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事件ノンフィクション『つけびの村』の高橋ユキが語る殺人事件とうわさと妄想と私。

〈うわさ〉。特に気にすべき物事ではない、と判断して良いのだろうか? sns全盛の現代において、この事象こそ、実は価値観の大部分を占めることに気付いていないひとも多いのではないか。 事件ノンフィクション『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』の著者、高橋ユキは何を追い求めたのか。彼女に、殺人事件、うわさ、妄想、そして彼女自身について聞いた。

by Yuichi Abiko
06 November 2019, 9:22am

2013年、山口県周南市の金峰地区のわずか12名が暮らす小さな村で、一夜にして5人の村人が殺された。世間は、これを山口連続殺人放火事件と呼ぶ。犯人の自宅には『つけびして 煙喜ぶ 田舎者』という川柳が貼られており、まさに犯行予告だとマスコミを賑わせたが、それは事実ではなく、うわさであった。事件の真相を突きとめるべく、執拗にうわさを追いかけた、奇妙な事件ノンフィクションが『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)だ。

〈うわさ〉その場にいないひとについて、語ること。社会に蔓延する明確ではない話。
〈妄想〉根拠がなく、想像すること。真実でないものを真実と認知すること。主観によってのみ確信した内容。

高橋ユキは、村に蔓延するうわさ話をひとつずつ裏取りし、タマネギの皮を剥くように、取材を進めた。その結果、タマネギに芯はあったのか――そもそも彼女は、なぜ殺人事件、うわさに翻弄される人々、うわさから派生した妄想に興味を持ったのか?

本人にインタビューをおこなった。

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郷集落の手前にある宇宙ステーションの象

フリーのライターとして活動するきっかけを教えてください。

30歳くらいまで、ゲームの開発の仕事をしていたんですが、うつ病になって休んで、そのあと会社を辞めたんです。しばらくは、何も手につかずにぐったりしていて。でも、何かやらないとまずいなあと思って、とりあえず本を読もうと、まあ、最初は漫画だったんですけどね。漫画とか雑誌とか、そのうち殺人事件のノンフィクションが面白いなと思い始めて。『別冊宝島』とか、殺しの記事がいっぱい載ってるじゃないですか。それぞれの記事は完結しているけど、なかには、まだ裁判が続いてるとも書いてあって。
もちろん、そういう記事には、犯人の証言も掲載されているんですが、私的に足りないところがあって。

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すべてというか、より詳しく知りたいってことですよね?

そう思う性分なんです。大学を卒業したあとに、上京して、けっこう一生懸命働いてたんで、病気になって動けなくなるまでは、東京見物的なことも、ほとんどしてなかったし。でも病院通いをしているうちに、だんだん調子がよくなってきて、だったらと、東京地裁にいってみたんです。その記録をmixiやブログにアップしていたのが本になって、それからお仕事の依頼がくるようになりました。

うつ病なのに殺人事件、東京見物が東京地裁ですか? いろいろおかしいですよね(笑)。 そもそも殺人事件に興味があったんですか?

自分では自覚がなかったんですけど、つい先日会った、大学時代の友達に「そういえば、ユキちゃんって変なニュースばかり見てたよね」と言われて。ハッとなりました。

どんなニュースを見ていたんですか?

学食でチャーハンとか食べながら、北九州連続監禁殺人事件やオウムの事件をずっと見ていたらしいです。

たとえば、男性でも、怖い人に興味をもつこともあったんですか?

ないですね。むしろ、北九州の底辺みたいなところで育ったから、悪い人しかいなくて、悪い人は嫌いでした。

不良とか、悪い系の人と付き合ったこともない?

ないですね。

まったくないってことは、ないんじゃないですか。

いや、ないですけどね。真面目な人がいいですよ……でも、そういう意味で悪いってことじゃなくて、もっと人間的な意味で悪いというか、ひどい男と色恋沙汰になったことはないとはいえない、というか。こんな情報いりますか(苦笑)。

北九州は、ヤクザの人も多いでしょ。殺人事件など暴力事件もそこそこあったんじゃないですか?

