いつまで森喜朗の言うことを聞くのだろう

今回取り上げるのは、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の森喜朗。問題が次々に吹き出している東京五輪。そんな五輪準備に携わる政治家たちについて、武田砂鉄さんが考察します。

「テレビ局が私をおとしめるために……」

政治家が「発言の一部を切り取られて報道された」と取り急ぎ述べることで自分の問題発言を薄めてみるのって、もはやお家芸と化している。首相時代の衆議院選挙の演説で、「無党派層は投票に行かずに寝ていてくれたらいい」と述べた森喜朗が、あとになって、あれは一部を切り取られたものだ、と主張しているので、耳を傾けてみよう。

発言した映像を振り返りながら、「私は『寝ていてくれたらいい』に続けて、きちんと『でも、そうはいかない。そんなことは現実にはありえない』と言っています。テレビ局がオン・エアに際し、私をおとしめるために……(以下略)」(森喜朗『遺書 東京五輪への覚悟』)とある。いや、別に「私たちを寝かせたままにして、選挙に行かせようとしない森はヒドい!」とマジで思っているわけではなく、有権者を軽視する態度を問題にしたに決まっている。発言は2000年、書籍刊行は2017年、17年越しの満を持した言い訳のピントが、豪快にズレているのだった。私たちは、この感じを「いかにも森さんらしい」と受け止め続けてきた。

マンション買った人ファースト

東京オリンピックのマラソン・競歩会場の札幌移転をめぐる揉め事をおさらいすることはしないが、IOCのジョン・コーツ調整委員長、組織委員会の森喜朗会長、小池百合子都知事、橋本聖子五輪相が並んだ4者会議の映像は、これまでもこれからも、オリンピックがアスリート・ファーストではないことを力強く宣言する光景ではなかったか。その日のテーマは、簡略化すれば、「暑いから会場移すけど、で、金は誰が払うの?」である。

小池都知事は「合意なき決定」と述べ、蚊帳の外に追い出された自分への同情票を集めようとした。しかし、後日開かれた記者会見では、東京で行うべきだった理由のひとつに、「それ(マラソン)を見るためにマンションを買ったという人までいる」を挙げるなど、わずかな同情票すら自分で切り落としてしまった。アスリート・ファーストではなく、マンション買った人ファースト。「勝手に決めないで」という小池の態度を見て、当然思い出してしまうのは、「バンクシー作品らしきネズミの絵」を都庁に展示しちゃった件で、あれこそ描いた人からすれば「合意なき決定」だと思う。

「心のレガシー」ってなんだ

橋本聖子といえば、ソチオリンピックの閉会式後の打ち上げで高橋大輔に無理やりキスをした事件で知られているが、その時、なぜか、キスをされた高橋大輔が「反省してますが、パワハラ、セクハラとは一切、思っていない」というコメントを発表させられていた。無理やりチューをして、チューをしたアスリートに謝らせたのである。2013年、柔道女子代表選手が監督からの暴力問題を匿名で告発したことに対して、「プライバシーを守ってもらいながら、ヒアリングをしてもらいたいというのは、決していいことでない」とし、名を名乗れ、と迫ったのも彼女だった。アスリートをファーストに考えている人とは思えない。

4者会議によって札幌開催が決定したが、今後の課題としてあげられた項目のひとつに「心のレガシー(遺産)」がある。「会場が開催都市の東京から変更するにあたり配慮が必要なのが、心のレガシーをどう残すかです」(NHK NEWS WEB)と言われて、「そうそう、どう残すかが心配になっちゃって」とうなずいている人が周囲には見当たらないのだが、局地的に存在しているのだろうか。「心のレガシー」は、運営側が前々から使ってきた言葉。たとえば2016年の段階で、組織委員会の武藤事務総長が、「人の心構えや気持ちの問題」が大切で、「そういうものに大きく影響を与えるような、日本国民の心に大きなレガシーを残す。これが大事なことと思う」と述べている。よくわからないが、よくわからないまま使ってしまえ、と意気込んでいる感じもする。

