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あなたを初めてテレビで見た日の事を、私は今も鮮明に覚えている。
大切な人との出会いの瞬間というものは、不思議と記憶に残っているものである。
2011年12月。
私は人生のドン底にいた。
何をやっても上手くいかず動けば動くほどに借金が増えていき、かといって動かなければどうにもならないという最悪の状況であった。
今思い出してもよく生きてたなと、テメェで感心するくらいのひどい時期であった。
そんな折、私の贔屓球団であるジャイアンアンツも最悪の状況だった。
二年連続で落合博満率いる強いドラゴンズに優勝をかっさらわれた上、球団内部のゴタゴタから球団代表が球団オーナーへのクーデターを巻き起こすという前代未聞の造反劇の真っ最中。
控え目に言って最悪。
企業の業績が悪いと責任のなすりつけ合いからクーデターが横行する事がままあるが、当時のジャイアンアンツは正にその典型。
後に、法廷へとその争いの場が変わるほど最低の泥仕合であった。
ファンとしてはたまったもんではない。
特に当時の私は仕事も私生活も何もかも上手くいかない状態で、テレビをつければ弱くなっちまった巨人がゴタゴタしている。
泣きっ面に蜂。
いや、泣きっ面にテポドンくらいの地獄であった。
そんなグダグダのジャイアンアンツに入団してきたのがあなた。
スコット・マシソンであった。
入団のニュースをYahooニュースで見た私は、何となくあなたに親近感を持った。
カナダの高校を卒業したあなたは、メジャーリーグ球団からドラフト指名され夢を追ってアメリカへ。
マイナーリーグで順調に経験を積み重ね、死にたいくらいに憧れたメジャーリーグにデビュー。
が、デビューした年に肘を故障し、手術を受ける。
その後不屈の魂でリハビリをこなし、ようやく実戦復帰をしたかと思ったら、再び肘を故障、二度目の手術を受ける。
そして、そこから数年かけてマイナーリーグから徐々に実績を積み重ね、ようやくあなたはメジャーリーグの大舞台へ辿り着く。
だが、その年球団から契約を解除される。
正に泣きっ面に蜂。
何をやっても上手くいかない。
で、そんなあなたは遠い島国であるこの日本にある巨人へと入団した。
私がドン底にいたのはテメェで撒いた種、身から出たサビであったが、あなたはたゆまぬ努力の末にもがいていた。
そんなあなたに、私は勝手に親近感を抱いた。
あなたをテレビで初めて見たのはその二ヶ月後、私はとあるジジィに拾われて、新しい職場で仕事を始めていた。
そしてあなたも新しい職場で仕事を始めたところであった。
開幕前のチーム内での紅白戦。
新戦力であるあなたは、チームへ自分をアピールする為に力いっぱいボールを投げた。
それはそれは、力いっぱい投げた。
だが、力が入り過ぎたあなたが投げたボールは、打者の頭に思いっきりブチ当たってしまった。
最悪であった。
その映像を見た私は、『また巨人がノーコンクレイジーな外人を取ったな』と思ったのだが、それと同時に『わかるよ!わかるよマシソン!めっちゃ空回りするよな!』と自分の境遇と重ね合わせていた。
なにしろ私も新しい職場で思いっきり空回りしていた。
その後私が徐々に新しい職場に慣れてきた頃、あなたは一軍のマウンドへ立った。
相手は二連覇中の王者ドラゴンズ。
結果は二回無失点。
見事な投球だった。
そして、そこからあなたの快進撃は始まった。
その試合から11試合連続無失点。
プロ初勝利に初セーブ。
ついでに日本プロ野球史上四人目の160キロを計測。
途中で少し古傷の肘に違和感を感じて離脱するが、シーズン通してぶっちぎりの成績を残し、正に獅子奮迅の活躍でチームの日本一に貢献する。
私もその間少しずつだが、人生も仕事も軌道に乗り始め、何とか最悪な状態から抜け出す糸口を見つけ始めていた。