筑豊地区に近い北九州だったから、まだボタ山とか炭鉱で栄えた面影があったころなんですけど、工業団地があったり、山のふもとの一軒家に変な人が住んでるような感じでした。中学生の同級生がいきなり学校に来なくなって、そしたら、噂でヤクザの男と暮らしてるらしいとか、トラックの往来が激しい道で、弟の同級生がトラックにはねられて亡くなったりとか、そういう不可解だったり、悲しかったりすることが、田舎って起こるんですよね。「あの家のおじさんは、昔、人を殺しとるけん、いっちゃいかん」とか母親が言ってたくらい、わりと事件が身近に感じられる場所ではありました。でも人生を送ってると、そういうのって、ちょくちょくありませんか?

すみません、僕は千葉の市川が地元なんですけど、あんまり実感ないです(笑)。ちなみに当時の感覚として、それが高橋さんにとっては、日常というか普通だったんですか?

子供のときは生と死の境界も曖昧だから、突然いなくなることがあるんだって思う一方で、自分たちは、どんどん大きくなっていく確信があったりするから。

なんか、今回書かれた本の世界みたいですね。そんな幼少期を過ごし、ゲーム会社に就職 ―― 。やっぱり殺人関係のゲームが好きで入社したのですか?

それはないです。マリオカートとかが大好きだったんで。ゲームはゲームって割り切って楽しみたいから、架空の世界でリアルを追求したいとは思わないです。

リアルは、目の前で起っているから、それをゲームで追求してもしょうがないってことですか?

グラフィックの技術が進歩したら、表現力は増しますよね。でも技術者としてゲームの現場にいて、実際につくっていると、表現力は増すけど、それがゲームの面白さに直結するかっていったら、違うと思ったんです。だから、私はCG表現の開発みたいな仕事をやってたんですけど、「このエフェクトをつくってどうなるんだ?」みたいな気持ちが、だんだん湧いてきて。

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ゲームは妄想というか、フィクションの世界であって欲しいってことなんですね。小さいころはわりと想像の世界で遊んでいたクチですか。

そうですね。ゲームや本を読んだりです。あとはバンドブームに熱狂したり。

どんなバンドですか。

もう、ヒムロック一択ですね。

おぉ。

おぉって、なんですか。めちゃくちゃ、かっこいいじゃないですか。

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金峰神社の参道入り口

その後、うつ病が原因で会社を休んだそうですが、振り返って、その原因というか、何か思い当たる節はありますか。やっぱり人間関係?

ずっとゲーム業界で表現の研究をしていたから、あんまり人と向き合ってなかったというのは、あるかもしれません。そのころは、あんまり人間に興味もなかったし。ただ、就職氷河期に会社に入ったから、いったん仕事を辞めたら最後。もう、ちゃんとした社会人には戻れないって感覚はありました。弱ってるときって「こんな感じで、何もしないまま寿命がくるのかあ」とか。だったら、自分の好きなことをやろうと、それで思い切って裁判傍聴にいってみました。そしたら、裁判所には、生身の人間同士の〈本気のぶつかり合い〉みたいな姿があって、それをずっと見ていたら、人間に対しての興味がだんだん強くなってきて。

ちなみに傍聴マニアを公言されてますが、傍聴マニアとはどういう人のことなのでしょうか?

仕事とは関係なく、ただ好きで、傍聴にいくひとのことでしょうね。最近は週に2、3回と少なくなったんですけど、当時は週5でいってました。

ああ、毎日ですね(笑)。印象的な事件はありますか?

それこそ、北九州連続監禁殺人事件の控訴審を見にいったときに、主犯の男が「自分は全然悪いことしたと思ってない」「むしろ僕が被害者だ」みたいなことを言っていて、ある種、納得したというか。やっぱり、これくらいのメンタルがないと、あんな事件起こさないんだろうなと。

他にもありますか?

