で最前線の群小慰安所となると、そのほとんどは朝鮮人の経営者だったという。かくて時局の尻馬に乗って婦女子を欺して現地へ連れ出す売春業者が続出した。中国の最前線はおろか、サハリン(南樺太)や北海道のような最果ての地まで朝鮮人経営の女郎屋、売春宿、いかがわしい飲み屋が現出するに至った。
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言わば、朝鮮人をして朝鮮の婦女子を喰い物にさせ、民族衰退へ導かせたのである。1938(昭和13)年から約一年間、サハリンに滞在した張在述は、当地に朝鮮人慰安婦300名がいたと証言している。楼主はほとんど朝鮮人であり、その慰安婦のほとんどは慶南(南朝鮮)の晋州、泗川、蔚山等から連れ出された
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娘達(16~18歳)であった。その連れ出された手口は『名古屋の紡績工場の女工募集』で釣られて、そのまま樺太へ運んだものだという。そこの当初の相手は炭鉱夫、伐採夫、基地設営隊などであり、その作業能率を上げるためには『セックス処理』が必要というものだった」(金 一勉)
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