カスタマーレビュー

2019年10月17日
百田氏と有本氏は「天皇は万世一系ではない」と言っていますが疑念があります。古代史に対する基本的知識が希薄であり、勉強してから書き直した方が良いと思われます。少し、その根拠を挙げてみます。

①ご両人とも皇紀≠西暦をご存じない。
継体天皇に対するお二方の疑問(p52)の根源は、「日本書紀や古事記の年紀(皇紀)=西暦」と勘違いしているからです。例えば、p57に、「百田(前略)10代目の崇神天皇(在位・前97-前30)になる・・・」とありますが、67年間も天皇の位にあったと信じているとしたら滑稽です。この時代は皇紀が使われていたのです。

②ご両人とも古事記を読んでおらず耳学問で喋っている。
p54に、「百田 『古事記』によると、応神天皇は父の仲哀天皇の死後、15ヵ月後に生まれたことになっています」とあります。しかし古事記には「壬戌(みずのえいぬ)の年の6月11日に崩御になった」(講談社学術文庫 古事記(中)p200)と書かれていますが、応神天皇の誕生日は書いてありません。ですから氏の言う”15ヵ月後に生まれた”には根拠がありません。代わり古事記には、「すべて先日の神託と同じで、すべてこの国は、皇后さまのお腹におられる御子(応神天皇)が統治されるべき国である」(p181)とあります。

③ご両人とも日本書紀の読み方が甘く「古代も太陽暦が使われた」と誤認しているのではないか
p54に、「百田 『日本書紀』には仲哀天皇の死から10ヵ月と10日後に出産したことになっていますが、いわゆる”10月10日”というのは、実は9ヵ月と10日なので、これも通常の妊娠期間より1ヵ月長いことになります」(p54)が、日本書紀には「9年春2月5日、天皇は急に病気になられ、翌日はもう亡くなられた」(講談社学術文庫 日本書紀上p184)とあるので、亡くなられたのは6日です。そして応神天皇は「12月14日、後の応神天皇を筑紫で産まれた。後の人はその産処を名づけて宇瀰(福岡県糟屋郡宇美町)といった」(p192)とあります。従って、妊娠期間は「10月10日」ではなく、「10月9日」です。しかもこの時代は太陽暦であるはずもなく、旧暦で一月は約29日とすると、299日となります。標準に比べたら19日ほど長いことは確かですが、だからこそ、そのように書いてある、事実を曲げて書くことはしなかった、と直き心で読んでは如何でしょうか。

 全てを読んだ訳ではないのですが、スタートから「万世一系を否定」ですから天皇論としては落第でしょう。この辺りを勉強し直して、正確に、そして素直に記紀を読んだ上で、新たな天皇論を期待しています。
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