最初に見た事件なんですが、ある宗教団体の信者に、金持ちの娘がいて結構貢がせていたんですけど、その娘と父の親子関係が上手くいってなくて、宗教団体が、ヒットマンを雇って、その父親を射殺して、遺産を貢がせようとした事件だったんです。そしたら、犯人のひとりが、歌舞伎町のビル火災とこの事件が関係しているって急に言いだしたんです。未解決事件好きとしては見逃せないな、と見てたらハマっちゃったんです。

殺人事件で、なおかつ未解決事件。それに惹かれるのは、真実を解明したいという欲求からでしょうか?

野次馬根性が先に立つのかな。真実を解明したい、みたいな偉そうなことはあまり思ってなくて。単純に殺人事件の犯人が、どんな話をするのか聞きにいってる。やっぱり好奇心です。あとは報道されてる情報以外のディテールを、もう少し知りたいって欲求もあります。

犯人の心理というか心の機微に興味がある?

心理もそうなんですけど、どんな姿形、仕草とか、細かいところも気になります。

裁判傍聴ではなく、直接事件現場へ取材にいくようになったのは、いつからですか?

マニア時代も興味本位ではいっていましたが、取材の方法というか、きちんと経験を積ませてもらったのは、契約記者の立場で籍を置いていた週刊誌の現場ですね。本格的に現場取材をするようになってから、6、7年目ぐらいです。

まだ契約記者ですか?

独立して、3年目になりました。今も記事を書かせてもらっていて、すごくお世話になっています。

傍聴と事件現場での取材の相違点と共通点について教えてください。

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事件の現場は関係者から話が聞けない心配があるけど、傍聴は確実に聞ける。それが一番の違いだと思います。さらに傍聴の場合は、聞けなくても何か起こるのはわかっているので、そこへの不安はなく、それよりも、その関係者が言ったことを全部ちゃんとメモしようっていう気合いでいくっていう感じです。

初めて知ったんですが、裁判って傍聴はできるのに、撮影も録音も禁止で、メモ帳に手書きするしかないんですね。

そうなんです。だから、傍聴メモをとるときには、速記じゃないですけど、できるだけ早く、正確に、ぜんぶの情報を記録できるように、自分で作った省略記号とかも使います。

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確定死刑囚・保見光成の家に置かれたオブジェ

なるほど。では、いよいよ『つけびの村』について聞かせてください。まず、女性がひとりで7人しかいない限界集落の殺人現場にいく。しかも、最初にこの村に訪れたきっかけが、月刊誌からの依頼で、昔あったとされていた〈夜這い〉についての取材でした。女性が夜這いにつて情報を聞いてまわるというのも難しいというか、恐ろしいというか。

もちろん怖いですけど、それより事件の現場にいける機会を得られたという緊張が勝ります。それに、人がいないってことは、そんなに危なくないのかなって(笑)。

村人たちのうわさ話が頭から離れず、不可解な村の正体に興味をもったとありましたが、怖い、近づかないという発想が頭をよぎります。一方で、未知なものは恐怖であり、好奇心でもありますよね。

事件に興味があるのは、やっぱり怖いものに好奇心があるんだと思います。でも普段の生活では、すごい怖がりで、いろんな裁判で犯罪の手口を聞くとめちゃめちゃビビって、家のドアの鍵を速攻閉めたり、出かける前に窓の鍵がかかってるかすごい確認したりしてます。

それでも好奇心が勝るのですね。取材を進めていくうえで予想外だったことはありますか?