来る日も来る日も、自分の未来の為、そして拾ってくれたジジィへの恩返しがしたいがために、私は目いっぱい働いた。
そして画面の向こうでは、自分の未来のため、拾ってくれたチームのために、あなたは目いっぱい右腕を振り続けた。
来る日も来る日もあなたは腕を振り続けた。
勝ち試合でも、負け試合でも、あなたは毎日の様にボールを投げた。
当然の様に抑えると、笑顔でチームメイトとハイタッチを交わし、たまに打たれると顔を真っ赤にして怒る。
決して他人に怒る事はないが、自分の不甲斐なさにブチギレる。
抑えても打たれても、あなたは腕を振り続けた。
そんなあなたを見て、私はどれだけ勇気づけられたであろうか。
その後すったもんだの挙句、人生の伴侶を得たり半ばヤケクソで独立したり、長年住んだ関西を離れて広島に越したりした私であったが、あなたはその間も腕を振り続けた。
チームメイトが次々と引退してゆき後輩がどんどんと増えていく中で、あなたは外国人選手であるのにも関わらず、後輩選手達を自宅に招いて趣味である狩りに連れて行ったり、練習をサポートしたりするクールガイでもあり続けた。
そして、忘れもしない2017年のシーズンオフ。
この年チームは球団史上最長の13連敗を記録するなどして、十一年ぶりのBクラス転落となった。
前年にはあなたが入団してきた時と同じ様に、巨人はまたもや球団関係者のスキャンダルが起きた末での監督交代などがあり、何となくチーム全体がフワフワしていた。
そんな折、巨人との契約が最終年であったあなたには複数のメジャーリーグ球団からオファーが届いた。
当然のオファーであった。
チームの浮沈に関わらず、長年〝リリーバー〟という決して派手ではないポジションを黙々とこなし、更に人間としてもタフでクールガイなあなたをメジャーリーグ球団が見逃すはずがなかった。
だが。
あなたはこのメジャーリーグ球団からのオファーを袖にした。
この時、巨人ファンの私は喜んだ。
ボロボロのチームからあなたが抜ける事がどれだけの損失であるかをよく理解していたからである。
しかし、スコット・マシソンファンの私は涙した。
泣きに泣いた。
あなたの夢が、『自分の子供にメジャーリーグで投げている姿を見せたい』という事だと知っていたから。
そして、その夢を実現させるには年齢的に考えてもこれがラストチャンスだと知っていたから。
あなたの優しさに私は泣いた。
普通こういう事は中々出来ない。
自分の夢や都合と、会社やチームの事情を秤に掛けて、自分の夢を諦めたりすることは並大抵な事ではない。
あなたは底抜けに優しかった。
本当に優しいナイスガイであった。
あれから二年経った今年。
あなたは巨人のユニフォームを脱ぐことになった。
理由は、去年メスを入れた膝の状態が芳しくなく、自分の思う様な投球が出来ないと判断した事が引き金になったと聞いた。
そりゃあ、あれだけ長年チームをど真ん中で支えていれば、膝も耐えれなくなって当然であると思う。
しかし、本当の理由はそんな事ではあるまい。
今年の巨人には、若手リリーバーが沢山台頭してきた。
おそらく、底抜けに優しいあなたは、彼らの成長を妨げないように自ら身を引いたのだろうと思う。
多分間違いない。
とても淋しいけど、来年からはあなたが残した後輩達を目いっぱい応援しようと思う。
あなたの様に、強くて優しい男の背中を見て育った後輩達は、多分あなたの様にカッコいい選手になると思うから。
長い間本当にありがとうマシソン。
私は、背番号20のカナダから来た助っ人をを一生忘れない。
先日、巨人のユニフォームは脱ぐが、カナダ代表として来年の東京オリンピックを目指すとの報道を見た。
物凄ぇ楽しみが増えた。
当然日本は応援するけど、カナダも全力で応援するよ。
あなたが愛した東京で、出来る事なら決勝戦とかで、また会おう。
そんな、ラブレター・フロム・ジャパンの話。