“大器晩成の歴史家” 保阪正康が語る「昭和史研究と我が人生」

「保阪正康の仕事展」観覧記

順風満帆ではない半生

11月初旬、紅葉が美しい晩秋の札幌に降り立った。青天の霹靂で決まった来年8月のオリンピック・マラソンに沸いていると思いきや、沸いていたのは市の中心部、中島公園の一角だった。

 

それは、北海道立文学館が主催した「保阪正康の仕事展」(8月31日~11月7日)である。週末とあって、「故郷の大作家」の半生に触れようと、多数の中高年層が詰めかけたのだ。入館者は延べ3000人を超えた。道内ばかりか、遠く東京などからわざわざ足を運ぶ「保阪ファン」も少なくない。

12月で傘寿を迎える保阪氏は、言うまでもなく「昭和史研究の第一人者」だ。平成の天皇皇后にも、定期的に会食しながら昭和史を語っている。何より、今年5月に令和元年を迎えた際、NHKを始め、テレビ各局が解説を依頼したのが保阪氏だったことが、記憶に新しい。

保阪氏は、「帰納的な昭和史研究」を標榜し、過去に4000人に上る旧日本軍の関係者らを取材してきた。要は「上から目線」ではなく「下から目線」の研究ということだ。

その独特の歴史観は、「保阪史観」と称される。まるで精米を重ねて芳醇な清酒を醸造していくように、戦争体験者たちの証言を精査し、そこから「昭和の真実」を紡ぎ出していく。

「地道に、こつこつと書いていく。その心中には歴史の中に葬りさられた人々の怨念を正確に残すべきだとの思いが込められていた」(保阪正康『近現代史に自らの存在を問う』)

「保阪正康の仕事展」は、「昭和には人類の歴史のすべてが詰まっている」という保阪氏の言葉で始まっていた。

野村六三副館長に話を聞いた。

「保阪氏は札幌市で生まれ、根室市の小学校、札幌市の中学校と高校を出た、わが北海道の誇りです。保阪氏の作品や作風にも、故郷・北海道が色濃く出ていますし、北海道にはどこよりも保阪ファンが多い。そこで、保阪氏の80年の半生を振り返る特別展を開くことにしたのです。特に、第3部は『保阪正康と北海道』としました。

会期中、延べ500人を集めての保阪氏の講演会、札幌にゆかりのあるノンフィクション作家・梯久美子さんとの対談、それに地元高校生との対話集会など、いくつものイベントを行いました。どれも大盛況で、改めて地元での保阪人気を実感しました」

「保阪正康の仕事展」の第1部は、「保阪正康の眼 『昭和史』と向き合う」。そこには、大判の「保阪正康年譜」が掲げられていた。

巨大な年譜

<1939年12月14日、数学教師の父・孝(群馬県出身、横浜育ち)と母・マサ(北海道江別市出身)の長男として札幌市に生まれる。父は東北帝国大学卒業後数学教師として道内の学校に勤めていた。母方の祖父は石川県からの移住、祖母は広島県から入植した漢方医の家系。父方の祖父は、横浜の病院の医師(関東大震災で死亡)。父の勤務の関係で、生後間もなく江別市に移る……>

そして年譜の最後は、80歳になる今年後半に、この展覧会を開催したことで終わっていた。中高年の入場者たちが、おそらく自分の人生に重ね合わせているのだろうが、じっくり足を止めて年譜に見入っている。

「文筆を生業としたいと考えたのは、十代の半ばである。自分に才能があるか否かは問うところではない。とにかくなるのだと決めた」(保阪正康『近現代史に自らの存在を問う』)

だが、その長大な年譜は、保阪氏の半生が、決して順風満帆ではなかったことを物語っていた。少年時代には反抗期もあったようで、京都の同志社大学に進学する前にも、一年浪人している。

高校の同級生という女性が、息子を連れて展覧会に来ていたので、高校時代の話を聞いたら、破顔一笑した。

「それが全然覚えてないの。だって保阪君、午後になるといつも学校さぼって、どこかへ消えちゃったものだから」

大学卒業後も、就職したかった毎日新聞社に落とされている。結局、北海タイムスや電通PRセンターなど、何度か職を変えてから、朝日ソノラマで編集者となる。だが編集者生活も、2年ほどしか続かず、1968(昭和43)年、28歳でフリーランスの身となった。

それからの約20年は、長い「修行期間」が続いた。東條英機元首相のカツ夫人を始め、戦争時代のキーパーソンを数多く取材したのも、この時期だ。当時はまだ、「戦争の当事者たち」が生き残っていた。

48歳の時に、文藝春秋から出した『瀬島龍三ーー参謀の昭和史』がベストセラーになった。それから、平成時代に入って、一連の昭和史モノを世に問うていく。

代表作となった『昭和陸軍の研究』(朝日新聞社、1999年)を刊行したのは59歳の時で、展示会のパネルでは、こう解説してあった。

<昭和陸軍は、なぜ無責任に戦争を始め、肉弾作戦、特攻作戦など多くの錯誤を犯したのか。昭和陸軍とはどのような組織だったのか。指導者たちはどのような理念、思想を持ってこの組織を動かしていたのか。そして太平洋戦争は何を目的に、どのように戦われたのか。組織の前史から戦後への影響まで、五百人余りの証言を得、可能な限りの資料を集め、その実体に迫った渾身の力作>