新聞とかでは、悲しんでる村人という体で書かれている記事が多かったので、そういう話が聞けると思ってたら、全然違う話が聞けて、それ以外も全部予想外でした。

犯人へのうわさ話があり、そこから犯人が事実とは異なる妄想を肥大させて殺人事件を起こした、と高橋さんは書かれてます。うわさという事実はあって、そこから妄想して異なる事実を生み出してしまうことは、誰にでも当てはまることだと思います。そこで、まず、ご自身で感じるうわさの怖さについて教えてください。

うわさは、実体はないけど、何かしらの見えない影響を、そのひとに与えるもので、〈うわさは怖い〉と感じる場面っていっぱいありますよね。すごい分かりやすい例だと、そのひとのうわさと、実際に会って感じることが、ぜんぜん違ったときとか。

ご自身では、うわさに振り回されないように、意識していますか?

それが、自分もうわさが大好きなんですよ。鵜呑みにしてはいけない、とは思うんですけど、みんな結構、信じますから。

自分の悪いうわさが流されてると知ったら、どう対処しますか?

ブチ切れるでしょうね(笑)。

どう、ブチ切れるんですか (笑)?

snsで、こいつはこいつと仲が良いから、こいつから聞いたに違いない、とかすごい調査しますね。最近は、どうせ悪いうわさしか流れてないだろうし、聞いたらネガティブになるから気にしないようにしてますけど。
でも、ブログを立ち上げて傍聴集団を始めたときは、ある媒体からギャラが払われなかったので請求したら「あいつは金に汚い」って広められました。あとは、ブログが書籍化したときも「棚ぼたで、こんな本出して」とか「女だから相手にしてもらえたんだ」とか、それも嫉妬をかったと思うんですけど、今回も、そんな感じで言われるんだろうなって考えてしまうときはあります。

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やっぱうわさが気になるんですね。

気になりますよね。人って、うわさに翻弄されるから。

その悪いうわさにはどう対処したんですか?

「私のうわさが~、そんなふうに~、流れてるって聞いてぇ~、本当落ち込んだんですけど~」って甘えた声で誰かに言って、逆にうわさを流すみたいな(笑)。そんなのも考えたんですけど、気持ち悪いからやらなかったです。

ははは。うわさって、一見どうでもいいことのように軽く捉えがちですけど。真実かどうかではなくて、世間のうわさによって自分の評価が決まってしまうという面もありますよね?

過去の実績もそれなりに評価されるけど、どんな評判が立っているかも、その人を計るうえで、重要視されているとは思います。それも間違いとはいえないだろうし。だから、うわさって、その人を形作るものとして、ものすごく重要な要素だって感じます。

限界集落でのうわさは、閉塞的な空間だけに、異質なものがあると思います。

立地がすごく悪いですからね。それに基本、産業がそんなにないし、やや貧しいんです。貧しい地域ってネガティブなうわさが広がりがちだと思うので、そういう場所柄があってこその事件だったとは思います。

お金の裕福さとうわさ話は関係するんですね。

私の地元もそうですけど「あの家はすごいお金を持ってる」とか「あの家はイオンに土地を売ってぼろ儲けした」とか、親がお金についてのうわさをしている記憶が鮮明に残ってるんです。

ああ、わかります。本のなかで、東京で働いていた犯人が、オフロードの車で帰ってくるところと繋がってきますよね。

すごく嫉妬をかったんじゃないですかね。しかも、帰ってきて、家まで建ててるから。

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保見家の玄関
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保見家のガレージ

うわさの怖さと、さらに金銭的な要因が重なって、犯人へのうわさ、悪口が広まっていったかもしれないですね。また、一部のマスコミの報道や sns では、高橋さんが取材をして確信した事実と、異なる情報が、多く流れてましたよね。うわさと真実の見極めも、原稿を書くうえで難しかったんじゃないですか。

疑問は常にありつつも、取材対象者の話し方がちょっと変わるとか、声を急にひそめるとか、絶対に言わなかったことをやっと話し出すとか、そういうときは、その人にとって、〈真相〉だと思ってることなんだと、そういう仕草や態度が分かるように、原稿を書いたつもりです。