俺は悪くない、悪いのは俺以外

この「レガシー」を連呼し、拡張してきたのが森喜朗である。入場券不正転売禁止法が国会で成立したことを受けて「大会のレガシーになる」、サマータイムの導入を「日本のレガシーとして使ってほしい」などと、新たな動きを見つければ、それに「レガシー」をくっつけてきた。結果的に、レガシーにする予定のものが積み上がっている。それらを強引に動かすために、「心」なる漠然とした言葉で引っ張るしかない。10日ほど前、渋谷の喫茶店の隣席でネットワークビジネスの勧誘をしていた男性は、「最終的には気持ちだから!」と連呼していたが、このメンタリティに似ている。今、オリンピック周辺で起きていることって、ネットワークによるビジネスである。

森の著書『遺書』に書かれているのは、とにかく、俺は悪くない、悪いのは俺以外、という主張。JOCは「自分たちの世界観だけでしかものを見ていません」、竹田恒和会長は「出身の慶應の人たちばかりが周りを囲っておられる」、いい加減な立候補ファイルを作ったのは猪瀬直樹都知事、国立競技場について「やるべきことをやらないで、マスコミにいい加減な情報を流していた」のが下村博文文科大臣、とにかく「足を引っ張る」のが小池都知事。自分の周りに、自分にとって愚かな存在ばかり集まってくる状況があるとしたら、普通、「あれ、これ、もしかして、そんな自分が愚かなのかな」と疑うはずだが、そういう着眼を持つはずもない。

安倍マリオを提案したのは私

リオオリンピックの閉会式ではマリオに扮した安倍首相が土管の中から登場したが、「ところで、渋谷から穴を掘ってリオに行く、というのは私が出した案です」と自慢げに語る森。もちろん、IOCの許諾が必要になるが、最終的にバッハ会長は「ミスター・モリ、生涯最大のユーモアですね」と気に入ってくれた。その交渉を取り持ったのが、今回の4者会議に参加して札幌開催を決めたジョン・コーツ調整委員長だった。閉会式当日、ドタバタが予想されるので、「土管に入ることについて、警視庁のSPはうんと言わないかもしれないけど、これは命をかけてやってほしい」と声をかけられ、「わかりました。身体を張ってやります」と答えたのが、これまた今話題の、萩生田光一文科相(当時は内閣官房副長官)である。

時折、東京オリンピック開催にいつまで反対しているのか、と問われるのだが、今、問題視されている要素を並べた時に、これでどうして東京オリンピック開催に賛成するのかと逆に問いかける。その問いに、納得いただける答えをもらった試しがない。日本のあちこちが、天災や人災で傷んでいる。いつのまにかそびえ立つ「復興五輪」なるスローガンがまやかしであることは説明するまでもない。優先すべきことがたくさんあるのに「心のレガシー」を優先できてしまう人たちの心を、レガシーにしてはいけないと思う。

(イラスト:ハセガワシオリ

「ここでしか書けない」 言葉の在庫を放出した。

往復書簡 無目的な思索の応答

又吉直樹,武田砂鉄
朝日出版社
2019-03-20

この連載について

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ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜

武田砂鉄

365日四六時中休むことなく流れ続けているテレビ。あまりにも日常に入り込みすぎて、さも当たり前のようになってしったテレビの世界。でも、ふとした瞬間に感じる違和感、「これって本当に当たり前なんだっけ?」。その違和感を問いただすのが今回ス...もっと読む

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    コメント

    fussan >森の著書『遺書』に書かれているのは、とにかく、俺は悪くない、悪いのは俺以外、という主張。 44分前 replyretweetfavorite

    akrobodoc 森は特にだが、ズレている議員の多いことよ。→ 約3時間前 replyretweetfavorite

    test_tsuzuki #スマートニュース 約5時間前 replyretweetfavorite

    gridrum そのウソほんとだろ https://t.co/T2QgqQMhKI https://t.co/T2QgqQMhKI 約7時間前 replyretweetfavorite