No.04『アンデッドの生き方』
「こっちに来なさい」
そのアンデッドは、杖を削って形を整えながら言った。アンデッド特有のかすれて消えそうな声ではなく、人間の老婆のようにしわがれて、しかしはっきりと音量のある声だった。
「は、はい」
「隻眼、それも蒼い瞳か。これは珍しい」
「へっ?」
自身の顔に手で触れてみると、左目があるべき場所にはクレーターのような浅いくぼみがあるだけ。他のアンデッドはみんな赤く光る瞳をしているけど、僕だけはどうやら蒼い瞳をしているらしい。
(気がつかなかった……)
のちに聞いた話によると、アンデッドはこうした生まれつきの部位の欠損が珍しくないらしい。他にも腕がない人や、一部の肉がこそげて骨が露出している人もいた。
「我々は君を歓迎しよう。これからは私たち家族の一員として、ロードを名乗りなさい」
「ロード……」
噛み締めるように、小さく呟く。
「良い名前じゃないか。良かったな。画面を操作すれば名前を確定できる。やってみな」
ラインさんが後ろからそう言ってくれた。
言われたとおり、画面にある未確定の文字を押してみた。そうすると、ズラリと文字が並んだキーボードのような画面が表示された。
「おおっ。なんだかハイテク」
一文字ずつ間違えのないように入力していく。キーボードの右下にある確定のボタンを押すと、未確定とあったところがロードに変わっていた。
「素敵な名前をありがとうございます。あの、僕はこれからどうすれば?」
「ここにいなさい。これからずっと」
達観したような口ぶりの長老様。
ゆっくりと語るように続ける。
「アンデッドは弱い。この世界でもっとも弱く、しかも脆い種族だ。進化できなければすぐに成長が止まってしまう上に、運よく進化できてもそう強くはなれん。ここで助け合いながら、亡霊のように生きる。それが我らアンデッドの生き方だ」
「……そうなんですか」
「しかし、それを恥じる必要はない。アンデッドに生まれた事を誇りに思いなさい。誰よりも弱く、誰よりも脆く、しかし誰よりも優しく、そして誰よりも平和に生きる。それが出来るのが、我らアンデッドだ」
長老は僕に完成した杖を差し出した。
「好きなところで楽にするといい。ここでは君を咎めるものも、ましてや君を襲うものもいない」
「……ありがとうございます」
僕は杖を受け取ると、壁際にもたれて息をついた。
(そういえば、進化の途中だったっけ。選択肢は
さっきの戦いからして、スケルトンの方が優れた種族なのは明白だ。けれど、せっかくアンデッドの住処に案内してもらったのに、違う種族になるのは変じゃないだろうか。
それに、骨だけになってしまうのもなんだか気が引ける。僕は特に深く考えることもなく、
「うっ!」
前と同じく全身が熱くなったかと思えば、急に体が苦しくなってきた。生まれ変わって初めて味わった苦痛という概念が、全身をきつく締め付ける。
「うぐあああっ……」
呼吸が荒らげ、視界が暗くなっていく。
息ができない。
痛い。苦しい。
「おい、どうした!?」
そう叫んだのは、ラインさんだった。全身の骨が折れるのも気にせずに、僕に駆け寄ってくれた。
「こいつはまさか、種族進化か!? まずいぞ。みんな! 外から水を持ってきてくれ!」
アンデッドたちが、両手ですくってきてくれた赤い水を僕にかけた。少しずつ痛みが引いていき、いつもと同じ体が熱く沸騰するような感覚がやってくる。
『名称:ロード
種族:
個体レベル:5
限界レベル:10
ナノマシン稼働率:100%
ナノマシン汚染率:0%
スキル
【ハッキング】』
進化は無事に完了したようだった。
「……ごめんなさい」
「いいよいいよ。気にするな」
起き上がると、ずいぶん髪が伸びていた。
身長と同じくらいか、それ以上の長さはありそうだ。
視界もかなり明瞭になっていて、僕から見て部屋の反対にある壁につけられた、小さなひっかき傷すらよく見えた。光源なんてアンデッドたちの赤く光る目くらいしかないのに、ここまではっきり見えるなんて。
(視力だけなら、たぶん人間以上だ)
しかも、骨格や肉体もかなり強くなっていそうだ。外見はさほど変わっていないのに、全身がどっしりと重く、それでいて力がみなぎっている。おそるおそる腰を上げてみると、骨折の音もなくスムーズに立ちあがる事ができた。
これなら、歩くこともできそうだ。
「すげえな。まさか
「俺は長老様以外じゃ初めて見たぞ」
「ふへへ……」
初めて立ち上がれて、しかもみんなからは尊敬の眼差しを向けられている。なんだか顔が熱くなってきて、照れ隠しに頬をポリポリとかいた。
(苦しくなったのは栄養不足のせいかな……)
今まで進化するときは、無意識のうちの沼の水を吸収していたんだろう。ずっと沼の中にいたから、栄養が必要だなんて考えもしなかった。
考えてみれば、いくらナノマシンの力でも無から有を作るなんてありえない。もしあのまま助けてもらえなかったら、どうなっていたんだろう。
背筋がゾッと震えた。
「ああ、すまない。俺にも少し頼む」
そう言って、仲間からもらった赤い水を飲むラインさん。折れていた手足がみるみるうちに再生していく。再生や進化は、それなりの栄養を消費するみたいだ。
「ほら。これで髪を結いなさい」
長老様が僕に、壁から剥いだ皮で作ったヒモを差し出した。髪をうしろで縛れば、長老様とおそろいだ。
(少し不安だったけど、優しい人たちで良かった)