それこそ高橋さんの、ディテールをもっと知りたいという欲求が、取材方法にもあらわれているように感じました。事件が起きた直後、マスコミの多くは事件の起きた村ではなく、周りの村から証言を取って、報道した。高橋さんは周りの村も、事件があった村も、両方とも証言をとっています。

事件当時、村は警察の規制線で封鎖されていたので、やむを得ない面もあると思います。

でも、多数決ではないですけど、高橋さんの場合は複数の村で取材をして、そこで共通するうわさを実証していっているから。

いろんな人に話を聞き、共通する話が出てくることがあるので、これは、この村では〈真相〉として広まっているうわさなんだろうと判断しました。

それでも、みんなが口裏を合わせている可能性もあるわけで、書き手としては、ちょっと怖いですよね。

声の大きい人の話に乗っかっているかもしれないけど、それも込みで、村の〈真相〉として広まっていたのが、今回聞いてきたうわさの怖さだと思うんです。

妄想についてぜひ聞きたいのですが、高橋さんにとっての想像することの面白さと怖さについて教えてほしいです。

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私は、わりとネガティブで、人と話しているときに、細かい目線や仕草をすごい見ちゃうんです。それを家に帰ったあとに反芻して、「ああ、あの人は視線がどんどん沈んでいったから、私の話にがっかりしてたんだな」とか考えて、憂鬱になることが結構あります。それも悪いことばっかり考えちゃいます。

楽観的に考えて、本が売れたらこうしようとか、そういう想像はないですか?

それこそ、ノンフィクション賞を獲れたら嬉しいな、とかそういうのは、noteにアップした原稿を書いた当時はありましたけど、今はもう……。

じゃあ、賞のときに着ていく服まで考えましたか?

そこまでは考えない(笑)。

賞を獲ったあとの自分のポジションが変わることは想像してましたか?

ぼんやりと、仕事がいっぱいくるって想像をしたぐらいです。

ちなみに妄想と想像の違いをどのように捉えていますか?

想像はいろいろ並行して考えている状態。逆に、たったひとつの道筋を立てて考えているつもりだけど、全く現実と違っているのが妄想なんじゃないかな。しかも、想像したことを決めつけて確信しているってことですかね。

犯人の妄想性障害を確信したのは、接見したときですか。

警察がでっち上げて、俺を逮捕し犯人にしたてあげたって真剣に訴えてくるんですよ。あの靴の跡は、俺のじゃないとか言ってくるけど、仮にそうだとしても「やったのは間違いないよね?」って話していて思うんですよね。
しかも、警察がでっち上げる動機がないわけだから、それを本人に聞いても、明確な答えが返ってこない。だけど、彼のなかでは、辻褄は合わないけど信じ込んでるっていう感じなんです。これは完全に彼の妄想なんだなと思いました。

取材に協力した精神科医の岩波明先生の勤め先は、奇しくも、高橋さんが通院していた病院でした。

そうですね。岩波先生の分析にも深く納得するところがあって、犯人が妄想性障害であるということは、彼を中心としたノンフィクションは、ちょっと違うなとは思いました。だから、村のひとの話が想像を超えていて、しかもうわさが凄かったので、うわさをテーマにして、うわさが犯人にどう作用したのか、村におけるうわさの意味、私たちの生活においてのうわさについて、それらを想像してもらえるようにまとめたいって。

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バリケードに囲われた保見家の墓

犯人の精神状態が整わなくて、裁判でもうまく喋れないまま、死刑判決が下されてしまう。遺族には、犯人からちゃんと謝罪があるべきで、それが家族の方の一番の心の安らぎになると、あとがきにありましたが。

裁判員裁判だと、遺族が意見陳述をするんですけど、なんで殺されたのかを知りたくて「ずっとこの日を待っていました」みたいなことを言う人が多くて。だけど加害者本人は結局自分に都合の良いようにしか語ってくれなくて、私はまだ悲しいんだっていう陳述を頻繁に聞きます。だから、犯人の口から、本当は何があったのかを聞きたいっていうのは、遺族の一番の願いなんだって自分なりには思っています。

また、今回のように、取材をしているうちに病気で亡くなってしまった被害者遺族もいて、その思いや証言に、突き動かされることもあるんですか?

