればいいか?」という質問をよくされる。自分のことを思い返してみると、「最初から書いていた」ので、なかなか返答に困るのだが、教えるプロ(レッスン講師)としてはそうも言っていられない。
「とりあえず何でもいいから書いてみてください」というアドバイスは、通用しないことがほとんどだ。そのやり方がわからないからこそ、質問してきているのだから。作曲を学ぶとしたら、「音楽理論を理解する」という選択肢がある。構造的に曲を理解していくことで、作り方もわかってくるというアプローチだ。
ただ、理論を学べば曲が書けるわけではない。「何かを学べば、何かができるようになる」というのは、幻想の場合がある。すでに曲を書いている人にアドバイスすることは可能でも、書いたことのない人に「書き始める方法」を教えることは、ほぼ不可能なのではないかと思っている。できることがあるとすれば、「作曲」の面白さを伝え、モチベーションを持ってもらうことだけかなと。
「衝動」というブラックボックス
「書きたいから書いていた」というのが、僕が初心者の頃の実態だ。もちろん、最初の頃の作品を今聴いたらひどいものだと思うが、当時そんなことは全く気にしていなかった。大いなる自己満足だったわけだが、周りの目を気にしなくて済むという「恵まれた環境」だったと思う。
オトナになってから何かを始めると、いろいろ「わかってくる」のでどうしても基準が高くなってくる。音楽にそこそこ詳しい人が楽器を始める場合、最初から目標設定が高めになり、「届かない」という失望感で辞めてしまうことも多い。周りの目を気にしないということは、よほど変人でもない限りなかなか難しいことだ。
「書いてみたい」という衝動が、どこからやってきたのか思い出してみると、たぶん「モテたい」というシンプルなものだったと思う。本能的な欲求ほど強いものはない。今でも音楽を続けている理由も、そこから大して進化していない。それくらい強い。
実際は書けてもモテないわけだが、「書ければモテる」という幻想が、僕を支えているのかもしれない。僕にとっての「衝動」なんて、その程度のことに過ぎないのだが、書けているという現実が、書けない人からすれば「才能」のようなキラキラしたものに見えているだけなのだ。
「衝動」は外部からやってくる
「衝動」というと、内部から湧き上がるパワーというイメージだが、そのパワーの源はどこにあるのだろうか。僕の「モテたい」という衝動は、「他者との関係」つまり外部からもらったパワーだ。洞窟に一人で籠って生きていくなら、僕は音楽をやっていないと思う。
振り返って考えてみると、僕の学生時代の音楽に対する情熱は、同級生に「負けたくない」という想いから来ていた。学生という環境は、過ぎ去ってみればなかなか特殊なもので、常に人目に晒され、比較されているという状況だからこそ生まれるパワーがあった。
オトナになって、それなりに音楽をやってくると、なかなか他人の自分に対するホンネは聞けなくなってくる。プロだからとか、先生だからといったフィルターが先入観として機能してしまいやすく、ホンネという「外圧」を受けにくい。
技術的には学生時代より今のほうが遥かに上でも、衝動は遥かに弱いという「皮肉」。これを打破するには、「外圧」に身を晒す必要があり、外部への違和感や葛藤からくる「喜怒哀楽」が、曲を生み出す原動力になるのではないか。