僕はそれから長い間を、この場所にお世話になることになる。昼夜も暦もないこの場所では、時間の感覚なんてあってないようなものだけど、少なくとも一年やそこらじゃない。もしかすると、十年以上も経っていたかもしれない。
「僕はいつか、外の世界を見てみたいんです。あちこちを旅して、美味しいものを食べて、色んな仲間に出会って、いつかは海や青空を見てみたい!」
「冒険? やめとけよ。外の世界なんか何があるかも分からねえ。すぐに死んじまうぜ」
「そうですよ! この世にはまだ知らないことが山ほどある。旅は旅でも、冒険の旅ですよ! 楽しそうじゃないですか!」
「そうかあ? 俺はここでゴロゴロしながら、お前らとゆっくり話してる方が楽しいかな」
「ラインさんは、夢とかないんですか?」
「まあ、それがアンデッドだからなー」
ここでの生活はスローペースで単調だ。
基本的には、ずっと座っておしゃべりしているだけ。あとは簡単なトレーニングをしたり、長老様の杖作りを手伝ったり。たまに散歩に出ると、新たな仲間を見つける事もあった。
「この音は……」
外からハンマーを叩きつけるような音が響いてくる。どうやら、スケルトンたちがちょっかいをかけにきたらしい。
「また来やがったか」
「懲りない奴らだ。任せたぞ、ロード」
スケルトンはしょっちゅうやってきた。僕たちの住処である柱に、ゴンゴンと頭をぶつけてくる。レベルは高くても3くらいなのに、いざ戦えばアンデッドたちが束になっても苦戦をしいられる。
柱に侵入でもしてきたら、あわや大惨事だ。
「うん。行ってくる」
追い払うのは、長老様や僕の役目だった。たまに倒せた時は、せっかくだからハッキングをして少しずつレベルを上げていた。
「ふう。ようやく終わった……」
ダメージを与え続けてナノマシン稼働率をゼロにすれば、回復するまでは気絶したように動かなくなる。その状態でハッキングを使えば、相手のナノマシンを汚染して奪うことができるようだ。ちなみに稼働率が1%でも残っていると、ハッキングは効果がない。
「おおっ、またレベルが上がってるな」
「そろそろ長老様に並びそうじゃないか」
「そんな。長老様と比べたら、僕なんてまだまだだ」
変わらない日常。
優しい仲間たち。
長老様は何百年も生きているらしく、とても物知りだった。僕もいろいろな事を教えてもらった。
「この地下世界は、大きく九つの階層に分けられる。その最深、第九層に位置するのがこの『裏切りの樹海』だ。ここは、その中でも特に深い場所。星の最果てなんても呼ばれている。生存競争に負けた哀れな者たちは、地下へ地下へと追いやられ、最後はここに辿り着く。いつしかその体は朽ち果て、アンデッドとして蘇るのさ」
この話を聞いた時は、ここは前世とは違う世界なんじゃないかとすら思った。それでも、同じ文字や言葉が使われているのに、別の世界だというのも考えにくい。
僕が死んだ後、いろいろあったようだ。
「長老様、人間って知ってますか?」
「ニンゲン?」
「はい。この画面に書かれている文字や、今こうして話している言葉を作った生き物なんですけど」
「変わった事を言いよるな。言葉や文字なんて、誰でも初めから知っているだろう。ニンゲンなんて種族は聞いたこともない。ロードが考えたのかい?」
「……いえ。忘れてください」
どうやら、人類はもういないらしい。
(文字や言葉だけを残して、いったいどこに)
もちろん長老様だって知らない事はあるだろう。地上に行けば、今も変わらず生きているのかもしれない。それともまさか、本当に絶滅してしまったんだろうか。
戦争。隕石。感染症。
理由はいくらでもある。
ありえないとは言いきれない。
「そういえば、アンデッドには寿命がないんですか?」
「ジュミョウ? お前はときどきおかしな事を言うな。面白い話があるなら、若いやつらにしてやりなさい」
命のあり方も、かなり変わってしまったらしい。
この世界の生き物は、植物も動物も例外なくナノマシンで動いているようだ。ハッキングや捕食などによってナノマシンを奪われないかぎり、死ぬことすらないらしい。切り刻まれようが、ペシャンコにされようが復活できる。
「やっぱり、ロードの話は面白いな」
「僕ももっと聞きたいです! ロードさんのゼンセの話!」
前世にあった道具や生き物の事を話すと、みんな大喜びして聞いてくれた。
「ロード、あんたもすっかり人気者だね。私の話なんか、もう誰も聞きゃあしないよ」
「ち、長老様。そんな事言わないでくださいよ」
「いいさ。私にも聞かせておくれ。あんたの話はとても興味深い」
平和な時間はゆっくりと過ぎていく。
気がつけば僕は、人間として生きた時間よりもアンデッドとして生きた時間の方が長くなっていた。僕は小柄ながらも身体能力に優れた
スケルトンだって、今ならイチコロだ。
「僕はこのまま、ここで生きるんだろうな」
気がつけば、外に出ようとは思わなくなっていた。外の世界への憧れが無くなったわけじゃない。それでも、暖かい家族だって僕にとってはかけがえのないものだ。
ここにいるみんなは、僕を信頼してくれる。
心から僕を尊敬してくれている人もいる。
僕がロードであるだけで、僕を愛してくれる。
僕も、そんなみんなが大好きだ。
だからここで、アンデッドとして生きる。
「……これから先も、ずっと」
心残りがないと言えば嘘になる。
あとで後悔する事になるかもしれない。
「それでもいい。これが、僕の選んだ道だから」
しかし、終わりの日はやって来た。
前世との別れがそうであったように。
なんの前触れもなく、唐突に。
「大変だ! ラインが“波”に巻き込まれた!」