取材によっては、ありますね。今回取材した河村さんについては、無念だったろうなって思いはあるんですよね。だから、彼が生前に語ってたこと。奥さんが殺されて、いなくなってしまった寂しさとか、そういう彼の気持ちを世に出すのには、一定の意味があるんじゃないかなとか、偉そうなことをふと考えたりもしました。

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でも、人間の頭のなかって、本当に不思議ですよね。そういう意味では、誰でも誤った妄想をして、ひとを殺さなくても、おそらく誤解して恨んだりとかはしていますよね。想像することは、とても重要だと思うんですが、なぜ、事実と違うことに発展していくのか、愛とか友情とか夢とか、全て妄想じゃないかって思うこともよくあります。

ああ、それは私もあります。生まれてきたときから、なんで自分はここにいるんだろうとかもそうですよね。

生きていることにリアリティってありますか?

あんまりないっていうか、この世界は全部幻なんじゃないかって、ふとしたときに思ったりするから、ふわっとしています。死んだら終わりじゃない? でも死んだらどこにいくんだろうとか、自分が考えてたことって何なんだろうとか、割と頻繁に思いますから。

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IQが低い=友達が多い 

多くの人々の幸福は、人口密度の減少と反比例して増加しており、特に〈極めて知能が高い〉人間は、友人といっしょにいないときのほうを幸福に感じているという。

by Diana Tourjée
02 November 2017, 4:34am

友だちから、「元気? 全然会ってないし、あれやこれやだし、そろそろ会って話したい!」という内容のメッセージが届いたとき、そもそもどうして自分には友だちがいるんだろう、と自問したことがあるだろう。むしろひとりのほうがいい、ひとりでモナリザ顔負けのセルフィーを撮ったり、人気ブログを書いたりしていたい。そんな〈ひとりになりたい〉欲求は、あなたがえらく賢いから生まれるのかもしれない。このような新たな研究結果を、英国の進化心理学者サトシ・カナザワ(Satoshi Kanazawa)とノーマン・リー(Norman Li)のふたりが、2016年に発表した。彼らは、孤独な人間と知能の関連を探った。研究結果によると、多くの人々の幸福は、人口密度の減少と反比例して増加し(また、愛する人との高レベルの社会的交流の多さとも相関関係がある)、〈極めて知能が高い〉人間は、友人といっしょにいないときのほうが幸福だという。

本研究の概要によると、「より高度な知能をもつ人間は、友人との社会的交流が頻繁になるほど、生活満足度が低くなる」そうだ。ステキな結果だ。〈高度な知能をもつ人間〉といえば、〈MENSA〉だ。高い知能指数(IQ)の人たちだけが入会を許される、世界最大にして最古の高知能協会だ。英国MENSAの広報アン・クラークソン(Ann Clarkson)はこの研究について、「ある程度はパーソナリティに影響されるでしょう。IQが高い社交的な人も、IQが高い内向的な人もいますよ」という。

Photo by Jelena Jojic via Stocksy

しかし、この研究結果を完全に否定したわけでもなかった。「知能がきわめて高い人たちは、ときどき孤独を味わっている、と知られています。なぜなら彼らは、世界の見方が普通とは違うからです。自分と同じように情報を処理する他人を探すのは困難です。いかんせん世界で2%ですからね」。世界のIQランキングの上位2%がMENSAに入会できるのだが、クラークソンによると、心理学者が研究の裏付けにできるほどの数値ではないそうだ。

