穐吉洋子

「育児は女性のもの」が覆い隠す社会の歪み――見え始めた「母性愛神話」の限界

11/6(水) 12:00 配信

子育てをめぐる問題の根本では、「育児は女性のもの」という“常識”が今も強く残っている。これはいったい、何なのか。「母性」の研究で知られる恵泉女学園大学学長・大日向雅美氏に「問題の本質」を徹底的に語ってもらった。(取材:伊澤理江/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「育児がつらい」をやっと言える時代に

――子育てがつらい、しんどい、という声があちこちで聞こえます。まずは先生、昔より今が大変なのかどうか、そこからお尋ねしたいんです。

育児のつらさは昔からありました。ただ、昔は公然と口に出すことが許されなかったと思います。母親たちが「育児がつらい」とつぶやき始めたのは、1970年代前半です。そのころ、駅のコインロッカーに赤ちゃんの遺体が置かれたりする「コインロッカー・ベビー事件」が相次ぎました。

恵泉女学園大学学長・大日向雅美氏(撮影:アートスタジオ・鈴木徹)

育児で孤軍奮闘して矢尽き刀折れた果ての行動でもあったのですが、当時の母親たちは「育児がつらい」ということすら言えなかった。(周囲と社会が)言わせなかったのです。うっかり本音を言えば、「母親なのになぜ?」とか「母性喪失の女だ」とか、そういうバッシングの嵐に遭う時代でした。

――先生の著書には「母性」の研究を始めるきっかけが書かれています。どうしてこんなに育児がつらいのか、という疑問が端緒だった、と。

コインロッカー・ベビー事件では、母親たちが「鬼」「人間失格」といった烙印を押されていました。しかし、私はただ母親たちを糾弾するのではなく、なぜ子育てに挫折したのか、どんな生活があったのか、知りたいと思ったのです。全国を回り、お母さんたちから聞き取り調査をし、あるいはアンケート調査などを行いました。10年余りで6000人ほどの母親たちの声に接しました。

――どんな実態が見えたのでしょうか。

一見、幸せそうに子育てに励んでいる「ふつう」の母親たちもまた、子育ての負担を一身に担わされ、疲労困憊(こんぱい)していたのです。コインロッカー・ベビー事件のニュースに接して、「ひとつ間違えたら自分も?」「あすはわが身かも?」とおびえる声が少なくありませんでした。

でも、そんな気持ちすら当時の母親たちは公然とは言えなかったのです。そうした傾向は、長い間、変わっていません。

(イメージ撮影:穐吉洋子)

実は、こんな話があるんですよ。

コインロッカー・ベビー事件を契機に全国の母親たちの声をまとめた私の本『子育てと出会うとき』(1999年、NHKブックス)を東京・神田の古書店で、ある出版社の編集者が偶然手にされたそうですが、そこに書かれていた母親の孤独、夫の無理解などに苦しむ声が、いま現在のことかと思ったそうです。1970年代から1980年代の母親たちの声だと知ってすごく驚いた、と。そして、今の母親たちにも伝えたいと、復刻本『みんなママのせい?』(2013年、静山社)を発行してくださったのです。

育児に協力しない夫への不満は、昔も今もほとんど同じですね。「イクメン」は一部の現象に過ぎないようです。男性が育児に関われない働き方に問題があるかと思いますが、でも、「育児は家庭のプライベートな問題」だと多くの人は思っている。夫の非協力は夫の個人的な資質の問題だ、とか。

(イメージ:アフロ)

私たちは、子育てや家庭内のことを「愚痴」「私ごと」の範囲にとどめ、「社会全体の問題」として捉える発想を持ってこなかったのですね。それでいて、「女性は母親になれば皆が皆、子育ての適性を発揮し、子育てを喜びとするものだ」という母性観にとらわれているのです。

でも、少しずつですが、時代は変わっているとも思います。

母親たちは育児のつらさを口にできるようになっています。しかも「原因は夫にある。いや、夫だけの問題ではなくて、企業の働かせ方にある」とか。「ママ友はなぜつらいのか」「地域の無理解はどうにかならないのか」などと、状況を自分なりに分析しながら声に出せるようになっています。

やっと、「私ごと」を「社会ごと」と捉える人たちが出てきたように思います。

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