知能と人間関係を専門とし、米国コーネル大学で人間発達学を教えるロバート・スターンバーグ博士(Dr. Robert Sternberg)は説明する。「〈きわめて知能が高い〉という表現に、心理学的定義はありません」。博士によると、何をもって〈高い知能〉というのか、そして知能にはどれほどの〈種類〉があるのか、心理学者たちのあいだでもいろいろな意見があるという。「私個人としては、〈高い知能〉を、分析的な知能(IQ)、創造的な知能、日常における知能(常識)と分けて認識しています」と博士。「IQの高さは、その他2種の知能の高さとは相関性がありません。現在の学校教育では、高いIQをもつ子どもたちに褒賞を与える傾向にあるので、高いIQの子どもたちは、IQ以外の社会的、感情的、常識的知能を磨こう、という気が起きにくく、不幸な結果になるのでしょう」

カナザワとリーのいわゆる〈幸福のサバンナ論〉は、進化心理学の観点、つまり、現在われわれが経験している状況を、人類の祖先の経験に照らし合わせて進められた研究だ。『ワシントン・ポスト(Washington Post)』紙は、カナザワとリーの研究をこう説明している。「現代人が何を幸福とするか。その基礎には狩猟採集時代のライフスタイルがある。それを理論化したものだ」。賢い人はひとりでも苦難を乗り越えられるので、そうでない人たちのように、人間関係を重要視しない。しかし、スターンバーグ博士は指摘する。「進化心理学の課題は、先史時代の生活を想像することです。中世の生活、何なら1940年代の生活でさえも、今の私たちが理解するのは難しいのですから、それは非常に困難です」

Photo by Brian McEntire via Stocksy

きわめて知能の高い人が、深い仲の友人をそれほど求めないのは、彼らが特別なため、集団行動をすると周囲に足を引っ張られる可能性があるからだ。たとえば、〈聡明な学生は、自分より頭の良くないクラスメイトといっしょに作業をするよりもひとりで作業をするのを好む〉という説には議論の余地がある、と博士。しかし、「子どもでも大人でも、集団内でいちばん賢い人間が最終的な勝者となるわけではありません(※現在の米国大統領参照)。知能の高い人々が、自分よりも知能が低い人々の指示に従わざるを得ない場合もある。さらに、高知能の人々は自分の仕事で忙しく、じっくり友人と話をする時間がないだけかもしれません」

しかし、それもひとつの見解にすぎない。「知能の高い人々こそ友人が必要です、どうしてか。彼らの知能が必ずしも、社会的、感情的、常識的知能に転換されるわけではありません」という説明もできる、とスターンバーグ博士は語る。まさに〈三人寄れば文殊の知恵〉。いろんな知能レヴェルのキャラクターが集まるべきなのだ。たとえば、テストは散々な結果だったけど、先生に取り入って良い成績をもらうのが得意だとしたら、その人は、創造的知能が高いことになる。数字には強くないけど、何か別の、創造的なところで秀でている。逆に、成績は良いけれど、対人関係の構築能力が不十分で、人との社会的つながりがうまくもてず、結果、目標を達成できない人もいる。「知能の高い人は、集団内での交流、説得が下手で、思いどおりに事を進められない場合もあります」と博士は指摘する。

「アカデミックな知能は、社会的、感情的、常識的知能とほぼ関連性がありません」と博士。「皮肉にも、他人とのかかわりを極力避けたい賢い人こそ、成功するためには他人との交流が必要なのかもしれません。IQが高いのに、そのIQを世界的成功として結実できない、結実できていたとしても、効率よくIQを利用できていません」

MENSAのクラークソンのように、スターンバーグ博士も、本研究は物事を単純化しすぎた結果、不正確さが生じている、と指摘し疑問を呈す。「キャッチーな見出しだからといって、研究の影響力が大きいわけではありません」

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元カレ 元カノと友人関係を続けたがるナルシシスト サイコパス

「ナルシストは失敗、敗北を嫌います。そのため、自ら終わらせる意思のなかった関係については、関係継続のために何でもします」

by Diana Tourjée
11 January 2018, 2:05am

Photo by BONNINSTUDIO via Stocksy

元カレ、元カノと友だちでいるなんて、どれだけおかしいんだ、と思ったことはないだろうか? 実は、ナルシシズム、不誠実、サイコパスなど、性格特性における暗い特徴の強い個人ほど、別れた恋人と関係を続ける傾向にある理由を探った研究がある。2016年、論文「Staying friends with an ex: Sex and dark personality traits predict motivations for post-relationship friendship」として発表された。

実際、元恋人と友人でいるなんて、考えられなくて当然だ。心理学専門誌『Psychology Today』でも、一度別れた恋人とは友人としても付き合わないほうがいい、と推奨されている。なぜなら「彼らは感情面でサポートしてくれないし、救いの手を差し伸べてもくれないし、信頼感も薄いし、他人の幸福に無関心」だからだという。

上記論文の著者、米国オークランド大学(Oakland University)の研究者、ジャスティン・モギルスキ(Justin Mogilski)博士とリサ・ウェリング(Lisa Welling)博士は、被験者861名に、元恋人と関係を続ける動機をリストアップさせた。『Daily Mail』の記事によると、ふたりはさらに、暗い特徴を持つ被験者を特定するための調査も実施したという。同記事によると、「過去の研究では、暗い特徴のスコアが高い個人ほど、戦略的な理由で友人を選ぶ傾向があり、また、短期の付き合いを好むことがわかっている」そうだ。元恋人との付き合いにも、その傾向が当てはまるかを調べたのが、モギルスキ、ウェリング両博士だ。

両博士は、元恋人と関係を保っている理由を、重要度に応じて被験者にランク付けさせた。すると、元恋人のことを「頼れる、信用できる、情がある」という理由で、友人関係を保っている被験者が最も多かった。しかし、暗い特徴が強い被験者が元恋人と友人でいるのは、「実用的、性的理由」とも確認された。

ナルシシズム研究の専門家トニー・フェレッティ(Tony Ferretti)博士は、暗い特徴の強い個人、特にナルシシストが、破局後にも元恋人と関係を保とうとする理由を説明してくれた。「ナルシストは失敗、敗北を嫌います。そのため、自ら終わらせる意思のなかった関係については、関係継続のために何でもします。パートナーから拒絶されても、なかなか諦められず、傷が癒えないと、ナルシシスト特有の心の痛みを感じます」

恋愛関係は心の健康にとって重要だ、とフェレッティ博士。さらに、親密な絆には、たくさんの利点がある。「一般的に、緊密で健康的な関係を築けていれば、肉体的にも活発で、社会とのつながりも深く、長生きするし、身体的にも健康でいられます」と同博士。さらに、パートナーのいる個人は、喫煙率が低く、健康にも気を配るらしい。「パートナーと深く、親密で、健康的な関係性を築いている個人は、幸福度が高い傾向にあります」。このような長所があるとすれば、かつてのパートナーと親密な関係を続ける、もしくは、かつて共有した心的要素を取り戻したくなったとしても、不思議ではない。

しかし、フェレッティ博士によると、ナルシシストにとって、恋愛関係から生まれるメリット、終わった恋人に固執する動機は他にもある。例えば、ナルシシストは、パートナーのおかげで自らの社会的地位や身分が高まっているように感じるそうだ。自己愛の強い人間が〈トロフィー・パートナー〉を求めるのはそのためであり、それは、ナルシシストにとって、自己価値や自信の向上のためにある、とフェレッティ博士は指摘する。「ナルシシストのプライドはとてつもなく高く、自分の元恋人が誰かと付き合うなんて、受け入れられないんです」

モギルスキ博士とウェリング博士の研究結果については、フェレッティ博士も同意する。暗い性格特性の人々は、恋愛関係がもたらす実利に強い関心を持ち、「価値ある〈リソース〉を手に入れるために、元恋人との関係を続ける場合があります。また、自分が知っている元恋人の傷や弱みを悪用し、相手を操り、自らの権力や支配力を意識できます」と博士は付け加えた。